#62 学校の「ふつう」を問い直そう~平田はる香『山の上のパン屋に人が集まるわけ』より~|学校づくりのスパイス
閉塞感にさいなまれる教育現場が増えています。「業務は減らないのに働き方改革を進めなければならない」「部活動の地域移行が謳われているが受け手が見つからない」といった、出口の見えないアンビバレントな課題にストレスをためているリーダーも多いのではないでしょうか。
今回はこうした課題と向き合うリーダーの思考法について、平田はる香氏の『山の上のパン屋に人が集まるわけ』(サイボウズ式ブックス、2023年)にヒントを得て考えてみたいと思います。
「問う」パン屋さん
平田氏は性格的に周囲と折り合いをつけることが苦手で仕事がうまくいかず、クラブのDJ、ウェブデザイナーとさまざまな仕事を経験した後、長野に移住して山の上に「わざわざ」というパン屋を開業します。「世の中の『ふつう』にうまく乗れなかった私が、唯一できそうなこと」というのがその理由だそうです(12頁)。
移動販売から始め、自宅玄関先での販売、自宅横の実店舗とオンライン販売へと販路を拡大。また、雑貨屋や服飾などにもターゲットを広げて年商3億円にまで達したそうです。
……と、ここまでは、都市部から移住して地方で起業した事業家のサクセスストーリーとしてありそうな話です。ところが平田氏、成功談にはあまり価値を置いていません。それどころか次のように述べられています。
「『辺境地で事業を始めてうまくいった事例』をノウハウとして書く意味はあるのだろうか。自分に問うた結果『ない』と思いました。だからこの本では『心』を記そうと思います。できるだけ忠実に私の心の変遷を描きたい」(14頁)
本書には一人の事業家として何を悩みどのように行動したのかが、克明に描かれています。氏は「問 tou」という名のお店まで運営しているほど、問うことにこだわります。そして本書のなかでくり返し問われているのが「ふつう」という考え方です。
「世の中の求める『ふつう』がある中で私たちはどんな『ふつう』を目指すべきか。(中略)人件費も材料もどちらも削らない。そのうえで商品の価格も手ごろであり続けよう。自分の求める最良の材料で、人の手で丁寧に作り、お店もお客様も幸せになる。『わざわざ』が目指したのは、そんな『ふつう』です」(139〜140頁)。
天然酵母によるパンの発酵には通常7時間くらいかかるため、パン屋さんは10時に開店しようと思えば3時に働き始めなければならない (82頁)といいます。また、材料費を削れば商品の質が落ち、人件費を削れば人は離れていく(136頁)でしょう。
ではこうしたジレンマのなかでどのような選択をしたのか。氏は、24時間発酵のオリジナル製法を編み出し、パンの種類を2種類にまで減らして単価を上げると同時に、実店舗とオンラインを組み合わせることでつくった分はすべて売り切るようにしたそうです。また、日用品や雑貨、オリジナル商品など、商品のバリエーションを増やしつつも、「売れるものを売れるだけ作って用意する。製造と販売のプロセスをできるだけシンプルにする。さらに効率化できないかみんなで考え」(147頁)て課題に応えてきたそうです。
「何を問うべきか」を問う
学校もまさにパン屋さんと同じような構造で壁に突き当たっています。
学校は社会の変化に対応した全人的教育を提供し、取り残すことなく一人ひとりの児童・生徒の成長を見守り、中学校であれば部活動も指導してくれること……これが多くの保護者の考える「ふつう」です。
一方で勤務時間内に仕事が終わって帰宅し、家庭や健康を犠牲にしないですむこと……これが教育公務員としての労働者の「ふつう」です。
ではこれらを両立させうる解は一体どこにあるのか。「ICTを活用して授業や事務作業を効率化すればいい」「部活動を地域スポーツクラブに移行すればいい」といった解決の方向性には筆者も賛成ですが、それだけで万事解決するほど問題は単純ではないはずです。そこには教員の文化や「やりがい」といった、感情の問題が介在しているからです。
平田氏の「わざわざ」でも、会社を設立して間もないころ、ビジョンが不明確なまま「なんとなくやっているふうであれば、やっていける」という空気が広まり、数値目標達成のためにデータが改ざんされるまでに至ったことが記されています(177頁)。
平田氏の問題へのアプローチはシンプルに「問う」ことです。もちろん、毎日の服装から夕食の献立まで、誰の生活もある意味では問いの連続です。けれども平田氏の問い方は、少し違っています。
それは「何をどうすべきか」を問うことで満足な結論が期待できないときには、「何を問うべきかを問う」という姿勢を貫いていることです。
そしてそのように問い方を変えた結果、「材料費か人件費か」、「労働時間か製法か」といった、当初突きつけられていた「苦渋の二択」とは違う「第三の解」にしばしばたどりついている、ということが本書からは見えてきます。
今後は、好むと好まざるとにかかわらず、学校もこれまでの「ふつう」を問い直さなければならなくなるはずです。そしてそのときにこそ、立ち止まって「何を問うべきかを問う」という知の営みが、ノウハウ以上に大切になるのではないかと筆者は考えています。
ちなみに、本の舞台となっている「わざわざ」、筆者の住む静岡からわざわざ……というのはウソで、長野に出かけたついでに立ち寄ってみました。お店は気持ちのいい高台に立っていて看板も掲げられていません。近くには大都市もありませんが、けっこうなお客さんが本当に「わざわざ」買いに来ていました。
ちょっと小ぶりの角食、ホントにおいしかったです。
(本稿は2018年度より雑誌『教職研修』誌上で連載された、同名の連載記事を一部加筆修正したものです。)