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風に揺られて

言葉から零れ落ちていくものを拾い上げて花束にしたかった。
果てしなく広がる草原のうつくしさは、そのもの自体にあるのではなく、草原が与えてくれる生への祈りの中にあるということ。
谷間を縫いいくつもの山を越えて自由を得ようと、地を踏んできたこと。

キルギスタンの、中国との国境に近いアトバシ(At-Bashy)を拠点として、シルクロードのキャラバンサライだったタシュ・ラバットへと旅に出た。

首都ビシュケクからアトバシまで夜行バスで6時間、アトバシからタシュ・ラバットへ続く道と幹線道路との分岐点までヒッチハイクで1時間、そこから徒歩で3時間の道のりを経てたどり着いた。
キルギスでの旅で重宝されるバスの乗り換えアプリ(「2GIS」というアプリ。ビシュケク市内でのミニバス利用から長距離バスまで、どの番号のバスに乗ればよいかわかるのでおすすめ)で調べた限りでは、ビシュケクを22:00に出発して翌朝7:00頃アトバシ着だったのだけれど、なんと4:00に着いてしまった。降りたのは自分と、アトバシが地元の女性一人のみだった。
その女性は、家族が迎えに来る予定だったようで、少しお話(といってもキルギス語を少ししか喋れない私はほぼ彼女と意思疎通がとれなかった)した後、家族と一緒に家へ帰っていった。
アトバシからは乗り合いタクシーでタシュラバットに行こうと考えていたのだけれど、この時間では当然人も車もおらず、ひとりぼっちだった。
あたりは静まり返り、気温はおそらく一桁で耳が冷たくなっていくのを感じた。深く、冷えていく夜。一瞬、「なぜ自分はこんなところに来てしまったのか…こんなところで4:00に何をしているんだろう」という思いが、あたりを包む暗い空に溶けた。月明りが綺麗だった。

おそらくヒッチハイクするしかなさそうだ。ひとまず幹線道路の方へ歩いていればそのうち夜が明けるだろうと思いながら歩き続けた。だんだんと街灯が少なくなり、暗闇が濃くなってゆく。アザーンが聞こえ町の中に広がる。静けさをいっぱいに抱えた夜明け前の街に自分が溶けていくようだ。
一時間ほど歩いていると、空が黒から藍色に変わっていった。
ふと後ろを振り向くと、それまで夜で隠れていた山々が空ににじみ出てきて、青い空の花が咲いていくような、ゆっくり、ゆっくりと桜吹雪が舞い散るような空気に包まれた。いつまでもその時間が続いていくような、続いていくことを願いたいと思うような……
夜明けが来る、ということがこれほどまでに光の美しさを感じられる、生きているという実感を湧かせることだと思わなかった。
夜は、またちゃんと明けてくるのだ、という思いと、まだこの夜明けへの移ろう時間を止めたいという思いが同時にやってきて、涙が出た。

初めてキルギスに行ったのは7年前で、キルギスに到着して初めて見た風景は、街を見上げた時に遠くに、でも近くまで迫るような山脈だった。
その時のイメージがこの夜明けに見た、にじんだ水彩画のような山々と重なり、初めて見たその場所のイメージというのは忘れることなく記憶の層の中にずっと残るのだと思った。

日が昇り、風景の輪郭がはっきりとしてきたときに目に入ったのは、どこまでも広がる草原と、淡く、しかし燦然とそびえる山脈だった。黄金色の朝日があまりにも、眩しくて。目を閉じた。風の匂いと草原と動物達の生きてる匂いがする。草のこすれる音が聴こえる。孤独という光が、絶えることなく自分を照らしてくれているようにと、祈った。

つづく🐎

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