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心理テストと自己分析の相違点(趣味の移行)

いつ頃からか、私は自己分析にハマっていた。

いわゆる「社会の常識」だとか「正社員として真面目に働け」だとかの「一般的なレール」のようなものにどうしても馴染めないと思ったので、さっさと別の生き方でハッピーになるための準備を始めたのだ。

(学校の時点で問題を起こしがちだったので、「一般社会」とやらが学校の延長線のようなものだと思うと、まあ、降りたい。無駄な苦労が目に見えている)

「レールを選び直す」というよりは「自分に合ったレールを作っていく」という感覚である。選んだレールなんかまた壊してしまいそうだし、だったら自分用のを作る。これなら気兼ねなくぶち壊して作り直せる。


しかし、「何が自分に合わないか」はわかっても、「何が自分に合っているのか」はさっぱりわからない。つーか誰も教えてくれない。知らない。
そこで自己分析だ。レールを見る前に、まず自分の車輪を知る


はじめはエニアグラムだとかウェルスダイナミクスだとかの無料診断を利用していたが(正直順序はうろ覚えなんだがそういうことにしておこう)、ストレングスファインダーのTOP5資質チェック(有料)、その後さらに課金し全資質チェックをしてからはブーストがかかった。

ノイズを無視して自分の「できる/できない」を認められる過程は意外に楽しく、気持ちよく、そして他者への理解も深まるように思う。

「できない」は別の「できる」ということでもあるので、必ずしも「できない=無能」ではない。というか、「できる」方が特別。

(例えば私は「ルールへの従事がとても苦手」だが、それは「個々人の事情や気持ちを尊重したい」ためだ)
(特に、同じ事を為すだけでも人によって痛みや苦労の度合いが違うのは、私にとって無視できない問題である。私の求める「平等」はそこにある)


ストレングスファインダーを受けたのは2018年1月22日のことなので、自己分析に本腰を入れてから半年以上は経っていることになるだろうか。
日常は特に変わっていないように思うが、私の内面には何らかの変化が生まれていることだろう。(はっきりとした自覚はない)

その副作用か?

久しぶりに「心理テスト」をやってみたら、全く面白くなかった。


私は子供の頃、雑誌付録としてついてきた心理テスト冊子を長年大事に持っていた。たまに開いては、その時その時の結果の違いを楽しんでいた。
大人になってからも、ネット上の豊富な種類から選んで楽しんでいた。
心理テストは密かな趣味だったはずだ。

自己分析と心理テスト。
どちらも自分の内面を知るために使っているように思ったので、その二つを比べて考えてみた。

そして気付いた。

心理テストは人の内面を調べているように見せかけて、その実、「その時の気分に合わせてそれっぽい服(創作されたキャラ設定)をチョイスしてくれている」だけなのだ。
だから、本当の意味で自分の内面がわかるわけではない。
当たり前だ。求められる「自分自身の“裸”のデータ」が少ないのだから。

(人間は単純ではない。沢山の性格が絡み合って「自分」が生まれる)


自分を晒す必要はない。
だから自分の傷に触れる危険性もない。
しかし、本当の自分を知ることもない。


私は昔から「自分は何者なのか」を自覚したり、自分で自分を説明したりということが極めて苦手だったため、心理テストで「アタリ」をつけようとしていたのだろう。
しかし今は、自己分析を通じて「骨格」を知りつつあるのだ。


(※追記)
ちょっと自己分析をストレングスファインダーに限定しすぎているような気がするので、ストレングスファインダーについて。
診断を受けると、独自に定義されている34の資質を順位で教えてくれます。通常は自己TOPの5つを教えてくれますが、この資質1つが「一つの性格(の大体の傾向)」を表しているため、個人別の結果が出てくるのです。
(一つの枠にピッタリはまる人間はそうそういません……)

(※さらに追記 19:00)
心理テストディスっぽくなってしまいましたが、今回はあくまでも「自分を知る」という目的においての話です。
背中を押して貰ったり気分を高揚させたりという面であれば、十分楽しむことができます。