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ギャップを持つ文章の美しさ

誰しもが「ギャップ」を感じることに
遭遇した経験があるはずだ。

「裂け目、大きなずれ、食い違い」などの意味を持つこの言葉は、どちらかというとネガティブな意味をともなうのだけども、最近はポジティブな場面で使われることも増えてきた。

普段は頼りない人がここぞという場面で優秀な一面を見せたり、クールなイメージを持っていた人が実は熱い気持ちを隠し持っていたり、いつもはだらしない格好をしていた男がスーツを着こなしているとかっこよく見えたり。

「それまで」との溝が深ければ深いほど「ギャップ」という力は真価を発揮する。実際の差、以上のインパクトを相手に与えることができるのだ。

自分も漫画やアニメなどに登場する三枚目のキャラクターが、ここぞという場面で発揮する男らしさにいつも胸を打たれる。

「金色のガッシュ」という作品に登場するフォルゴレというキャラクターはまさにそういう男で、彼が物語の終盤で魅せた漢気のある姿に当時、成人済みだった自分は気づいたら涙を流していた。

というか「金色のガッシュ」という作品を読んで、泣かない人間などいるのだろうか。誰か調査してみてほしい。

話が逸れてしまった。

自分は、フォルゴレの例のように「ギャップ」というものは、体感を上回るほどの力で遭遇した人を惹きこむことができると思っている。

そんな「ギャップ」という言葉の力。
実は、歌詞にも登場することが多い。

今回は、自分が出会った文章の中で
最も強く印象に残っている「歌詞」を紹介したい。

クリスマス/amazarashi

この作品は「amazarashi」というアーティストによって作られた「クリスマス」という楽曲のミュージックビデオ。

「クリスマス」というタイトルと、3DCGによって製作されたアニメーションのサムネイルから、何となく「ほんわかとした温かい楽曲」を想像する人が多いかもしれない。

しかし、この「クリスマス」という楽曲では、世間の人々が想像するような煌びやかな「クリスマス」が描かれているわけではない。

そこにあるのは「クリスマス」という華々しいイベントと対比されるように描かれる、理想の世界との間に存在する隔たりに絶望する人々の姿だ。

この楽曲では、いたるところに「ギャップ」を感じる表現がちりばめられている。

雪が降りつもって綺麗な景色へと様変わりするように、どうしようもない日々は無常に積みかさなり、戻らない歳月に変わる。

街の汚れをかき集めるように流れるドブ川。
それでも、水面に映る冬の星座は美しいまま。

綺麗な世界に期待を込めたかと思えば、すぐさま現実を見せつけるように添えられた言葉の表現に、何度も胸が締め付けられるような感覚にさせられる。

そんな「amazarashi」が作り出す世界観が見える歌詞の中でも
自分が特に印象に残っている文章がある。

どこか遠くミサイルが飛んで
流星と見間違えた少女

願いを一つ唱えたところ
今日は美しいクリスマス

クリスマス/amazarashi

初めてこの歌詞のフレーズを聴いたとき
とてつもなく「美しい文章」だと思った。

サビのたった二行の文章。
この文章の前後の空白に込められた
「ストーリー」と「ギャップ」

その二つを、ここまで綺麗に落とし込める文章があるんだ、と。
心底驚かされたし、今も心に強く刻まれている。

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描かれるのはクリスマスを楽しみに待つ少女。
その日の夜、咄嗟に見えた流れ星に願いを込める。

しかし、実際は流れ星なんかではなくて
遠い国で誰かを傷つけるために発射されたミサイルだった。

少女はその事実を知らぬまま流れ星だと思い込み
飛んでいくミサイルにプレゼントを願う。

今の苦しい世界から抜け出したいと、祈りを込めて。

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たった二行の文章の奥に
これだけの情景とストーリーを想像してしまう。
いや、自然と脳裏に浮かんでくる。

「流れるミサイル」「流れ星と見間違えた少女」
二つの出来事の間に横たわる「ギャップ」

それによって映し出される情景が残酷に対比されることで生み出される「儚いほどの美しさ」が、この歌詞には存在している。そう思うのだ。

自分は「ギャップ」を持つ美しい文章が好きだ。
言葉が持つ力以上に、人の心を響かすことができるから。

だから、これからもそんな「ギャップ」を持つ美しい言葉や文章に出会いたい。

amazarashi「クリスマス」を聴いて
「今年も、もう終わりだなぁ」なんてことを考えながら、思ったこと。

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