SNSを考える movie・竜とそばかすの姫

竜とそばかすの姫を鑑賞した。

私にとって凄く惹かれる映画だったと感じた。見ることができて良かったと感じた。

集団真理や同町圧力、SNSとの上手な付き合い方、等、私がずっと興味をもっている問題について結びつく部分がとてもたくさんあったと感じた。
現代の社会での生き方に通ずるものが多くあった。

これもSNSというものを一概に良いとも悪いとも言い切ることのできない苦しい葛藤が映しだされていると感じた。
もはやそもそも「存在していない」という世界線で生きることができたのなら楽だったのにという思いを抱いてしまったりもする。
「存在していない」世界であれば、やる・やらないその選択すら存在することはなく、その岐路で思い悩むことがないのだ。
SNSのなかった時代、どんな生活が営まれていたのだろう。
SNSがない日々を「普通」として生きていた人が確かにいたのだ。
私は素直に羨ましいと思う。

ただ、翻ってこんな思考もある。
「SNS」がなかったことによって花開かなかった芽が、明るみに出ることがなかった問題があったのではないかということ。
届かなかった言葉があったのではないか、ということ。

生きにくい難しい時代であると、私自身強く強く感じている。
でも、視点を変えたらとても恵まれ、開けた良い時代であるとも感じる。
まさに、その葛藤と折り合い、仲よくなり、どう共存していくか、が問われているのだと思う。
そこに答えはなくて、法を犯すことがなければ、他に咎められることはない。
個人に託されているということ。
「禁止」にしてしまうのは簡単だ。ルールを作り、一括にまとめあげてしまうのは簡単だ。
でも、その前に、私は幅のある中で、グラデーションのある中で、「個」を楽しんでみたいと思う。幅やグラデーションは心細く不安もあるが、どこまででも広がっていける可能性を宿していけると思う。
そこで大切なのはそれぞれが己を律することなのだと思う。

SNSは誰にでも平等に発信できるチャンスがある。
田舎に住む、臆病で、弱気な女の子にだってチャンスがある。
遠ざけられ、傷つけられている、優しい少年にだってチャンスがある。
それはとても素敵なことだ。ワクワクする。

SNSは本当の自分を伏せて匿名で発信することもできる。
現実を生きる「自分」とは違った人格でそこで生きることができる。


”Uはもうひとつの現実。Asはもう1人のあなた。現実はやり直せない。でもUならやり直せる。さあもう1人のあなたを生きよう。さあ新しい人生を始めよう。さあ世界を変えよう。”


匿名性。
ここにも難しい葛藤がある。

私も実際こうやって、本来の自分の背負っている物を明かすことなく文章を綴っている。
表現の条件に「自分の名前を明かすこと」がもし含まれていたとするなら、私はこの文を綴る勇気があったかと問われると、曇りのないイエスは決して言えない。
私も「匿名」の恩恵を受けてこうやって文を発信しているのだ。
そう考えると、この時代自分の名を公にして発信活動をしている方々は本当に凄いと思う。残す「言葉」が抱えている物がとても大きい。

そして「匿名」で残すこの言葉たちに価値や重みはあるのだろうかという思いもある。
ここでも葛藤。難しい。

そして「正義」とはいったいなんなのだろう。
一見したら「悪」とされるものがあるかもしれない。
多くが「悪」であると決めつけることがあるかもしれない。
でもその行動の原点には異なった視点からの「正義」が潜んでいるかもしれない。
そう考えると判断の難しさを強く感じる。
自分の小さな視野から何かを決定づけることの恐ろしさを強く感じる。

SNSを通して出会う沢山の人々との出会いは、今の時代だからこそ可能になったものであり、時間や場所、環境、立場、色んなものを大きく飛び終えていまここに成り立っている。
あまりに不思議で、そしてかけがえのないものだと思う。

いつも暖かないいねをくれる方、目を通してくれている方、この途方もなく大きな世界でめぐりあうことができた奇跡、そして少しでも立ち止まってくれたという奇跡、あまりにも不思議な出会いと思う。沢山の素敵な出来事が沢山訪れることを静かに願っています。

そして、SNSを介さない人との繋がりについて。
近い存在になると、かっこよくない部分、情けない部分、ダメダメな部分、フィルターもかけられない、加工もできない、なかったことにもできない、そんな部分も見せなくちゃいけなくなる。
目覚めて眠るまでずっとSNS上の自分でい続けることはできない。
そばかすも、寝ぐせも、ニキビも、すっぴんも、許してくれる、面白がって、愛してくれるそんな人を何よりも大切にしたい。そんな自分を愛していきたい。
そして、そういう部分を見せてくれる身近な人を大切にしたい。
SNSの自分を取っ払って、飛び越えて、はぐしてくれる人を大切に。

色んな面があってもいいのだと思う。
SNSでちょっとカッコつけてイケてる自分も、パジャマでぐだーってしてしまう自分も、哲学が大好きな自分も、せっかちな私も、どれも私。私っていっぱいある。それって実はとても心強い。
1人の自分が弱ってしまったら、「この自分」に必要以上にすがって頑なにならず、また違った自分を楽しんむように生きていけたら。その選択肢を沢山持っていられたらいいな。

沢山の面をもっていきたい。
沢山の面がある方がいいのかもしれない。
そのほうがダイヤモンドみたいに輝くのかもしれない。

とても素敵な映画でした。

匿名で公表されたものは価値が劣る、名乗る勇気は認識の価値を高める、と自分に言い聞かせ、名前を出すことにした。
わたしは事実のために、名前を消すことを断念した。
そして自分をさらけ出す恥をのりこえ、勇気をふるって告白した。
いわばわたし自身を売り渡したのだ。

(夜と霧より)

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