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最果て2 Istaravshan

以前書いたホジャンドからイスタラフシャンでの

旅の記録の続きを書きたいと思います。

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相乗りタクシーで人数が集まるまで待っていた時に、乗り込んできた彼女。大学生でホジャンドとイスタラフシャンを毎日相乗りタクシーで行き来しているという。タジク語が分からなくてどうしようと思っていると、それを察してか、英語で話しかけてくれた。

「どこから来たの?」

「日本から来て、モンゴルに留学しに来ていて、休みに入ったからタジキスタンに旅行しに来たよ。」

「そうなのね、わたしはいつもホジャンドの大学に行ってて、今からイスタラフシャンに帰るところなの!タジキスタンはどう?楽しい?」

「まだホジャンドに来たばかりであまり観光できてないんだ。明日までイスタラフシャンにいて、明後日までに首都のドゥシャンベに行くよ。」

年が近いこともあって、私たちは拙い英語で互いのことを話していた。優しく話してくれる彼女に対して親しみを感じ、今まで緊張感ばかり持っていた私はとてもとても安心したのを覚えている。

「そういえば、今日はどこに泊まるの?」

「宿泊サイトで検索したんだけど、イスタラフシャンの宿泊施設が1件しか出てこなくて、タクシーの運転手さんに聞こうと思ってたんだ。だから決まってないんだよねぇ。笑

一応出てきたホテルはここなんだけど、営業してるのかすら怪しいから迷ってて…」

「このホテルはもうすぐだよ。でももしよければ私の家に泊まらない?お兄ちゃんに迎えにきてもらう予定だから、話しておくよ。」

「えっでもこんなに突然知らない日本人が来たら嫌じゃない…?申し訳ないよ。」

「大丈夫だよ!日本人の友達ができたって聞いたらみんな喜ぶよ!」

そう言ってくれたので、申し訳なかったけれどお言葉に甘えて泊まらせてもらうことにした。

彼女のお兄さんに迎えに来てもらって、家に到着すると、家族総出で迎えてくれた。お母さんはたくさんのご馳走を作って私に振舞ってくれ、日本のことやタジキスタンのことをたくさん話した。日本人が来るのが珍しかったのか、お母さん、お兄さん2人、上のお兄さんの息子(4,5歳くらい)みんなが話しかけてくれた。

こんなに家族の温かみや人の優しさを感じたことが旅の中であっただろうか、と感じて何度も涙が溢れそうになり、変に思われないように必死で堪えた。

お母さんが「息子(もう1人のお兄さん)はまだ結婚してないのよ〜。よかったらこの子と結婚してうちに嫁いできたら?!」なんて冗談を言われ、お兄さんはなんとも言えない苦笑いをしていた。笑

「改宗しないといけないんで…」と言うと、これまたみんな苦笑いだった。

「そのくらい、あなたはもう私たちの家族なのよ。私はあなたのママで、あなたは私の娘なのよ。」

お母さんはそう言って聖母のような優しい微笑みを私にくれた。

その日はみんなで川の字になって一緒に寝させてもらった。これほどまでに安らぎと胸の温かさを感じて床についたのは、いつぶりだったろうか。あの家族を思い出すと、浮かぶのは夕日の暖かいオレンジ色に包まれた空気感だ。

次の日は、お兄さんがイスタラフシャンの街を見せたいから観光に行こうと言ってくれて、家族みんなと私を連れてイスタラフシャンをぐるっと回ってくれた。

朝子供たちとはお別れしなくてはいけなくて2人の男の子が泣いてくれて、私のためにこの子達は涙を流してくれるのか…と思って胸がいっぱいになってしまった。クリクリな大きな目と長いまつ毛に、これからこの子達が生きていくというキラキラした光が溢れていて、とてもとても可愛くて仕方なかった。また、会えますように。それまで健やかに過ごせますように。

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今回はここまで。この先、ドゥシャンベに向かうバスに乗るまで、イスタラフシャンをお兄さんたちが案内してくれることに。

会いたいです。どうか、いつかまた再会できるときまで、幸せでありますように。




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