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阿部和重のことを解剖した哲学者、千葉雅也(ウサギノヴィッチ)

 どうも、ウサギノヴィッチです。
 
 今、電車に閉じ込められているときに、このエッセイを書いています。
 
 今回は、USA・MAP初めての哲学書を取り上げたいと思います。と言っても、そんなに難しい本ではなく、対談集です。
 千葉雅也の『思弁的実在論と現代について──千葉雅也対談集』という本の中の「中途半端に猛り狂う狂気について」です。対談の相手は、作家の阿部和重です。
 
 話は、阿部和重の初期の作品から現在の作品まで縦横無尽に語りますが、そんなに新しい発見があるか? と言われれば、そんなにない。阿部氏が蓮實重彦の影響下の中にいることだったり、元々は映画を撮りたかった人間だったりとか。そんなことは、阿部和重を語るときには、別に常識だから語ることはない部分かもしれないが、そういうことを自分で言っていた。
 
 哲学的な答弁は若干あるものの、哲学を知らなくても注釈なくても読めると思います。そこに出てくる哲学者や批評家はただのアイコンというか、話の登場人物として登場するだけで、具体的な難しい論を披露することはありません。
 この部分はものすごく評価するし、この対談は、阿部和重論としても出来上がっている部分があると思う。
 
 そういえば、自分も阿部和重については、一本エッセイを書いていることを思いだした。

 ちょうどこの話に出てくる部分的なことについて、書きたいと思う。
 それは、ある仮装パーティにセーラームーンの格好をしている人がいるということた。
 ここについて言及されているのは、「紋切り型の記号に対抗せざるをえない」といっている。
「紋切り型のイメージをずらすということが文学の役割の一つだ」ともいっている。

 いやー、話してる内容はわかるけど、内容はついて行けてるのか不安ですわ~。
 僕は紋切り型をよく自然と使ってしまう人間なので、というか、紋切り型の文書を未だに理解出来ていない節もある。 
 今、辞書で調べました。
 でも、僕は紋切り型を使ったとしても、そのあとのことで新しいことをしようとはしているはずなんですけどねぇ。というか、紋切り型が使う時点で既にアウトというのもある。
 小説の新人賞の下読みの人でも、紋切り型の文章が続いたらきっと落とすでしょうね。
 阿部和重の試みは特殊で、紋切り型をあえてやって、新たなる意味を付加していくことなんでしょうね。
 それは高度なテクニックだと思います。
 さすがはプロだと思います。
 素人や新人賞でやったら、よっぽど説得力ない限り上には上がれないのかも知れません。
 でも、ぼくも仮装パーティーがあったら奇妙な別の格好の人に1回視点を当てるかもしれない。
 それは阿部和重の方向性とは別だ。
 ぼくの場合は、笑いだ。こんな人が仮装パーティーにいるんですよーっていうことで、笑いを誘う。
 まぁ、自分と阿部和重が似てるなんて言えないし、最後に似てるかもしれないとアピールしてしまったが、やっぱり、自分には手が届かない人だと思う。
 オーガ(二)ズムも面白いが、長いことで途中で止めている。
 とにかく、彼は普通の作家ではないということは言えるのではないだろうか

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