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USA・MAP

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ウサギノヴィッチにエッセイマガジン。主に短編小説の書評のようなエッセイ中心だが、文学周りだけでなく、サブカルやガジェットまで取り扱う、なんでもエッセイ。
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#エッセイ

新宿の飲み屋でフィルムカメラと野性爆弾のくっきー!(ウサギノヴィッチ)

 この前の日曜日、二月十七日にPさんとあんなさんと新宿で飲んだ。  楽しかった。  実はその前に、ぼくは十年以上付き合いのあるコンビニでアルバイトをしていたときの先輩と会っていたし、Pさんは元同人活動をしていた、ぼくも知り合いの人と会っていた。  だから、Pさんとあんなさんに会うのはぼくにとっては二軒目ぐらいのつもりでいた。  なので、前のテンションを保ったまま二人に会っていて、しかも、そこにお酒がプラスされていい感じに酔っ払ってしまった。  あんなさんは、台湾に留学をしてい

書評はこれで最後になるかもしれません。

どうも、ウサギノヴィッチです。 今、ぼくはどうしてもヤバイ小説が読みたくてたまりません。 たとえば? と言われて、具体的に小説家の名前は出てきません。 お芝居で言ったら、松尾スズキみたいな野蛮でシニカル笑いが詰まったもの。つまり、アンタッチャブルな感じのものを題材にしているような小説が読みたくて仕方がないんです! 今回、それを期待して閻連科の小説を読んだんですが、普通でした。 閻連科の長編は異常な小説が多いんですよね。発禁を受けたりしているものも多いので。 選書をしている

ダラダラとした新年(ウサギノヴィッチ)

どうも、ウサギノヴィッチです。 新年明けましておめでとうございます。 本年もいろいろと書いていく予定なので、よろしくお願いします。 さて、今日は元旦です。 休みでなぁ〜んにもすることがない。 まぁ、やることはあるんですけどね、ラジオの編集したりとか、読書会の小説を読んだりとか。 でも、それよりぼくが毎年年末年始にやっていることは、小説を書くことです。一年の最初からストイックに書く姿勢でいることを自分に植え付けることを毎年しています。それをほぼ毎年やっています。 だから、昨

保守的な自分と、二年越しに深夜ドラマを全話見た(ウサギノヴィッチ)

 「下北沢ダイハード」をやっと見終えた。  そもそも、「下北沢ダイハード」とは? と思う人がいると思うがそれについて、Wikipediaから簡単に引用したいと思う。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 『下北沢ダイハード』(しもきたざわダイハード)は、テレビ東京系列のドラマ24枠(毎週土曜日0:12 - 0:52〈金曜日深夜〉、JST)で、2017年7月22日(21日深夜)から9月30日(30日深夜)まで放送されたテレビドラマ。 概要 演劇の街として知られる下北沢

「いだてん」の吹越満の使い方(ウサギノヴィッチ)

 遅くなりましたが、大河ドラマの「いだてん」が終わりましたね。  視聴率は史上最低によくないみたいですが、ネットでの反響はよかったなどとYahooかどっかの記事で見ました。  ぼくはnoteで語ったような気がするけれども、今、自分のマガジン探したけど見当たらないから、もしかしたら「好奇心の本棚」で語ったのかななんて思って見た。ただ、探すのは面倒臭い。いや、今探したがなかった。  だから、今から話すことは、初めて書くことなのだろう。  ぼくは、何度もぼくの中では言っているよう

失敗した自論、又の名をただ徒然なるままに(ウサギノヴィッチ)

だれかが言っていた。 「霜降り明星はダウンタウンの影響を受けていない」と。 この場合のお笑いの影響は、特には漫才のことを指す。 霜降り明星は、大体二十代後半だったような気がする。 そんな年の子がダウンタウンの漫才なんか見たことがあるだろうか? いや、あるとは思うが、そこで影響を受けていないと言うことだ。それはお笑いにとっては新しい世代の登場なのだ。 それを別のジャンルで考えて、ぼくがよく語る「文学」に置き換える。 文学は本屋に行けば新しいのがあるし、古本屋に行けば古い本だ

あれば、ちょっとは便利なもの。なければないで、不便ではないもの。それくらいがちょうどいいのかもしれない。(ウサギノヴィッチ)

 Apple Watch series5を買って、使って一ヶ月半が経つんで、そのレビューをしたいんですけど、前からしたかったですけど、できなかったから、今やるんですけどね。  ぼくは、一番最初の奴を四、五年くらい使い続けたんですけど、それとの比較になってしまうと、圧倒的にseries5がいいに決まってますよ。  なにがいいかというと、まず画面が綺麗になった。昔の画面はどこか燻んだ色をしていたので、今の発色はすばいらしい。パソコンとかiPhoneとかと同じような発色をしている

古い訳と新しい訳との狭間で(ウサギノヴィッチ)

どうも、ウサギノヴィッチです。 今回は難敵でした。 ゴーゴリの『外套』です。 ラジオの収録が終わると二人で本屋さんに行って、次回収録の読書会の課題本と自分が読みたい本を買うんですが、ぼくがこのエッセイやっているのを知っているので、「なにかいいのない?」みたいなことを尋ねたら、「ゴーゴリがいいじゃない?」という話になりました。 でも、その本屋さんにはゴーゴリの本が売り切れていて、別の日に、別の本屋でそういえば、P さんがそういうことを言っていたなと思い出して、岩波文庫のゴーゴ

言われなくてもやってると思うけど、やりたいようにやりなよ(ウサギノヴィッチ)

どうも、ウサギノヴィッチです。 小説、特に純文学に登場する主人公は大体コンプレックスの塊みたいな人間が多いような気がするなぁと思います。 そうすることで、同じ悩みを持つ読者の共感を呼んだり、違う思想の人にインパクトを与えるというのがあるのではないだろうかというのがあります。 それに、悩みがない人間が登場することに進むのはエンターテイナー的な話で、敵が出てきたら戦ったり、仲間と交流したり喧嘩したり、まぁ、なにも考えてないわけではないけども、物語はスイスイ先に進んでいくのではな

カフカの第四の長編はほんとにあったのか?(ウサギノヴィッチ)

 どーも、こんばんは、ウサギノヴィッチ。  今日は、「ドクターホフマンのサナトリウム ~カフカ第四の長編~」というお芝居を観てきたので、それについて語っていきたいとおもいます。    まず、作・演出はケラリーノ・サンドロヴィッチです。主演は多部未華子と瀬戸康史。  あらすじは、婚約者が戦死した知らせを受けて、それを確かめに行く女性の話と、カフカの未発表の長編が書かれたノートの出版についての騒動が描かれる現代の話がだいたい交互に展開されます。  ここで言いたいのは、だいたい交互

ぼくは大変な勘違いをしていたようだ(ウサギノヴィッチ)

どうも、ウサギノヴィッチです。 今回は、短編と並行して読んでいた長編が一本読み終わったので、それについて語っていきたいと思います。 それが、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』です。 あらすじは、岩波文庫の表紙から引用すると…… 19世紀末、ロンドン。画家のモデルをつとめるドリアンは、若さと美貌を映した自らの肖像画を見て、自分自身はいつまでも若々しく、年をとるのは絵のほうであってほしいと願う──。快楽に耽り悪行に手を染めながら若さを保ちつづけるドリアンと、彼の

『バナナフィッシュにはうってつけの日』って言う訳し方は、ズバリピタリでカッコいいと思う『ウサギノヴィッチ)

 どうも、ウサギノヴィッチです。    今回はJ.D.サリンジャーの『バナナフィッシュ日和』です。別の訳だと『バナナフィッシュにはうってつけの日』というタイトルになります。    この作品は、過去に読んだことはあるのですが、ラストのシーンがあまりにもインパクトがあって、最初から読んでみるとなんか新鮮な気持ちで読めました。  あらすじは、ある兄妹がフロリダに来て、兄であるシーモアが海辺で知り合った女の子と話をしながら海で遊ぶという話だ。  そして、遊び終わった後にホテルに戻ると

阿部和重のことを解剖した哲学者、千葉雅也(ウサギノヴィッチ)

 どうも、ウサギノヴィッチです。    今、電車に閉じ込められているときに、このエッセイを書いています。    今回は、USA・MAP初めての哲学書を取り上げたいと思います。と言っても、そんなに難しい本ではなく、対談集です。  千葉雅也の『思弁的実在論と現代について──千葉雅也対談集』という本の中の「中途半端に猛り狂う狂気について」です。対談の相手は、作家の阿部和重です。    話は、阿部和重の初期の作品から現在の作品まで縦横無尽に語りますが、そんなに新しい発見があるか? と

期待を裏切らないと言うこと(ウサギノヴィッチ)

どうも、ウサギノヴィッチです。 今回の作品は、イギリスの作家であるトーマス・ハーディの『三人の見知らぬ客』です。 あらすじは、推して知るべし。 とある田舎の家でパーティーをしていたら、雨に濡れた一人の知らない男がやってくる。 そして、また次の男がやってくる。また、時間をおいてやってくる。 最後には、近所の監獄で死刑囚が逃げ出したという知らせがやってくる。 この男たちは一体何者なのだろうか? 一種のミステリーにも似た雰囲気を漂わせて、物語は進行していく。 さて、冒頭に推し