ある件で、総合病院とぶつかった。私は患者である。 現場責任者にクレームを言った。 女性だった。とてもきれいな人だった。 会見の時間がもたれた。 仲介役にSさんという方が立った。 彼は、私と現場責任者それぞれの言い分に耳を傾け、公正に判断するために来たと語った。 第三者がいてもらうぶんにはかまわない。そうとしか思わなかった。 現場責任者が席をはずしたとき、Sさんは自分は警視だったと語った。 警察組織に明るいわけじゃないが、警視がエライぐらいのことはわかる。 た
人に注意されることがある。 挨拶しなさいとか、あやまりなさいとか。 他人に指摘されなくても、あああれはまずかったなとか、次は失敗しないようにしようとか、反省することは多くある。 しかし、そんなのはたいがい、大したこっちゃない。 すくなくともそこには、改善の目があるんだ。 何かをしでかしているときは、たいがい自分でそのことに気づかない。 これは反省しようがない。 人から指摘されることはもちろんある。指摘があれば、認識は存在できる。 無視するにせ
ふと、Summer's Almost Goneと歌っている自分に気づいた。 夏は去りゆく。 ずいぶん季節はずれだなあと思ったが、季節はずれの男なんだよ、俺は。 輪郭が溶けだして、すべてのモノが形を失うような歌。 そんな歌が歌えるのは、彼をおいてほかにはない。 彼の不幸は、ファンやレコード会社はもちろん、バンドメイトや自分でさえも、そんなボーカリストは彼だけだと気づけなかったことだ。
ウルトラマンは地球で戦える時間が3分とかぎられていて、リミットが近づくとカラータイマーが点滅する。 誰が考えたか知らないが、大した設定だと思う。ほんと素晴らしい。 以前より集中力が続かなくなって、同じ仕事を継続することが困難になった。ある程度やると、カラータイマーが点滅しはじめる。時間切れになると、もう、だめである。 そうなったのは最近だ。 年齢のせいか病のせいかはわからない。 ま、仕事のスタイルはそれぞれですからね。自分にあったフォー
旅に病で夢は枯野をかけ廻る 芭蕉最後の句である。 旅に出たいけど、出られなかったんだね、じいさん。 気持ちがわかるような気がした。 山が好きだった。 心が洗われる、というけれど、ほんとにそんな気がしていた。 山はナメたら死ぬ。 これは、登山する人ならみな感じていることだろう。 道具はちゃんとしたものをそろえなければならない。 リュックを買ったり、登山靴を買ったり、テントを買ったりした。 関東平野はたいへんに広いので、山に行くのもずいぶん時間がかかった。
穴を掘って埋めるだけという事業があるという。 雇用促進と景気浮揚に役立つのは間違いないから、この事業がまったく無意味だとは思わない。 大切なことはその事業の真の目的を作業者に悟らせないことだろう。自分は何か世間に役立つことのために勤労していると思い込ませる必要がある。 人はもろいもので、自分が今している作業が誰かの役に立っていると考えたい。じつは穴掘って埋めてるだけ、その空虚さに、耐えることができない。 以前、車の助手席に乗っていたとき、水道工事のために二車
往年の大歌手フランク永井の歌に「公園の手品師」という歌がある。 フランク永井といえばなんといっても「有楽町で逢いましょう」「東京ナイトクラブ」なわけだが、当人は「公園の手品師」がいちばん好きだったそうだ。 一度シングルのB面でリリースしたものを、再吹き込みしてA面にして発売しなおしたらしい。 それだけ思い入れがあったしヒットを願ってもいたのだが、歌手の思いに反して、ちーとも売れなかったらしい。 そりゃそーだよ売れないよこんな曲。 ただ、歌手がなぜこの歌に思い入れてい
幇間(たいこもち)という職業がある。 正確には「あった」というべきか。 花柳界はなやかなりし頃にはずいぶんいたらしいが、今は完全に絶滅しているらしいから。 幇間は、大企業の社長さんとか、政治家とか、お金持ちの宴席にいて、場を盛り上げる役をしていた。 「場を盛り上げる」って、じつは言うほど簡単ではない。なにしろ主人は男性である。幇間も男性である。異性である芸者衆とは違って、男性が男性の宴席を盛り上げるのはことのほか難しい。 当然のことさまざまな手管があった。それをマス
レビューが公開されました。手塚をネタにあれこれ語る三部作の完結編……と自分では思っていました。もっとプリンスのこと書きたかったな。
アメリカはトランプ大統領だし、イギリスはEU離脱したし、フィリピンの大統領はハッキリ中国寄りであることを表明している。……いろいろ変わっている。おもしろい時代だ。 その変化の全体は、誰もわかっていないだろう。しかし各論に関してはご意見番がいっぱいいる。そういうのをひとつに集めればある形が見えてくるはずだ。 ウンチクもこねられるし、疑問もある。 トランプに批判が集まっていると報じられてるけど、あれメディアの偏向報道じゃないの? たしかEUというのはいかにしてフランスとド
「これが隠沼(こもりぬ)だよ」 桜花散る弘前城址で、古い友人は眼下に広がる町を示してそう言った。 「えっ」 信じがたかった。隠沼とは万葉集などに語られる幻の町である。それがこんなにも当たり前に、あけっぴろげに城から見下ろせるなんて、何かの間違いにちがいない。 「太宰治は長いこと弘前に住んでいたんだろ? 弘前市民でここから町を眺めたことない人なんていないよ。隠沼は太宰の創作なんだ。めずらしくもないものを、そう表現しただけなんだよ」 すげえと思った。戦慄を覚えた。
むかし、中国の弓の名人、シラミを馬の大きさに見てその心臓を過たず撃ちしかもその体毛を揺るがせもしなかったという。素晴らしい技術だが、名人は決してそこに安住しようとはしなかった。 やがて、名人は弓を忘れた。これはたしかに見覚えがあるのだが名前を思い出せず用途も思い当たらない。これはなんですか。そう問うたという。 至為は為すことなく、至言は言を去り、至射は射ることなし。 まさしく技の神髄。 ……と、いうフィクションだと思っていた。 志ん生は話さなくたっ
BBキングはチョーキング・ヴィブラートの開発者であり、文字どおりエレクトリックギターの奏法に革命をもたらした偉人であるが、私はそんな功績よりも、彼の次のような言葉を気に入っている。 「滝のそばにたたずんだり、バラ園で瞑想したりして安らぐ人もいるだろう。クスリを飲んでリラックスする人もいるだろうし、山にハイキングに行くことで安息を得る人もいるだろう。だが私の場合、ルシールとともに座っていると安らげるのだ。彼女を膝の上に乗せ、彼女の口から気に入った音の組み合わせがこぼれてくるの
「札つきになれ」とは森敦が語った処世の極意であり、私はそれをかたくなに信じているのであるが、残念ながらこの術は小心者には使えないのである。札つきになるためには、大器でなければならぬ。豪胆でなければならぬ。他人の顔色をうかがって兢々としているような人には、まずこの術は実行できない。 自分はこれをずいぶん前に知って、札つきでありたいと考えてきた。しかし、本当に豪胆な人は、こんなこと考えやしないである。
●なぜブルース・カヴァーなんだ? ローリング・ストーンズがブルースのカヴァーアルバム「Blue & Lonsome」をリリースした。 なぜブルースなんだろう。なぜカヴァーなんだろう。なぜオリジナルではないんだろう。 とても根本的かつプリミティヴな問題だから、きっと誰かふれるだろうと思っていたが誰も言わない。ストーンズ最高ブルース最高ばっかである。よく考えてみたらこれ、ミュージシャンや音楽関係者(レコード会社とか、音楽雑誌社の社員とか)には言いがたいことなのだ。ケッ利権
達磨はインドの人。弟子入りしようとしたが拒まれたので、恵可は左腕を切り落とし二心のないことを示し弟子となることを許されたという。 雪舟の絵が好きで、このエピソードを知っているのだが。 腕を切り落とすのは大げさだとしても、自分にはなんとしても教えを乞いたい先生はいなかったな。 たぶんそれは不幸なんだろうが、そういう先生がいる人を見てもうらやましいとさえ思わない。 先生から何か大事なことを教わったという経験がないからだろう。 ……と、ふと思った。