幇間(たいこもち)という職業があった
幇間(たいこもち)という職業がある。
正確には「あった」というべきか。
花柳界はなやかなりし頃にはずいぶんいたらしいが、今は完全に絶滅しているらしいから。
幇間は、大企業の社長さんとか、政治家とか、お金持ちの宴席にいて、場を盛り上げる役をしていた。
「場を盛り上げる」って、じつは言うほど簡単ではない。なにしろ主人は男性である。幇間も男性である。異性である芸者衆とは違って、男性が男性の宴席を盛り上げるのはことのほか難しい。
当然のことさまざまな手管があった。それをマスターするには修行も要した。したがって幇間は、芸人の一形態であると考えられていた。
どんな世界にもすげえやつはいるもので、幇間も実力者になると、「赤坂で○○」「向島で●●」と呼ばれるようになったという。芸人だから師匠とも呼ばれた。ナンバーワン・ホストとかキャバ嬢とかに近いが、あれはお客が異性だから、幇間とは違う。
一方、どんな世界にも下位のやつがいる。彼らは自分の根城を持たない(持てない)ので、野だいこと呼ばれていた。幇間の野良犬、というような意味である。
夏目漱石の『坊っちゃん』に、野だいことあだ名される重要なキャラクターが出てくる。
おだてばっかりで内容がないクソ野郎という意味だが、当時は野だいこもめずらしくはなかったんだろう。
本人には絶対に面と向かっては言えないニックネームだ。
きっぷがよくて正直なのが坊っちゃんのウリだが、心の中であだ名するのはいいらしく、さかんにやっている。
野だいこなんてニックネームを持つ人は今はいないだろう。
自分も、野だいこという名詞に接したのは『坊っちゃん』が最初だった。それが一般名詞であることを理解したのもずっと後である。ホンモノ見たことないんだから仕方ない。
幇間は絶滅しても、心の中でニックネームをつける習慣はなくならない。
ものごとは本質に近ければ近いほど滅びない。
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