万博に参加する動機は「どろどろを覗きたい」? 福島県の30代若手建築家が考える「自分事」と「コミュニケーション」とは
こんにちは。大阪社会部の木村直登です。2025年大阪・関西万博の開幕まで1年を切りました。今回は「建築家に聞く大阪・関西万博シリーズ」第4弾をお送りします。
会いに行ったのは、福島県大玉村を拠点に活動する佐藤研吾さん。
2020年、古民家に建築設計事務所を開設しました。第1弾で取り上げた米澤隆さん※1 と同じく、日本国際博覧会協会(万博協会)の審査で選ばれた若手建築家の一人です。遠く福島から「大阪・関西万博に参加すること」の意味を考え続けていると言います。参加の動機を聞くと「どろどろを覗きたい」という思いもかけない答えが返ってきました。
4月3日のインタビューは加盟社の紙面を通じてお届けしているところですが、拡充・再編した形でお送りします。
※1 米澤隆さんへのインタビュー記事はこちら
「形比べ競争」ではないところで
有名なキャスターが放送をしていたりすると、窓から覗き込む人もいて、建物の外に小さな人だかりができるだろうなと想像しました。万博という大きなにぎわいの中に、小さい場所がどうやったらできるかを考えると、建物の外が大事だなと。
室内と室外を飛び超える、少しゆがんだ円があります。円の内側を「人が集まる領域」と感じられるようにしています。
設計に当たり重視したのは、短期間しか存続しないという「仮設性」です。会場内にはすごい建物がいっぱいできますから、その「形比べ競争」ではないところで何ができるだろうかと。そして、基礎や柱を含めて分解して、移設できるあり方を考えました。
バラバラな物が何かで一つにつながっている。バラバラな物たちが何か一つのものを支えている。「物レベルの関係性」を「今の世界がどうあるべきか」のモデルとして提示できるかな、と思いました。
木を削って造るので、極論すると、原理的には誰でも造れる仕組みを計画しています。ロボットアームや3Dプリンターといった先端技術がある中で、一見すると時代遅れかもしれません。
しかし、進歩的な技術だけが生き残る世界観には限界があります。原発がまさにそうですが、何かのほころびによって突然転覆しそうになる。作り手の「痕跡」が残る建築のあり方にも意義があるのではないでしょうか。
「不純すぎる」動機で参加した
磯崎氏が設計を担当したことで知られるのは「デメ」と「デク」。照明、音響、演出などで活躍した2体の巨大なロボットです。
磯崎氏は、万博についてこう振り返っています。
期待を持って参加した万博。しかし、巨大な「官僚機構」に翻弄され、閉幕後にはこう記すまでになりました。
磯崎さんは万博の主催者や国との折衝の中でボロボロになり、言葉が正しいのか分からないけど「挫折」しました。磯崎さんのように知的で戦略性がある人でもうまくいかなかったんです。どうしてなのか。政治家や役人といった組織構造の意思決定のあり方、大きな世の中の流れをつくり出している「主体なき雰囲気」にむしろ興味がありました。今回の万博はそうした「どろどろしたところ」を覗き込める機会だと思ったんです。
「主体なき雰囲気」にまみれる中で、どうにかして建築をやってみようという覚悟はコンペに参加した時からありました。大変だろうけど、その大変さはどういうものなのだろうかと。明るい未来だけが万博会場にある、というようなモチベーションではないんです。
力強い理想を提示する
※2 万博協会の構造的問題を掘り下げた記事はこちらをお読みください
プロポーザルに参加した当初、藤本さんが手がけるリングには正直なところ少し懐疑的でした※3。巨大だし、リングでみんなを束ねるという感じで(コンセプトが)強すぎるなと。なので、サテライトスタジオの設計は、もう少し、緩やかな輪を考えました。最初はもっとグニャグニャしていて、今も完全な円ではありません。
※3 藤本壮介さんへのインタビューはこちらで読めます
そうした中でロシアがウクライナに侵攻し、イスラエルとハマスの戦闘が始まりました。
ネットやメディアを通して戦争を目の当たりにすると「世界は一つである」という力強い理想を提示する建築家の役割って、すごく重要だと思いました。そもそも世界はどうあるべきかという理想がなければ、何も描き始めることはできません。世界が平和であってほしいと願うくらい、シンプルな話かもしれません。でも、必要なことだと思います。
世の中には、今、目の前で考えないといけないことと、これからずっと考え続けないといけないことがあります。建築家の場合、目の前のクライアントの要望にどう応えるかというようなことも必要だけれど、一方で、この街や世界をどうしていくべきか、ということも考えないといけません。
万博が「みんなが手をつなぐためにはどうするか」ということを考えるための長い射程の出来事なのだとしたら、それもやるべきです。もちろん、それぞれの身近で起きている生活の不安も解消していかないといけない。両輪が必要なのだと思います。
万博参加と周囲の変化
自分は今まで、職人さん一人一人がやりがいを持って造るということや「手で造る」ということを考えてきました。そうした活動からすると、万博に参加することに自分でも意外性があります。他の若手建築家20組と比べても、万博には関わっていなさそうな人間なので。
だから、そんな自分が万博に参加することで、何を引き寄せるのか、どんな変化が起こるのかという立ち位置は常々考えてきました。右か左かを表明しているわけではないけれど、行動によって、イメージは改変されていきます。
単純なところだと、近所の人からの見られ方が「万博、いいね」から「万博、大丈夫?」に変わっていきました。会った途端に「俺は万博反対だから」と言われることもあります。
そうした反応は、メディアが何を発信しているかを見ればだいたい予想が付きます。
福島は大阪から遠いので、「対岸の火事」という感覚があると思います。関心が薄ければ、知らないことを調べません。メディアの情報を見るだけでは、万博やそこに参加する建築関係者はどうやっても具体的なものとしては捉えられないはず。下手をすると、万博は本当にあるのか、始まっているのかいないのか、というレベルになっています。
しかし、都市が開催するオリンピックと違い、万博は国の事業です。もっと、日本全体で考えるべきイベントのはずです。
「物語」としての建築
物事を「自分事」として考えられるようになれば、主体的に情報を精査できるようになります。もっと言えば、主体的な生活ができるようになると思っています。
そのために何をすれば良いか。自分の場合、何かを大衆に働きかけて盛り上げることは能力的にできません。そうなると、やることは単純で、身近なところからやるしかないぞ、ということなんです。
サテライトスタジオの部材は福島県内で仮組みして、万博会場に持って行き、短期間で建物として造り上げます。閉幕後は再び解体して、福島県内に移築し、転用する計画を立てています。東日本大震災後の福島が歩んでいく未来への展開の一助となることへの願いも込めています。自分が実感を持ってできることは、万博で取り組む建築を一つの「物語」として組み立て、より多くの人に関わってもらうことです。これもまた、建築、デザインができることだと思っています。
東北の建築家である自分が遠くの大阪に行って建築を造る。すごく小さな出来事だけど、それを意識的にやることで、少なくとも、自分の周りにいる人、自分の声が届く人が万博を自分事として捉えるきっかけをつくり出せるのではないかと考えています。自分が活動する福島から関心の輪を広げようとしています。
答えのない対話を積み重ねる
万博協会から受注して仕事をしてきましたが、万博そのものについて知っていることは限定的ですし、全体の動きは分かりません。なので、一人の生活者として、費用の増額やパビリオン建設の遅れを心配する人に共感します。イスラエルも万博に参加するそうですが、議論と説明が十分ではありません。
情報発信の仕方は課題です。情報が伝わらなければ、状況はどんどん悪くなるように感じます。ただ、常に何かが「炎上」している様子を見ていると、淡々と説明するだけでは、正確に情報が伝わるとも思えません。そんな中で、一体どういう発信の仕方がいいのか。その筋道は正直、分かりません。
今、福島県内で万博会場に持っていくパーツを制作しています。興味のある方にはぜひ見に来ていただきたいです。賛成か反対かだけでは、話はそこで終わってしまいます。「万博に何が可能なのか」という答えのない対話を積み重ねることがやはり大事だと思っています。私は一人の人間として「あなた」と会話ができます、という感じでしょうか。
ものすごく小さい規模だけど、そこから、有効で確からしいコミュニケーションをしていきたいです。
実感のこもった言葉をどう紡ぐか~取材を終えて
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
確かなコミュニケーションを模索する佐藤さんへの取材を通じて、情報発信のあり方について、改めて考えさせられました。
万博協会が掲げるテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」で、コンセプトは「未来社会の実験場」です。3月には「万博で得られる体験や感動を、国内外の皆さまにメッセージとして明快に伝えていくことを目的」として「ぜんぶのいのちと、ワクワクする未来へ。」というタグライン(ブランドイメージのようなもの)を発表しました。
どれも「それっぽい」けれど、中身が良く分からない、という印象を多くの人が抱くのではないか、というのが率直な思いです。
一連のシリーズで取材した建築家は、どなたもその知識、経験、信念に基づき、万博について語ってくれました。開催の是非は別にして、少なくともそこには話者の実感がこもった言葉がありました。
なぜ万博を誘致したのか、なぜ大阪なのか、なぜ会場が夢洲なのか、なぜこのテーマなのか。巨大な事業ゆえに抽象的になりがちな事柄を、どうすれば実感のある言葉で語ることができるのか。主催者とされる関係者の皆さんにはこうしたことについてよく話し合い、考え続けてほしいと思っています。
建築家に聞くシリーズは担当者(木村)の異動により、今回がひとまずの節目となります。一連の記事が読者の皆さんにとって、万博について考える何らかのきっかけになっていたら嬉しく思います。ありがとうございました。