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企業戦士は軍隊的?―ゲルナー先生に聞く産業化とナショナリズム―


(アイキャッチはニューヨーク公共図書館より)

萱野稔人 「ナショナリズムは悪なのか」 NHK出版新書(2011)


序論

 産業化とりわけ資本主義とナショナリズム、あまり関係性を見出されることのない二つの事物ですが、これを気鋭なる視点で突いたのが本書であります。

働き方改革等で日本人にも労働、資本主義に関して再考する機会が近年増えてきていることは周知の事実でしょう。実際、周りからそうした話も聞きますし、職場の同僚のみならず、友人や家族から皆さんも聞いたことがあるのでは?会話の中で、「日本人は労働に埋没している」「奴隷封建制精神()丸出し」「資本主義の犬」…いろいろ聞こえてきますよねwまぁ、分からなくもないですし、私もそんなことで激昂したりしません…wただ、真面目に哲学してみようとなれば話は別です。これは日本特有の事象なのか。日本の環境が上記のような議論を形成させているのか。ズバリ答えから言いましょう。NOです。ヨーロッパでも昔から似たような議論をしてますし、「日本の奴隷封建制精神がそうした議論を惹起している!」わけでもないです。

そこに解、思考材料を提供してくれるのが本書であります。勿論、本書のテーマはタイトルにある通り、ナショナリズムがメインではありますけれども、その中で、個人的に目を引いた当議題について、抄録をつけていきたいと思います。

本論

 社会人類学者のアーネスト・ゲルナーはナショナリズムの起源について、こう述べているそうです。

一般に信じられ、学問的根拠があるとさえ考えられている見解とは反対に、ナショナリズムは人間の心の中に根深い起源を持っているわけではない。…ある特殊な現象を説明するために、一般的な基層を援用してはならない。この基層は多くの表層上の可能性を生じさせる。人間集団を大きな、集権的に教育され、文化的に同質な単位に組織化するナショナリズムというのは、これらの可能性の一つにすぎず…ナショナリズムの真の説明に決定的なことは、その特殊な根源を確定することである。

同書 p.150-151

ここでいう一般的な基層とは巷で耳にする同胞意識や祖国愛のことだと著者は分析されており、これらは可能性の一つでしかないということです。それじゃあ、本源的な、真の解答たらしめるものはなにか…それは産業化であるとゲルナ―は言います。

産業化される前の農耕社会では、身分的差異が誇張され、それによって秩序がもたらされ、横のつながりを断たれた農民らもそれぞれが小さい共同体のもとで生活をしていたのであって、そこには同質化が強調されることはなかったのです。

では、なぜ産業化によって同質化が促されるのでしょう?ゲルナー曰く流動的な社会であるから…だそうです。流動性は一般的に差異を強調するものだと考えられているように思えますが…。ほほー、これは興味深い分析でした。

私なりに掘り下げて補足するとすれば、人々が特定の土地から切り離され流動化し、流動性ゆえに逆に標準化された言語等が必要とされる…ということなのでしょう。目から鱗ですね。私は低学歴なもんですから、同質化のプロセスをここまで深慮したことはないですw

さて、では、その大規模な教育制度は誰が担うんだよ…誰もが疑問に思いますよね。ゲルナ―は偏に国家だと言い張ります。これがナショナリズムに帰結するわけです。ここはメモがてら該当箇所を引用させていただきます。

そのため…この教育基盤の整備は、あらゆる組織の中で最大のものである国家以外のどんな組織にとっても、あまりに巨大でコストがかかりすぎる。しかし同時に、国家だけがこれほど大きな負担を負うことができる一方で、国家だけがまたかくも重要かつ決定的な機能を制御するだけの力を備えているのである。

同書 p.157

或る意味で、軍隊は産業化社会の縮図だよねと著者は漏らします。まぁ、そうだよなぁ(便乗。私が冒頭に他国、ましてや産業社会の祖、ヨーロッパでこうした議論があるよといったのはこの事だったのです。ゲルナー問わず、マックス・ウェーバーも似たようなこと言ってましたし…。近代社会を支える軍隊的要素は、ルネサンスで再興されたローマ哲学とも関係してくるのですが、ここでは割愛。機会があれば、そのことも書こうかと思います(後回し。

結論

 ナショナリズムと産業化について、主にゲルナーの言説を追って哲学してみました。なかなか斬新な視点で、私には新鮮だったのですが、皆さんはどうでしたか?著者は、ドゥルーズ=ガタリの分析もしきりに引用していますので、気になる方は手に取ってみてください。

平等主義ゆえ流動的ではなく、流動的ゆえ平等主義であるというのは言い得て妙だなと。固定的な身分制度を打破した先には、同質化を基調とした社会があり、平等主義が齎される。コロナ禍や最近のご時世からか、閉塞感に苛まれていると周囲の人から相談されたりしますが(低学歴なのに…)、まぁ、普段見えない社会の底をなすロジックが衆目に晒されつつあるのかなと思案してみたり(的はずれかな?。

拙いレビューを最後までご覧いただきありがとうございます。本書はこの他にも、ナショナリズムについて、ゲルナー、アンダーソン、スミスといったナショナリズム論の御三家()を中心に、根掘り葉掘り哲学しています。こちらもなかなか面白いです。人文学界隈ではアンダーソンをしきりに援用するが、想像の共同体なんざ国家だけを指しているのではないなの国民国家を打破し、グローバリズムを唱えても結局は国家の庇護を求めているなど。左右問わず、近代主義に依拠しているというのは個人的に大変共感したり。まぁ、あとは読んでみてください。

・付言

ゲルナーの翻訳書、高くてなかなか買えず…余裕が出来たら買おう(その前に積み本なんとかしろよ



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