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太陽に愛された女

そうだ、朝起きたら顔を洗おう。

私のこの決意が賢明なる淑女たちに混乱と動揺を与えてしまったとしたら申し訳ない。
この記事を書くことはこれまでのどんな記事を書いた時よりも勇気が必要だった。
だってなにしろ「朝起きたら顔を洗おう」である。

え?洗わんの?
ごもっともな疑問だ。

はい、リモートワークをいいことに、そしてzoomの新機能、美肌補正の開発と同時に朝、顔を洗うという習慣を手放してしまっていたことを今ここに深く謝罪したい。
確かにnoteの自己紹介文にも自分のことをぐうたらと称している。
それをもってセーフだと言い張りたいのだが、先日ちゃんとメイクしておしゃれした自分をあれだけ自画自賛する記事を書いておきながら、平日の実態はこの体たらく。

自分に甘い私でもさすがにこれはアウトだと言わねばなるまい。
「そうだ、朝起きたら顔を洗おう」
美意識、女子力の高低の話じゃない。
この宣言は社会人として完全にアウトである。

なぜ今更このような至極当たり前の決意をしたのか。
社会人として生きていながら、顔を洗う手間を惜しむところまで堕ちた人間が、そのぐうたらスタイルに別れを告げ真っ当な習慣を取り戻すというのは並大抵のことではない。
そう、のっぴきならぬ事情があるのだ。

夏の到来である。

私は自宅で仕事をしているのだが、部屋のスペースの都合上、仕事のデスクは大きな窓に面して設置している。
つまり、夏の太陽に顔面を晒しながら日中仕事をしなければならないのだ。

私は夏の太陽に溺愛されて生きてきた。


今となっては考えられない話だが、中学生の頃、体育祭の練習に日焼け止めを塗布して臨むのは最大の禁忌であった。
白浮きした顔を体育教師に見つかったら最後、頬を殴打され全校生徒の前で糾弾された古き良き(良くない)あの時代。

高校生の頃は、片道8キロの道のりを自転車で通学していた。
日焼け止めを塗ったほうが良いと知りつつ、日焼け止め独特のキシキシ感が苦手で、結局真夏の太陽で素肌を焦がして生きていたあの頃。
よりによって九州で。

あの頃のことを思い出すと冗談でなく倒れそうになる。
タイムマシンがあったならガタガタと震える手で若き日の私の腕をつかみ「頼む!後生だから日焼け止めを塗ってやってくれ」と泣いてすがりつく自信がある。
「やだよ。キシキシして気持ち悪いもん」などと反抗されたら、私が私の頬を殴打する。あの日の体育教師のように。

また、オーストラリアに留学した時は、私の英語力が足りないがゆえに結果的に丸一日日焼け止めなしの素肌で外を歩いたこともある。
あの悪名高い、オーストラリアの強烈な日差しに、30代間際の最も守るべきお肌を、さあどうぞとばかりに差し出したのだ。

その結果が今まさに私の頬部分に現れようとしている。
シミ…もとい、太陽のキスマークである。

太陽のキスは時間差で届く
…とかそれっぽいことを言ってる場合じゃないのだ。

これはまずい。
現在進行形で、窓際の席に座って太陽といちゃついてる場合じゃねえ!
若き日の過ちを繰り返す気か。
ひ…日焼け止めクリームを塗らねば。
そのためには、

そうだ、朝起きたら顔を洗おう。

いくら私でも洗顔していない肌の上に日焼け止めを塗布するような狂人ではない。
日焼け止めを塗るために、顔を洗うのだ。
一日2回朝と夜に洗顔をすると、化粧水の減りも2倍だがそんなこと言ってる場合じゃねえ。
みんなそうやって生きているのだ。

石田ゆり子みたいな年の取り方をしてねとさらりとハードル激高の要望を夫から受けている。
自身の雪見だいふくみたいな腹をどうにかしてから言ってほしいものだが、「私を誰だと?」ばかりに余裕綽々な顔をしてしまっている手前これ以上呑気にキスマークを増やすわけにはいかない。

とりあえず顔洗って日焼け止めを塗布するのだ。
その先にきっと石田ゆり子は待っていてくれるはずだ。



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