技の神髄、芸の神髄
むかし、中国の弓の名人、シラミを馬の大きさに見てその心臓を過たず撃ちしかもその体毛を揺るがせもしなかったという。素晴らしい技術だが、名人は決してそこに安住しようとはしなかった。
やがて、名人は弓を忘れた。これはたしかに見覚えがあるのだが名前を思い出せず用途も思い当たらない。これはなんですか。そう問うたという。
至為は為すことなく、至言は言を去り、至射は射ることなし。
まさしく技の神髄。
……と、いうフィクションだと思っていた。
志ん生は話さなくたっていい。
晩年、彼はそう言われたそうだ。
ただステージに出てきて、座っていればいい。それでじゅうぶん面白いんだから。
噺をやらない噺家は実在したのである。
もっとも、志ん生が噺をやらなかったという逸話は残ってないし、彼はたぶん死ぬまで噺を覚えてたと思うけど。
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