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古い訳と新しい訳との狭間で(ウサギノヴィッチ)

どうも、ウサギノヴィッチです。

今回は難敵でした。
ゴーゴリの『外套』です。
ラジオの収録が終わると二人で本屋さんに行って、次回収録の読書会の課題本と自分が読みたい本を買うんですが、ぼくがこのエッセイやっているのを知っているので、「なにかいいのない?」みたいなことを尋ねたら、「ゴーゴリがいいじゃない?」という話になりました。
でも、その本屋さんにはゴーゴリの本が売り切れていて、別の日に、別の本屋でそういえば、P
さんがそういうことを言っていたなと思い出して、岩波文庫のゴーゴリの本を買いました。

はい、それが地獄の始まりだったんです。

数日後。

このエッセイのために、岩波文庫版の『外套』を読み始めます。
……読みにくい。
もう、冒頭がこんな感じですから──

 或る省の或る局に……併し何局とははっきり言わない方がいいだろう。おしなべて官房とか聯隊とか事務局とか、一口にいえば、あらゆる役人階級ほど怒りっぽいものはないからである。

これで伝わるかなぁ。でも、「或る」とか「聯隊」とか、難しい漢字を使う時点でなんかもう眠さを誘って、思考を停止させるような気がします。
んで、昔に、『鼻』を読んだときに光文社古典新訳文庫があったかもしれないと思って、本棚を漁ってみたら、ビンゴだったので、そっちに切り替えて読み始めました。
以下冒頭の同じ部分の引用。

 えー、あるお役所でのお話でございます……。まあ。ここんところはそれがどこのお役所であるのかは申し上げないほうがよろしいでしょうな。なにしろ、省庁にしろ。連隊にしろ、官庁にしろ、ひとことで申しまして、お役人ってえ人はどこの世で気のみじかい人はございませんから。

落語調になっていて、一見読みやすくはないっているものの、ちょっとリズムを崩されるところも目につきます。(ぼくだけかな?)

んで、読み進めていくですが、結局、なにが面白いのかわからないまま終わってしまった。
外套はキーアイテムだったけど、アカーキー・アカーキエヴィチの半生が濃くて、頭に入ってこなかったです。
そして、外套が新調されただけなのに、パーティーなんか催されちゃってるし(誕生日会のついでだけど)
細かいネタもあるんだけど、なんかシリアスに受け止めて読んでしまったし、それが滑稽話ようには思えなかったし。
ドストエフスキーが「我々は皆ゴーゴリの『外套』から生まれ出でたのだ」と言っているが、いまいちその真意がつかめない。
ただ、今回のエッセイを書くためにもう一度あらすじをさらってみたが、シリアスなコメディとして受け取れるのではないだろうかとは思った。悲劇と喜劇の背反するところは感じられた。
ただ、もしまた新しい訳で出るなら落語調ではなく、しっかりとした普通の文体でお願いしたいと思った。

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