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幻の町を見た

「これが隠沼(こもりぬ)だよ」

 桜花散る弘前城址で、古い友人は眼下に広がる町を示してそう言った。

「えっ」

 信じがたかった。隠沼とは万葉集などに語られる幻の町である。それがこんなにも当たり前に、あけっぴろげに城から見下ろせるなんて、何かの間違いにちがいない。

「太宰治は長いこと弘前に住んでいたんだろ? 弘前市民でここから町を眺めたことない人なんていないよ。隠沼は太宰の創作なんだ。めずらしくもないものを、そう表現しただけなんだよ」

 すげえと思った。戦慄を覚えた。眼下に広がる弘前市街が隠沼であることに、ではない。太宰治という作家が、文章表現によってなんの変哲もない町を幻の町に変えてしまった、その手腕にである。

 

 しかも、弘前は太宰にとってたしかに隠沼なのだ。記憶の中にしか存在しない、幻の町。

 やれ弘前市民は馬鹿で、自分もその血を濃厚に受け継いでいるだの、弘前城みたいな城は全国にたくさんあってめずらしくもなんともないだの(これは本当だ)、さんざん弘前をののしった後、ここは隠沼あるゆえに素晴らしいと語る。おかげさまで私は弘前を、隠沼ある町、全国でもたぐいまれなる幻の町として記憶した。

 ほめるところがないなら、ほめるところを作ればよい。そう作家が考えていたかどうかはわからないが、まさしく天才の所業である。感服した。

(隠沼に関するくだりは戦時中に書かれた中編『津軽』の中にある。個人的には、最高傑作だと思っている)

 ふと思う。なんて多くの町が、自分にとっての隠沼になっていることだろう。

 

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