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万博に参加する「2億円トイレ」の建築家は葛藤を抱えていた。直接会って分かった、その哲学とは

2025年大阪・関西万博は、間もなく開幕まで1年を迎えます。2月中旬ごろからにわかに注目を集めているのが「2億円トイレ」です。会場内に設置されるトイレ約40カ所のうち、若手建築家の手がける一部施設の費用がおよそ2億円かかる、という要素を切り取ったフレーズです。能登半島地震の被災者が断水でトイレもままならない生活を続ける中、SNSを中心に「税金の無駄遣い」という批判が噴出しました。
 
そんなとき、設計を担当する建築家の一人が発信を始めました。

名古屋を拠点に活動する米澤隆よねざわ・たかしさん(41)です。2月25日の上記投稿では「世間をお騒がせしてしまっています」とする一方で、設計者として今回のトイレに込めた思いも記されていました。過熱する議論に何を思うのか。真意を聞きたいと考え、直接訪ねることにしました。


積み木のように気軽に

こんにちは。大阪社会部の木村直登きむら・なおとです。
 
「若手建築家の登竜門」。日本国際博覧会協会、通称万博協会は、会場に設けるトイレをこんなふうに位置付けています。トイレや休憩所の設計について、万博協会は今後の活躍が期待される若手を対象に募集しました。1970年大阪万博でも、建築家の黒川紀章氏やデザイナーのコシノジュンコさんといった新進気鋭のクリエイターが起用され、その後の飛躍のきっかけとなった歴史があります。
 
米澤さんは万博協会の審査で選ばれた若手の1人です。米澤さんがどんなトイレを設計しているのか、見てみましょう。

トイレのイメージ図(米澤隆建築設計事務所提供)

約850平方メートルという広いスペースに、60基の便器がある大規模施設です。イメージ図を見ると、色とりどりの直方体や三角形で構成されています。それぞれの直方体の中には数基のトイレがあり、三角形は雨や強い日差しを遮る屋根の役割。イメージ図ではトイレ待ちをしている人たちも、三角形の下に並べるように配置されています。

トイレのイメージ図(米澤隆建築設計事務所提供)

米澤さんはコンセプトについて「積み木のように気軽に組み替えられる」と説明します。一つ一つが独立した構造になっているので、移設が簡単です。閉幕後の用途は未定ですが、例えば、直方体2つと大きな三角形1つをどこか遠くの公園の休憩所に、直方体4つと三角形4つを別の公園の公衆トイレに、という移設の方法を想定しています。

万博は「メッセージを具現化する機会」

米澤さんには3月1日、名古屋でインタビューする機会を得ました。およそ1時間、じっくりと聞いた話の一部は加盟新聞社向けの記事として配信しました。今回のnoteでは、紙面に載せきれなかった詳しいやりとりをお届けしたいと思います。まずは1970年大阪万博との比較から話が始まりました。

米澤隆さん

―万博に参加しようと思ったいきさつを教えてください。

大阪・関西万博は建築界では注目されていました。1970年大阪万博では既に有名だった丹下健三さんや、その後、華々しく活躍される黒川紀章さんらが関わっていました。万博が革新的な建築を生む機会になってきたというのは歴史上、周知のことです。今回も若手を対象にした公募があり、ぜひとも、という思いがありました。
 
―設計はどのように考えたのですか。

万博は、期間が半年と限られています。そこに巨額の費用が投じられる。閉会し、廃棄する、だけでは環境への負荷が大きすぎます。現代社会では、限られた資源をどう活用していくかが問われます。
 
70年大阪万博で花開いた、黒川紀章さんを中心とする「メタボリズム」という建築思想があります。生命のように新陳代謝していく建築です。この考えをもう一度、見直すことは有効だろうと考えました。閉幕後に建築を輸送可能なスケールに分解し、移設先で必要な個数や形状に組み替えることができます。
 
―70年のメタボリズムと今回の建築の違いは何ですか?

70年万博後に完成した「中銀カプセルタワービル」(東京・銀座)が象徴的です。一つの構造体にカプセルが付いています。このカプセルが時代に応じて更新できるという考え方です。

中銀カプセルタワービル

中銀カプセルタワービルは2022年に解体されました。本来残るはずの構造体は解体され、更新されるはずのカプセルは貴重な文化財だということで転用されました。残るものと残らないものが逆転したのです。
 
今回の提案は、強い構造体は持たずに個々のユニットだけで構成します。一見奇抜ですが、一つ一つは単純です。積み木のような構造は、来場する一般の方にも分かりやすくメッセージを体験してもらえます。
 
70年万博を通して、思想だったメタボリズムは実現に向かっていきました。形を出すことで羽ばたいていったのです。万博は自分の理念、メッセージを具現化する機会です。

目指したのは「生態系のような建築」

―70年大阪万博、2005年愛知万博における建築とは何だったのでしょう。

70年万博は太陽の塔に象徴されるように、一つ一つが個性的でアイコニックです。閉幕後には少々お金をかけてでも、転用しようという動きがありました。大阪万博で使われたパビリオンだということに値打ちがありました。
 
愛知万博は、地球の資源に限りがあることが見えてきた時期で「環境」が打ち出されました。リデュース、リユース、リサイクルの3Rが徹底され、資材も転用しやすいように規格が統一されました。資材のリユースのためのウェブサイトもできて、そういう意味ではすごく成功しました。しかし、資材にして転用するので、元の建物の形は分からなくなってしまいました。
 
この2つから学んで、今回の万博では、建築が持っていたメッセージ性をとどめながら転用できることが重要なのではないかと考えました。それぞれが独立して多様だけれども、全体として一つにまとまっている、生態系のような建築です。

「未来への投資」に魂を込める

「2億円トイレ」と呼ばれることについて、米澤さん自身は何を考えるのか。話題は能登半島地震の被災地にも及びました。 

建築について説明する米澤さん

―万博そのものには批判が根強いです。参加することへの懸念はありましたか。

現在の社会に、万博ってどんな意味があるのだろうと考えました。インターネットでいろいろなことを知れますし、海外にも気軽に行けるようになりました。半年間の会期のためだけに膨大なエネルギーを使います。環境負荷を考えれば、手放しで「万博、万歳」とはなりません。

 一方で、半年しか使わないからこそ実験的になれる面もあります。社会や世界、環境を見据えて自分なりのメッセージを発するチャンスでもあります。課題への答えを示さないといけません。

 ―「2億円トイレ」と批判されています。

「デザイナーズトイレ」という言われ方もそうですが、パワーワードがすごく独り歩きしていると思います。そこで想起されるのはリッチでラグジュアリーなもの。「2億円トイレ」を擁護する有識者の中にも「世界から来る方へのおもてなし」とか「日本のトイレは世界に誇れる」という方が一部でいらっしゃる。でも実際に僕らがしていることは、未来のスタンダードをつくる、新しい建築の在り方を示すという挑戦なんです。

―経済産業省や政治家からは「平米単価で見ると高くない」という擁護の声もあります。

すごく、言葉選びが難しいのですが…。

 「何に」「何のために」2億円をかけているのかという議論が不在だなと。「移設転用の実験に2億円を使うのはもったいない」と言われるのであれば、妥当な批判です。その2億円が社会にどんな影響、効果をもたらすのか。そういうことを知っていただけるとありがたいです。

 われわれがすごく儲けていると思って批判する人もいます。そんなことはなくて、エゴで参加している建築家はいないと思います。もちろんある程度、野心はあります。歴史をつくるんだという野心です。

 大阪府の吉村洋文知事には「トイレに魂を込めて」と言っていただいたけれど、魂を込めているのは未来への投資なんだ、ということがもっと伝わってほしいですね。

大阪府の吉村知事。後ろに見えるのは飛行機の機体に描かれたミャクミャク

―元日には能登半島地震が起きました。

葛藤がないわけではないです。
2011年の東日本大震災の翌日に、先輩の結婚式があって参列しました。すごく複雑でした。世の中は喪に服している感じで、一方はお祝いで。その1カ月後、仮設住宅や避難所の調査のため、被災地に入りました。復興的なことと祝祭的なことが同時に進むのが社会です。もちろん、能登半島のことは無視できない。ウクライナやパレスチナで起きていることも。日本社会の未来も考えないといけない。いろいろなことが並走して進んでいます。
 
ちなみに、能登半島地震の被災地では「インスタントハウス」というものが造られました。

私はこれを造った、名古屋工業大学の北川啓介きたがわ・けいすけ教授の研究室に所属していました。インスタント、気軽に建築できるところが、私のトイレ建築と思想的に通じています。すぐには難しいけれど、私たちが考えている建築の在り方も、将来発生する災害の被災地復興に役立てたらと思っています。

 ―今回、SNSで発信を始めたのはどんな思いからですか?

半年間の会期のためだけに莫大なエネルギーをかけるべきなのか、という皆さんの疑問と、私の理念の出発点には重なるところがありました。「移設転用という建築の在り方を考えています」と言おう、と。

この社会は複雑で多様で、変化が非常に早いです。そういう社会に対して柔軟に対応できる建築の在り方を私は常日頃から考えてきました。それぞれの建築家がどんな理念を持っているのか、もう少し知ってほしいと思います。思想的な話はキャッチーではないので、伝えるのは容易ではないのですが…。

編集後記~比較できるものなのか

70年大阪万博の思想を受け継ぎつつ、現代社会に求められる形にアップデートし、形にしていく。知識や的確な観察眼に裏打ちされた米澤さんのお話はダイナミズムにあふれていました。もちろん、米澤さんの思想を理解することと、2億円の経費を投じることの是非は別次元の話です。それでも、その哲学は少しでも広く知られてほしいと思い、今回noteにまとめることにしました。
 
取材を通じて強くなった思いは他にもあります。万博の情報発信がこれで良いのか、ということです。米澤さんは個人の立場で発信を始めました。今回の「2億円トイレ」について、これまでのところ、主催者である万博協会は知りうる限り、自ら発信していません。予算を投入するかどうかを決める主催者が、「何に」予算を投じるのかについて、なぜ国民の理解を求めようとしないのでしょうか。
 
経済産業省や大阪府、大阪市はトイレへの批判が巻き起こって以降、一般的な公共トイレと平米単価で比べて「高くない」と声をそろえています。米澤さんのトイレ建築は「一般的な公共トイレ」と比較できるものなのでしょうか。擁護の仕方が「高くない」というだけでは、米澤さんが設計に込めた哲学を不当におとしめることにつながりはしないでしょうか。
 
万博を巡る論点は多岐にわたります。一過性のキャッチーな言葉だけに注目するのではなく、その背景を掘り下げて、より多くの方に考える材料をお届けしたいという思いで、これからも取材を続けていきます。
 
※木村記者が万博開幕500日前に合わせて書いた「若手記者が本気で万博について考えてみた。(前編)」はこちら

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