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君が親戚と言うから僕も親戚と言う

じいちゃんが死んだ後も僕らの人生は続く、

誰かが死んだとしても世の中はあまり変わらないのだ。

じいちゃんの葬式の時に一緒にいた、じいちゃんが営んでいた床屋の横の美容院の子供が高校生になり、一緒に葬式に参加した。そうちゃん

そうちゃんは、生まれた時から祖父母が世話をして可愛がったいわゆる近所の子である。

僕もたくさん遊んだし遊ばせてもらった。

16歳差のあるそうちゃんはもちろん成長するし、いつのまにか僕の身長も越されていた。

僕は東京に住んでいたから、青森でじいちゃんが死ぬ前に立ち会えなかったし幼少期に時間を過ごすよりも、そうちゃんはじいちゃんと一緒に過ごしたと思うし、じいちゃんが病気で動けない時にも野球の好きなじいちゃんに自分の野球の話をしてから部活に行っていた話を聞いていた。

ありがとう






じいちゃんが死んだ。
僕は東京から青森に向かい、亡骸を見て涙が止まらなかった。ごめん、来られなくて

死んだ時期が、夏のお盆の時期であったこともあり、告別式や、葬式がいつかわからない状況が続いた。


葬式の日取が決まり、僕らの姉弟3人と、母の妹が参加予定だった

床屋をやっていたので街の人たちはたくさん来るだろうと予想していた。

そこに参加してくれて、手伝ってくれたのはそうちゃんの家族だった


そうちゃんの家族は、『たくさんお世話になったから手伝うのは当たり前だよ』といってくれた

とても心強かった


田舎の葬式は、都会より盛大なのでかなり準備にお金も労力もかかる

そこに、そうちゃんもいた

いてくれたと言うべきか

夏休みではあったが、高校球児でもある

『顧問になんて言って休んだの?』
とぼくがきくと

『親戚が亡くなったから…部活休みます』
って言ったよと言った

すごく嬉しい気持ちになった。

僕らは親戚ではない。
確かにそうちゃんが赤ちゃんの時からの仲ではあるし、かけがえのない存在ではあるのは当たり前なのだけど

他の人に説明する時に親戚です!と言うのはなかなかのハードルである

と僕は思うが、
そうちゃんにとっては当たり前のようにそう考えてくれたことに、心がリミッター溢れるように嬉しかった

僕は凄くせこい
そして弱虫だ

僕の方が君の幼少期からしっていたのに
そうちゃんが当たり前のように親戚と言ってくれたこと

君が親戚と言うから僕も親戚と
【言えるようになった】が正しいと思う。

純粋で素直なそうちゃんの人柄が垣間見える


そして2024年7月8日全国野球青森予選の一回戦



そんなそうちゃんが9回の裏マウンドに立って投げる姿を見て僕は涙が溢れる事に我慢で必死だった

初球でデッドボールを出した

が、

その後完璧に抑えてゲームセット

6点差だったのに、僕だけハラハラだった!

シャイなそうちゃんが、チームメイトに祝福を受けてハニカム笑顔を見て僕も笑みが止まらなかった。

一回戦を突破して。

次は第一シードの弘前学院聖愛。

かなり厳しいと思うが、持ち前の負けん気で頑張って欲しい。ありがとう




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