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ぼくは大変な勘違いをしていたようだ(ウサギノヴィッチ)

どうも、ウサギノヴィッチです。

今回は、短編と並行して読んでいた長編が一本読み終わったので、それについて語っていきたいと思います。

それが、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』です。
あらすじは、岩波文庫の表紙から引用すると……

19世紀末、ロンドン。画家のモデルをつとめるドリアンは、若さと美貌を映した自らの肖像画を見て、自分自身はいつまでも若々しく、年をとるのは絵のほうであってほしいと願う──。快楽に耽り悪行に手を染めながら若さを保ちつづけるドリアンと、彼の魂そのままに次第に恐ろしい醜悪な姿に変貌する肖像画との対比を描く。

ぼくは岩波文庫のほうを読みましたが、今引用しているときは、初めてこんなあらすじだったんだとして、「はっ」となりました。
あぁ、こっちの視点で読んでいれば、もう少しちゃんとした解釈ができていたのになぁと思いました。

んで、ぼくは以前に光文社古典新訳文庫のほうのあらすじで知っていました。
それが次の引用です。

美貌の青年ドリアンと彼に魅了される画家バジル。
そしてドリアンを自分の色に染めようとする快楽主義者のヘンリー卿。卿に感化され、快楽に耽り堕落していくドリアンは、その肖像画だけが醜く変貌し、本人は美貌と若さを失うことはなかったが……。

さて、ぼくは今回の作品を読んで、BL的な要素があるような感じがあると感じがしました。
光文社の「快楽主義者」というのを辞書も調べないで、ヘンリー卿となにかただならぬ関係があるのではないだろうかと、ぼくは思ってしまったのです。
実際、作中では、二人は食事をしたり、お互いの家に行ったり、オペラ座に行ったりするだけです。
んなぁ〜、ことはないだろ〜! とぼくは想像してしまいます。
もしかしたら、もしかしての関係はあるだろうー?と思いながら読んでました。
でも、ドリアンは一回女性を好きになるし、婚約したいという風になる件があるのです。
だから、あぁ、普通のノンケなのね〜。と思ったのですが、今書きながら考えたんですけど、ヘンリー卿の視点から考えると、すごい嫉妬の嵐になるかもしれないとも思いました。
三角関数です。
それがダメなら、卿は影の男となって、秘密の関係は続いていく。もしくは、もともとは友人みたいな関係なのだから、二人で関係があっても問題ないよね、という密約みたいなのがあったかもしれない。
想像は無限大に広がります。
読んでいて、大人しい小説だなぁ〜と思いました。男同士の愛みたいなものを少しでもあったらいいなみたいなことも少し期待しながら読んでいましたがそんなものはありませんでした。

そんなことは、置いといて。
作品は本当にあらすじが語っているように、年をとらないドリアンと、年をとる肖像画の対比の話です。悲劇です。
前に書いたように、女性、いや、舞台女優を好きになるところから、物語が大きく動き始めます。もし、そこで女優を好きにならなかったらというifみたいな話を考えてしまうし、ある告白をする画家のバジルも、ドリアンを肖像画として描かなければ……。とか、ドミノ倒しのように悪いことが展開してされます。
個人的には好きです。面白かったです。
筋がわかりやすいから、最後もあぁこうなるのね、なところはありますが、そこまで行き着くまでの人々の描き方に感情移入ができたところが良かったです。

以上、ざっくり、とですが、今度だれかぼくを池袋にある、とらのあなかK -BOOKSに連れて行ってください。

それでは!


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