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#11「精神論」のどこがいけないのか~鴻上尚史『不死身の特攻兵』より~|学校づくりのスパイス

 「精いっぱい努力すれば夢はかなう」「誠意を持って話せば必ず理解される」「どの子にも等しく可能性がある」といった精神論が学校で語られることは珍しくありません。これらは気持ちを鼓舞する比喩としては悪くはないのかもしれませんが、行きすぎると冷静な判断を阻害する結果になってしまいます。劇作家の鴻上尚史氏の著した今回取り上げる著作『不死身の特攻兵 ――軍神はなぜ上官に反抗したか』(講談社、2017年)は、この点を「特攻隊」という歴史的事実に光を当てて描き出した作品です。

「特攻隊」のさまざまな断面

 この本は特攻隊のパイロットとして9回出撃して9回生還した佐々木友次氏を主人公に、「特攻」の実態を多角的に描き出しています。

 特攻隊は非情ではあるが戦局打開の最終手段として時に美談化されることもありますが、実はこの作戦は、攻撃としての合理性を欠いているといいます。飛行機の機体には浮力が働き、衝突時のスピードが落ちるためです。実はこのことは戦争当時から指摘されており、佐々木氏の上官であった岩本大尉の言葉が記録されています。「体当たり機は操縦者を無駄に殺すだけではない。体当たりで、撃沈できる公算は少ないのだ」「操縦者も飛行機も足りないという時に、特攻だといって、一度だけの攻撃でおしまいというのは、余計に損耗を大きくすることだ」(70頁)。こうした考えから、岩本は軍の命令に反して爆弾を落とすことができるように細工を施したと記されています。

 しかし、こうした不合理にもかかわらず特攻は正当化し続けられます。その背景には特攻の報道によって戦意を高揚すると同時に、「崇高な精神力は科学を超越して奇跡をあらわす」(35頁)ことによって勝利を得ようとする精神論が横たわっていたようです。

 佐々木氏はたびたび特攻に出撃しそのたびに帰還しますが、こうしたもくろみがあったためか、次第に軍幹部はいらだってきます。「死ぬまでに何度でも行って、爆弾を命中させます」という氏に対して、「佐々木の考えは分かるが、軍の責任と言うことがある。今度は必ず死んでもらう。いいな」(110頁)と上官は命じます。

 一方、特攻の背景には別の計算が働いていた可能性も指摘されています。特攻を始めた大西中将が参謀長だけに語ったとされる言葉が紹介されています。
「一つは万世一系仁慈を持って国を統治され給(たま)う天皇陛下はこのことを聞かれたならば必ず戦争を止めろと仰せられるであろうこと。二つはその結果が仮に、いかなるかたちの講和になろうとも、日本民族が将(まさ)に滅びんとするときに当たって、身をもってこれを防いだ若者がいた、という事実と、これをお聞きになって陛下自ら御仁心によって戦を止めさせられたという歴史の残る限り、五百年千年後の世に、必ずや日本民族は再興するであろう、ということである」(248頁)。

 では当の佐々木氏自身はこれをどう見ていたのか、この本の執筆当時にまだ生きていらっしゃった氏へのインタビューの返答は次のような飄々(ひょうひょう)としたものです。「今度出たら死んでやるぞって気持ちもないわけじゃない。だけど生きてやるぞ、生きて帰れるかもしらんっていう気持ちもあったですね」(190頁)。また次のような言葉も出てきます。「そうですね、戦場に行くのが恐ろしいとかあまり思ったことないんですよ。飛んでいればいいんです」(204頁)。

不死身の特攻兵

鴻上尚史『不死身の特攻兵――軍神はなぜ上官に反抗したか』講談社

精神論の陥穽

 「特攻の非合理性を批判して効果的な攻撃を主張する岩本氏」「特攻によって戦争終結を実現し戦後処理を有利に運ぼうとする大西氏」「運命に翻弄されながらもただ飛行機に乗っていたかった佐々木氏」――これら3人の描くストーリーは、私たちと同じ人間の考える展望として、それなりに理解できるものです。

 しかし、戦争中は「死ぬのが怖い」とか、「戦争に負ける」といったストーリーを描くことは禁じられました。その結果「特攻兵が命を犠牲にし続けることが奇跡を呼ぶ」という、もっとも愚かなストーリーが当時の日本社会全体で採用され、失われなくともよかったはずの多くの命が失われる結果となりました。

 このことは、今日の学校にも無関係ではありません。鴻上氏は高校野球を例にあげ、そこに特攻隊と同じ構図を読み取ります(283頁)。

 今日、子どもや学校を取り巻く多くの場面が政策的にストーリー化されてきています。児童・生徒に対してはキャリア教育があり、教員については教員育成指標があり、社会や学校についても「SDGs」「Society5.0」「教育振興基本計画」といったかたちで社会や人の未来ビジョンにむけたシナリオが描かれるようになってきています。

 これらは善意の所産であり、また先の見えない今日の社会を考えると、ある意味必然的なものでもあると筆者は考えています。けれども、政策を背景としてストーリーが描かれるとき、これが精神論として働いてしまうリスクは常に心に留めておく必要があるのではないでしょうか。

 精神論のリスクとは「正しい見方や考え方」を提示して、それを排他的に浸透させることで、それ以外のストーリーを窒息させてしまうことです。

「教員のキャリア」というストーリー

 たとえば、教員育成指標のなかでは、若手は授業研究と生徒指導に精進し、中堅は組織の中核としてリーダーシップを発揮し、ベテランとなれば経験を活かして後進育成に邁進するといったストーリーが描かれることがほとんどです。

 しかし思い描いたようにいかないのが人生だし、長い教職人生のなかでは、教員という職業に疑問を持ったり、転職を考えたりすることはいくらでもあるはずです。

 そして、他の道を考えることは悪いことではありません。むしろめまぐるしく変化し続けるマクロな環境変化に個人も組織も持続的に適応していくためには、複数のシナリオを持つことが不可欠なのではないでしょうか。人生のストーリーも、社会のストーリーも、ときに予測を超えていくからです。

 ストーリー化する学校教育のなかで複数のシナリオを保ち続けるにはどうしたらよいか、一考してみる価値のある問題であると言えるのではないでしょうか?

【Tips】
▼『不死身の特攻兵』は漫画にもなりました。
https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000315334

(本稿は2018年度より雑誌『教職研修』誌上で連載された、同名の連載記事を一部加筆修正したものです。)

【著者経歴】
武井敦史(たけい・あつし)
 静岡大学教職大学院教授。仕事では主に現職教員のリーダーシップ開発に取り組む。博士(教育学)。専門は教育経営学。日本学術研究会特別研究員、兵庫教育大学准教授、米国サンディエゴ大学、リッチモンド大学客員研究員等を経て現職。著書に『「ならず者」が学校を変える――場を活かした学校づくりのすすめ』(教育開発研究所、2017年)、『地場教育――此処から未来へ』(静岡新聞社、2021年)ほか多数。月刊『教職研修』では2013年度より連載を継続中。


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