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『バナナフィッシュにはうってつけの日』って言う訳し方は、ズバリピタリでカッコいいと思う『ウサギノヴィッチ)

 どうも、ウサギノヴィッチです。
 
 今回はJ.D.サリンジャーの『バナナフィッシュ日和』です。別の訳だと『バナナフィッシュにはうってつけの日』というタイトルになります。
 
 この作品は、過去に読んだことはあるのですが、ラストのシーンがあまりにもインパクトがあって、最初から読んでみるとなんか新鮮な気持ちで読めました。
 あらすじは、ある兄妹がフロリダに来て、兄であるシーモアが海辺で知り合った女の子と話をしながら海で遊ぶという話だ。
 そして、遊び終わった後にホテルに戻ると、唐突にピストルをこめかみに当てて自殺をする。
 
 この唐突感がなんとも言えない。カッコイイと思ってしまうし、深く考えなければ、この自殺には動機が書かれていないから、ミステリアスだし、急展開な感じで、非常にぼく好みだ。
 今回、改めて最初から読んでみると、シーモアは戦争に行っていて、帰ってきてから心が病んでいることが作中でわかる。また、言動も若干怪しいところがある。それは、作品の中でも、作者さえもが腫れ物に触るように、シーモアという名前を出さずに、「彼」とか抽象的な三人称にして書いている。
 海辺では陽気に遊んでいたが、ホテルに帰ってきたときに一緒に乗り合わせた女性客に対して、喧嘩を売っている。それは気性が荒いとも言えることだが、それでも、作品の最初のほうで書かれた神経を病んでいるという証拠を積み重ねていくと、彼はそういう病気にかかっていることがわかる。
 ただ、これは一個の推論であって、答えは死んでしまったサリンジャーしか知らないことだろう。
 そもそも、この話はグラスサーガの始まりとも言っていい作品なわけで、短編集である「ナインストーリズ」の一番最初に入っている。サーガとつくわけだから、これは連作短編なわけである。ここだけ抜き出して評価するのは、変な話だが、この企画が終わったら、是非ともじっくりと読みたいと思った一冊である。
 
 サリンジャーは『ライ麦畑でつかまえて』も有名だが、ぼくはその作品はものすごく苦手で読むことを途中で諦めてしまった。そのときのことはもう記憶からは消えているが、非常に読みにくかったということでしか認識してない。
 それが、グラスサーガになると一変して読みやすく感じのは、何故だろうと思ってしまう。まぁ、『ライ麦畑でつかまえて』は少年の話で一人称だったような気がするから読めなかったのかもしれない。今回は三人称でテンポも非常に良い。自分も人から読みやすい小説を書きたいとは思っているが、さすがにサリンジャー大先生にはまだまだ到底及ばないです。
 頑張って書かなければならないと奮起させる作品だ。

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