僕はBarの店長だった。①〜
「和洋、Barやってみない?」
父が半年だけやった。BARの突然閉店が決まった。
そのまま閉店して店を畳むと思っていたらまさかのオファー。
母が全ての片付けをし店じまいを予定していたが、職場の人に
息子さんにやらせてみれば?
という話になったらしい。
僕は大学を卒業し、就職もせずに吉本の養成所に通うことが決まっていた。
バイトは辞めていた。
なぜ畳もうとしていた店を僕にやらせようと、思ったのか?と母に聞くと
もったいないから。
というシンプルな答えだった。
頼まれた僕はすこし考えた。
バイトはまだ決まってない
けど、
BARの売れ行きが悪ければ給料はないだろう。
芸人もギャンブルみたいな仕事なのに、ギャンブルをもう一個するのか?
まてよ…
24歳で店を持つって、カッコよくね?
という考えに1秒で至ったので、即答で
やろうかな!
と答えた。
オープンの日は半月後の2014年4月15日と決まった。
とりあえずやってみよう。
全てはここからだ。
店を始めるよ!と言ってもあまり驚かないような友達にBARをやるから来てくれない?と何人かに声をかけた。
そんでとりあえず、ピアノはいらないから、売ることにした。
300万のピアノは運送業者にお願いしたら。
22万円
になった。
階段に貼ってあった似顔絵たちは意味がわからないから取り外して押し入れに突っ込んだ。
酒屋さんから少しだけお酒を取り揃えた。
僕が知っているお酒なんて大学生が飲むような居酒屋メニューだけだった。
この店の強みはなんだ?
そんな問いとは向き合いもしなかった。
店を開けば客が来るわけじゃないことはわかっていたが、開けて見ないことにはわからない。
とりあえず開店だ。
そんな勢いと、もったいないと、カッコイイべ?
で始めた店。
ここから僕はすごく楽しい3年間を過ごすことになる。
2014年4月15日19時からスタートした。
お客さんなんてくるわけないと思っていた。
無駄にでかい50インチのテレビもあったから姉ちゃんと一緒に座って見ていた。
すると下から階段の音がした。
入り口が開き、顔がひょっこりと見えた。
小沼だった。
いや誰やねん!
説明しよう。小沼とは、僕が2年前までバイトをしていた横須賀にある某イタリアン料理チェーン店、カプリ○ョーザの先輩だ。顔面は、おぎやはぎの矢作さんに似ていて眼鏡長身ちょいかっこよ男子だ。
小沼!
先輩ではあるが親しみやすい性格とほぼあだ名になっているためそう呼んでいる。
初めてのお客様だった。嬉しかった。
救世主、小沼だった。
小沼の人柄は温厚で人当たりもよく誰にでも好かれるが、つかみどころのない男。すごく喋るかといえばそうではなく、笑い上戸のためこちらが喋ることが多くとも人を悪い気にさせないやつだ。
一家に一台小沼をおいたら世界は平和になるだろう。
そんな最高な男が来てくれた。
よく実家にも遊びに来ていた、小沼は僕の家族とも仲が良かった。
近頃会っていなかったため。近況を話していたらあっという間に24時前。
開店1日目客は一人。
売り上げは1000円程。
当時の店主はおらず、
僕と母と姉の3人で始まった、Bar
家族経営のBar
そんなとこが強みなのかもしれない。
そう思っていると、
なんかアットホームで落ち着くなぁ。
そう言って小沼は帰って行った。
小沼は2017年4月15日の最後の日まで来てくれる常連となることとなる。
そんな最高のBarスタートの日だった。
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