中山和洋

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中山和洋

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元相方がプロレスのレフェリーデビューしたから見に行った。

本日、菊池レフェリーがデビューします。 四方向に丁寧にお辞儀をし、上下黒の衣装で少し緊張しているような面持ちのレフェリー。僕にはワクワクしているようにも見えた。 菊池伴実。男の名前では聴いたことのない、 ともみという名前。 この男と僕は約2年前にお笑いコンビを組んでいた。 コンビ名はあかね。 二人とも根明であると言うことからつけたということにしているが、本当は適当につけた。 約3年ほどコンビをしていたが、ネット番組に一度出たくらいで鳴かず飛ばずだった。 それなり

    • 君が親戚と言うから僕も親戚と言う

      じいちゃんが死んだ後も僕らの人生は続く、 誰かが死んだとしても世の中はあまり変わらないのだ。 じいちゃんの葬式の時に一緒にいた、じいちゃんが営んでいた床屋の横の美容院の子供が高校生になり、一緒に葬式に参加した。そうちゃん そうちゃんは、生まれた時から祖父母が世話をして可愛がったいわゆる近所の子である。 僕もたくさん遊んだし遊ばせてもらった。 16歳差のあるそうちゃんはもちろん成長するし、いつのまにか僕の身長も越されていた。 僕は東京に住んでいたから、青森でじいちゃ

      • 青森のおじいちゃん、おばあちゃんの家に毎日弁当をもらいに来るあいつの話②

        20を過ぎた頃だったと思う。 セイジってうちの家族とどういう関係なの? 母親、母の妹の叔母、祖父祖母、重い口を開くのか… そう思っていたが実際は違った。 セイジはうちに住んでいた子供だったんだよ。 話を聞くと、こうだった。 青森に住む祖父母は床屋を営んでいた。その床屋の2階に住んでいたのがセイジとそのお父さんだった。 珍しい父子家庭だった。今で言ういわゆるネグレクトであり、みすぼらしい男の子の見た目であったと言う。 靴下を洗濯せず次の日に履く時は反対にして履き

        • タイムリープはやっぱずるい。

          「いやープロポーズ大作戦の最終回面白かったよなー!」 高校生の時にやっていたプロポーズ大作戦というドラマ。 僕は毎週見ていたが、最終回を見なかった。 幼馴染(長澤まさみ)の結婚式に出た、 山ピー(山下智久)が、好きだった想いを伝えられず後悔している時に、タイムリープの力を使って過去に戻りやり直す。彼氏(藤木直人)から奪うって話だ。 結局気になって再放送は見たのだが。 当時は結末がなんとかくわかっていたから、なぜか見なかった。 山Pはいいけど藤木直人どうなん? い

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          マーライオンには期待するな!

          僕の高校の修学旅行はシンガポールだった。多くのクラスメイトは初海外だったし、初めて飛行機に乗る人もいた。 同じクラスの女子が飛行機の離陸の時に拍手をし、すごーい!と言って拍手が伝染し良い映画を見たあとの劇場みたいになったのはのはとても印象的な出来事だ。 僕は飛行機にも乗ったこともあったし、海外も初めてでもなかったので、そこまで心が踊っていなかった。 でもシンガポールの空港に降りるとそれは違った。日本とは違う異世界をすぐに感じ取ってテンションが上がった。 そういえば、海外に

          マーライオンには期待するな!

          悪者とはなんなのか、

          夏休み中、実家の青森で姉の子供と過ごしている。 僕にとっては甥っ子。 子供は遊びは好きだが…テレビも好きで。 僕の甥っ子はプリキュアが好きで、多様性ですねと思う日々。 1日1プリキュアというルールに風穴を開けて、僕がドラえもん好きという理由だけで1日に一本ドラえもんの映画を見ていいことになった。 僕なりにおすすめのドラえもん映画を見せてはいたが、この日に見せたのが ドラえもんのび太と竜の騎士 という作品。 映画を流しながら僕は昼ごはんの用意をしていたのでみたかったが

          悪者とはなんなのか、

          シャッフル

          NSCと言う、芸人の養成学校に通っていた。 大半は1人で入学し、相方を探して、コントや漫才をする。 僕は大学時代からコンビだった相方と共にNSCに入学したため、相方を探すことはなかったし、これからもずっと2人でやっていくものだと思っていた。 1年間学校に通うと、ひたすらネタを考えそれを披露する。そんな時間があっという間に過ぎる。 あっという間に過ぎたと今では言える。 しかし、ネタを考えるために多くの時間を過ごす相方とは、家族より友達より親密になりそれに反してなんとも

          シャッフル

          青森のおじいちゃん、おばあちゃんの家に毎日弁当をもらいに来るあいつの話①

          母親の実家である青森に一年の半数以上を暮らす生活だったと思う。 それは小学校よりも小さい頃からだったし、物心がつく前から僕の田舎、家は青森であった。 家族ではないあいつ。 そんなことはわかっていた。 セイジという存在。 家によくいるがいないとかもよくある。 幼心に母と叔母の関係は姉妹とわかっていたが、その男の存在だけはわからなかった。 兄弟ではないことだけははっきりわかった。 しかし存在は兄弟のようなのだ。 なぜなら多くの時間は僕の実家にいるし、当たり前のよう

          青森のおじいちゃん、おばあちゃんの家に毎日弁当をもらいに来るあいつの話①

          じいちゃんの日記

          2022年8月14日じいちゃんが死んだ。 朝7時45頃姉から連絡があった。 ちょうどその日に僕はじいちゃんの家に行く予定だったので、準備をしていたところだった。 自然と涙がこぼれていた。いや、それよりもっと嗚咽して泣いていたと思う。 数分して冷静になり、旅の身支度をし、東京駅に向かった。 行き先は青森だ。 小さい頃から青森は僕の家だった。 住んでいるのは神奈川だったのだが、3歳くらいから、夏休みなどの長い休みに入ると青森に1ヶ月ほど滞在するのが夏の過ごし方だった。

          じいちゃんの日記

          すごくいい結婚式に参列させてもらった。

          31歳になり周りの友人たちの多くは結婚という、儀式のような必ず通らなければならないような通過儀礼のようにその道を辿る。 まだそこに抗い行きついてない僕は、結婚式というものに多く参加してきたと思う。 その中でも昨日の結婚式はとてもとても素晴らしかった。と僕は思った。 小学校から同じ幼馴染とも、親友とも言える女友達の結婚式だった。 親友などと薄っぺらい言葉は、僕は少し恥ずかしい。 小学校の3年間、中学の2年、3年で同じクラスで親しく。大学時代のアルバイトを紹介してもらい

          すごくいい結婚式に参列させてもらった。

          青森のおじいちゃん、おばあちゃんの家に毎日弁当をもらいに来るあいつの話⓪

          僕は神奈川の横須賀に住む小学生だった時、母親の実家である青森の十和田というところに夏休み冬休みは必ず帰るのが休みの慣例であった。 旅行には連れて行ってくれなかったら両親であった。そして姉二人と僕の三姉弟は本州の最北端に連れてかれるのであった。 しかし別に嫌なことではなかった。 母親の両親 じいちゃんばぁちゃんは青森で床屋を営んでいた。 月曜日の定休日以外は毎日働いている、祖父母は忙しかったと思うが、別に店に行くこともできたし、叔母もいたので寂しい思いはしなかった。

          青森のおじいちゃん、おばあちゃんの家に毎日弁当をもらいに来るあいつの話⓪

          僕の恩師

          僕は、小学3年生になる春に神奈川から青森に親の仕事の都合で引っ越すことになった。 神奈川から引っ越すのはとても悲しかったが、青森には祖父母がいて、一緒に暮らすことは少し楽しみでもあった。 青森のほぼ中央部に位置する十和田市というところに僕は朝引っ越した。 小学校転向初日、僕の担任になる先生は熊谷先生言う男の先生だった。見た目は180センチほどあるガタイもよくスポーツ選手のようだった。 熊谷先生はとても声が大きくて、明るい先生だった。直感的にすぐに好きになった。 青森

          僕の恩師

          小六の時に猫を飼うことを決めた帰りの会 下

          2019年1月2日ライは逝った。 僕は泣いた。三日三晩泣き尽くした。いやもっとだ。 僕は東京に暮らしていたが、ちょうど帰省したタイミングだった。家族は母の実家の青森にいた。 ライはとても好奇心旺盛で、よく遊んだ。 ベランダでセミを取ってくることがあってみんなを驚かせたりもした。 病気もせず元気に暮らした。 僕ら家族はライが来た初日言った可愛いを毎日言った。 ライは抱っこされることをあまり好まなかった。抱っこするとすぐに降りたがった。 ライはあまり鳴くこともなか

          小六の時に猫を飼うことを決めた帰りの会 下

          小六の時に猫を飼うことを決めた帰りの会 上

          最近僕がハマっている、YouTubeチャンネルがある。 この動画は、粘着鼠取りに捕まってしまった子猫を救出し、育てていく。 簡単に説明するとこうだ。 この子猫を見たときに、僕が飼っていた、猫に少し似ているなと思った。 それまであまり猫の動画は見ないようにしていたが、これを見て僕が飼っていた猫、ライのことを思い出した。 時を遡ること、2002年2月 僕が小学6年生だった。 いつものように授業が終わり、帰りの会だった。 他に何かありませんか? 先生がそういうと少

          小六の時に猫を飼うことを決めた帰りの会 上

          僕はBarの店長だった。①〜

          「和洋、Barやってみない?」 父が半年だけやった。BARの突然閉店が決まった。 そのまま閉店して店を畳むと思っていたらまさかのオファー。 母が全ての片付けをし店じまいを予定していたが、職場の人に 息子さんにやらせてみれば? という話になったらしい。 僕は大学を卒業し、就職もせずに吉本の養成所に通うことが決まっていた。 バイトは辞めていた。 なぜ畳もうとしていた店を僕にやらせようと、思ったのか?と母に聞くと もったいないから。 というシンプルな答えだった。

          僕はBarの店長だった。①〜

          僕はBarのマスターだった。⓪

          「和洋、Barやってみない?」 そう母に言われたのが最初だった。 父が始めた一軒のBar。 自衛官だった父はその前の年の誕生日に退職をし、僕の育った神奈川県横須賀市でBarを始めることにしたらしい。 これを聞いた時には 絶対に失敗する と思った。なぜなら父にそれを伝えた時に、 絶対成功する、似顔絵ジャズバーなんて聞いたことあるか? と自信満々に言っていた。 聞いたことがないけど需要がねーよ! と思った。横須賀はジャズの街ではある。なんでかは知らん。しかしジ

          僕はBarのマスターだった。⓪