日本初のワードプロセッサを発表した当時の東芝がGoogleみたい、と思った話。
毎週月曜日に「はたらくおとな限定 今週のビジネス雑談」でその日に合わせたビジネスに使える話題を5営業日分まとめて投稿しておりますが、本日は番外編で、ワープロが製品開発という視点でみると面白かったのでメモ。
1、日本初(=世界初)の日本語ワープロ発表!
今日、9月26日は1978年(昭和53年)に東芝が世界で最初の実用レベルの日本語ワープロJW-10を発表した日です。
翌年発売されたときの値段は、630万円!
英文のワープロはすでに1964年にIBM等が発表済みでしたが、日本語では、漢字変換などの問題があり、開発は困難と思われる中、東芝をはじめ様々な企業、機関で開発が進められたそうです。
2、当時の東芝の制度「アンダー・ザ・テーブル」
題名にした、Googleみたいな制度についてです。興味深いのでご紹介します。
学界を含む当時の考えでは、日本語を英文のワープロのように処理することは不可能に近いとみられており、タイプライタから一気に日本語ワープロの開発を行うための本格的な予算措置などは認められなかった。そのため東芝社内では、「アンダー・ザ・テーブル」と呼ばれていた、研究グループが自主的に設定する水面下の研究テーマとして開始された。それは研究時間や予算のうち10%~20%のみを利用することが認められるものであった。
(公益社団法人 発明協会ホームページより)
なんかGoogleみたいですよね。
この制度を使って開発され、世界初、につながったそうです。
3、開発者のニーズ調査方法と想定アウトプット
開発を担当した森さんは市場調査をし、作る製品のコンセプトを決めますが、その過程とコンセプトがまた興味深かったです。
森は英文のように簡単にタイプができる機能を持った日本語タイプライタの開発を行うこととした。そして、その具体的ニーズを調査する過程で新聞社への聞き取りを行ったところ、新聞制作の工程では活字化までに、①記者による記事の執筆、②電話での記事受け取り、③文選工による文字拾いといったプロセスを経る必要があることが明らかとなった。森は、こうした文章作成プロセスをも簡略化できる日本語ワープロの研究を進めることとした。
研究開発の開始時、森は日本語ワープロのコンセプトを以下のように設定した。
①手書きで、清書するよりも早く文章の作れるもの
②英文タイプライタのように、ぶらさげてどこへでも持っていけるもの
③作った文章ファイルに、どこからでもアクセスできるもの
(公益社団法人 発明協会ホームページより)
当時、まだ誰もみたこともないものですが、かなり野心的、かつ、具体的なものであることが分かります。
いつの時代もこうした場面で、今の延長線上でできることを考えてしまうか、「こんなのできたらワクワクしちゃう!」というものを掲げて、周りを巻き込んでいくのか、で全然違う結果になると思います。
その点でもすごいな、と思いました。
4、急速な普及
その後、他社も同様の商品を発売し市場は一気に立ち上がり、同時に低価格化も進み、6年後には10万円を下回る商品が発売されました。
価格競争だけでなく機能面でも競争もあり、1997年にはワープロの普及率は42%とピークに達します。
5、めでたしめでたし…?
しかし1990年代に入ると、パソコンの普及が始まる。特にWindows発売後、ワープロの衰退が始まり、2000年以降ワープロは市場から消えることになります。
しかし、ワープロで培われた日本語変換機能はATOKなどのソフトウエアに引き継がれ活用されていくことになります。
6、まとめ
いかがでしたでしょうか?
ワープロ、「懐かしい!」という方もいれば、「なにそれ?」という方もいらっしゃるかと。
開発の背景にこうしたものがある、とは今日調べてみてびっくりしました。
東芝にもいわゆる「20%ルール」があったこととか、開発された方のコンセプトの掲げ方、とか。
こうした画期的な商品でも、市場に登場してたった20年で市場自体がなくなってしまうことがある、という学びでもありますね。
よく、プロジェクトX的な番組では、開発に伴う困難を克服して完成に漕ぎ着けるところにフォーカスを当てますが、私は、「これ、予算つけた役員はどいう判断だったんだろうな?」とか「結局どれくらい投資して、どれくらいで回収できたのかな?」とか思ってしまう方なので、どうしてもそうした視点で見てしまいます。
開発するのも大事ですが、それを適切なタイミングで市場に投入するのも同じくらい大事、ということを改めて思いました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
なにか参考になるところがあれば嬉しいです。
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