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どこまでも続く風と祈り

果てのない道の中で、何度も息を切らした。
絶えず閃光のように突き刺さる孤独を、空が照らした。
この草原はいつまでも続いてゆくから、もう、辿り着かなくてもよかった。
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朝6:00。4:00にアトバシという、タシュラバットへ行く拠点となる街に着いてから、(市場で買っておいたドライアプリコットを食べながら)2時間歩き続け、幹線道路に出てきた。
ヒッチハイクするしかないだろうなと思いつつ、自分はこれから本当にヒッチハイクをするのか…?と迷ってもいた。
ひとまずその辺にあったベンチに座り、しばらく宙を見つめていた。1人だ。目を閉じて耳を澄ませていると、鳥の鳴く音、遊牧民の乗った馬が草原をかける時に葉が擦れる音、風の吹く音が聞こえてくる。鳥が空を舞う、その羽の動く様は風と一緒に私を包み込んでくるようだったし、吹く風のやわらかさや、風の粒の細かさは私を砂漠に連れてってくれるような優しさがあった。
朝日の中でそんな風に微睡みつつ体を休めていると、ふと向こうから車の走ってくる音が聞こえた。「とりあえず手を出して乗せてもらうか…?いやでも危ないことに巻き込まれたらどうするか…」と迷っていると、その車の運転手が「向こうへ行く?乗せて行こうか?」というようなジェスチャーをしながら止まってくれてしまった。
彼は輸送トラックの運転手で、話によるとここから100km程のところにあるトルガルトという街を通り中国へ行くとのこと。
その話が本当かどうかはわからなかったが、仕事で通っているのであればひとまず大丈夫か…?と思い、乗せてもらうことにした。
1人なの?ここまでどうやってきたの?ここから歩くつもりだったの?と聞かれ、1人で来たこと、ビシュケクからアトバシまでバスで来てこの道路まで歩いたこと、車が来るまで歩いてみるつもりだったことを話すと、彼は「こいつ正気かよ」という顔で苦笑いしていた………
彼とはロシア語、キルギス語、英語を交えて会話をしたが、私が知っているロシア語・キルギス語のフレーズが少なすぎてうまく会話を続けられず、沈黙の時間が続いた。それでも、煙草を吸いながら(きっと)いつも通りにトラックを運転する彼を見て、この旅路への安心感は大きくなるのだった。長いまつ毛の奥にある翡翠のような色をした彼の目には、寡黙さの中にある優しさが滲んでいたのを思い出す。
彼の乗る車に乗せてもらうかどうか迷いながら感じた怯えや怖さに、彼のおかげで少しずつ安心感が加わり、1人だということと同時に、1人ではないことを感じながら草原の中を駆け抜けた。

乗せてもらってから30分ほど経った時、彼は
「これ食べな」と言って、少し大きめの平たいピロシキのような食べ物を分けてくれた。目の前の人間に優しさを差し出す、ということがどれほど自分にとって難しいか、と考えることが多かったからか、その一言で今にも目から涙が溢れそうになった。それは海の色の深さやきらめきを見た時に痛みを感じるような、夜の果てで2度と戻れない瞬間を想う時に悲しみと喜びを同時に感じるようなものだった。

もうすぐタシュラバットへの道に着くよ、という彼の声を聞いて、この後どうやって向かっていくか、という不安を自覚する。

「もうすぐタシュラバットへ続く道との分岐点になる。そこからタシュラバットまでは歩いて3時間だよ。」
……3時間。いや、でも歩き続ければ辿り着くのか。
「この後トルガルトを通って中国へ行くんだよね?」
「そう。中国へ行って、また首都のビシュケクへ戻って、また中国へ行く繰り返しだよ。」
そう言いながら、また煙草を吸って運転を続けていた。彼の日常を少しだけ知って、わたしはやっぱりよそ者でしかないということを知った。寂しくもあったが、この寂しさも旅をする中で幾度も感じるものだということ、その寂しさによって世界と繋がっていることを感じられた。

「さあ、着いたよ。あの道を歩けばタシュラバットに着く。」
「ありがとう。お金はいくら?」
「いや、お金はいらないよ。」
「本当に?さすがに払わないと…。」
「本当にいいんだよ。」
何もお返しに渡せるものがなかった。どうやって感謝を伝えたらいいのか、わからなくなった。
彼にとって今日一日がよいものであるようにと祈るしかなかった。
「ジャクシ カル!チョン ラフマット!(さようなら、本当にありがとう)」
ジャクシは、元気に、カルは、去るの命令形で、直訳すると、「元気に行ってくださいね」という意味だ。
元気でいてね、という気持ちが込められているのだと勝手に思っているのだが、わたしはこの相手が元気であるようにと願うキルギス語の挨拶がとても好きだ。
優しく笑いながら、彼は挨拶を返してくれた。
再び走り始めた彼の車が見えなくなるまで、大きく手を振り続けた。
お互いに、この先も無事でありますように。
私がこの先も、名も無き道で別れ、挨拶を交わしたこの時間を忘れないように。

これから歩く先に辿り着けなかったとしても、
もういいやと思うほどに、この旅路そのものが愛おしいと思った。
風が柔らかく吹いて、身体を通り抜けていく。
どこまでも続く海原のように、風は吹き続けている。交わした言葉、挨拶が風に乗ってどこまでも飛んでいく。
胸に滲みゆくのは、自分の心の奥の奥にかすみ草がふわっと広がり、あたり一面に咲き続けるような喜びと痛みだった。

つづく🐎

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