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#71「夜」を取りもどそう|学校づくりのスパイス(武井敦史)

【今月のスパイスの素】
ヨハン・エクレフ
『暗闇の効用』

 現象を可視化することが、あらゆる社会活動領域における現代の潮流になっています。たとえば文部科学省が2023年度にまとめた「誰一人取り残されない学びの保障に向けた不登校対策」(COCOLOプラン)においては、「学校の風土の「見える化」を通して、学校を『みんなが安心して学べる』場所にします」と宣言されています。

 けれども「可視化」とは、(一定程度は不可欠であるにしても)無条件によいことなのでしょうか。

 今回はスウェーデンのコウモリ研究者であるヨハン・エクレフ氏による『暗闇の効用』(太田出版、2023年)を手がかりに、可視化というテーマについて考えてみたいと思います。本書は生物学的な知見を基盤に、「暗さ」という概念に多角的に迫ったおもしろい作品です。

ヨハン・エクレフ著、永盛鷹司訳『暗闇の効用』太田出版

陰翳礼賛

 「光害」という言葉は初耳ではないにせよ、温暖化や水質汚染に比べて耳慣れない方がほとんどではないでしょうか。事故や犯罪防止のためにも、夜は明るいほうがいい……そんなふうに筆者も考えていたのですが、その安直さこそが環境破壊につながっていたことに本書を読んで気づかされました。

 たとえば「掃除機効果」といわれる現象が本書には紹介されています。光が磁石のように昆虫を集めてしまう性質により、生存上の必要とは無関係に昆虫が夜の光源に集まってしまい、虫の生存環境が脅かされるというものです。ドイツでは1989年ごろ計測が始められて以来、昆虫のバイオマスが75%も減少しているという警告が2013年に出されたそうですが、その主な原因は光害であろうことを氏は指摘しています(33〜34頁)。

 虫が減ればエクレフ氏の研究するコウモリも生きにくくなります。コウモリというと、一般にあまりいいイメージがありませんが、タイとマレーシアでコウモリによるドリアンの受粉には年間1億ドルの価値があると見積もられている(126頁)ほか、マラリア蚊の駆除や糞の耕作利用など(126頁)にも深く関係しているといいます。

 エクレフ氏の考察は人間の文化面にも及びます。本書を締めくくる第四部は「陰翳礼賛」と題されており、これは谷崎潤一郎の同名随筆からとったものだそうです。ここで暗闇には「光の不在」というだけでは語りつくせぬ側面があることが語られています。

 「本来なら、私たちの感覚において暗闇は光と同じくらい具体的な経験として認められるはずなのだ。暗闇は私たちに忍び寄ることも、私たちを包み込むこともあるし、それが安らぎにも恐怖にもなりうる」(176頁)。

 光と闇とは私たちの経験としては対照的な関係にありますが、両者を同居させようとすれば闇は一方的に駆逐されてしまいます。

教育の「光害」

 近年学校でも強調されている「可視化」というテーマを考える際、このメタファーは示唆的です。可視化できるものを見せないということはむずかしいし、しばしば「隠蔽」と非難されることもあります。

 けれども成長や教育の照度を高めていくのはいいことばかりであるとは限りません。

 可視化を強調しすぎると、見えやすいものばかりに視線が集まります。たとえば、記憶力や判断スピードなどの「認知的能力」はテストなどで容易に測定可能ですが、意欲や発想力やコミュニケーションなど「非認知的能力」はそれほど測定が容易ではありません。ところが、今後の世界でより強調されるのはこうした非認知的な力の方です。

 すると「測定困難な能力についてもよりいっそうのエビデンスを……」となるのでしょうが、そのようにして世界の可視化を進めると、今度はもう一つの、より本質的な疑問に突き当たります。

 それは「人生行路を可視化すれば人は幸せになるのか?」という問題です。

 たとえば冒頭であげた不登校という現象を考えてみましょう。学校の風土がより可視化すれば不安がやわらぐ児童・生徒もいるかもしれません。しかし風土を可視化するということは、そこで生きる人の姿もよりはっきり見えるようになるということでもあります。

 どこを見られても恥ずかしくない人はそれでいいのかもしれませんが、思春期にもなれば誰でも、多かれ少なかれ人には言えない秘密やわだかまりを抱えるようになるはずです。そして心に暗さを抱え、それを人と分かち合おうとするときには、その空間はあまり明るくない方がいいはずです。

 明るすぎる居酒屋はあまり繁盛しません。

 エクレフ氏は次のようにも述べています。「詩人、哲学者、作家、芸術家は暗闇からインスピレーションを得る。外部の者が見えないとき、私たちは想像力の力を借りて、自分たちの内面に独自のイメージを作り出す」(206頁)。人間関係一つをとっても、相手の一部しか見えないからこそ私たちはお互いを求め合い、感動したり失望したりすることができます。「暗闇」が生態学的のみならず文化的にも「資源」であることを、私たちはもっと意識するべきではないでしょうか。

 さて、筆者もその端くれである研究者の仕事は、それまで分からなかったことを分かるようにすること……つまり広い意味での可視化です。けれども一方で、筆者には次のような疑問がときどき頭をよぎることがあります。

 生まれたときに遺伝子解析で最適な教育プログラムが用意され、エビデンスに基づき幸福を最大化するキャリアが設計され、あらかじめ予測された寿命まで生き、苦しまずに死ねるように設計された人生を誰もが生きられる世界がもし到来するとしたら、それはユートピアか、それともディストピアか……?

 意見はまちまちだと思いますが、少なくとも筆者はそんな世界はご免です。

【Tips】
▼著作について語るエクレフ氏……いい味出してます。

(本稿は2018年度より雑誌『教職研修』誌上で連載された、同名の連載記事を一部加筆修正したものです。)

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【著者経歴】
武井敦史(たけい・あつし)
 静岡大学教職大学院教授。仕事では主に現職教員のリーダーシップ開発に取り組む。博士(教育学)。専門は教育経営学。日本学術研究会特別研究員、兵庫教育大学准教授、米国サンディエゴ大学、リッチモンド大学客員研究員等を経て現職。著書に『「ならず者」が学校を変える――場を活かした学校づくりのすすめ』(教育開発研究所、2017年)、『地場教育――此処から未来へ』(静岡新聞社、2021年)ほか多数。月刊『教職研修』では2013年度より連載を継続中。

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