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高校時代に失われた夏休みを探して

 近所の八百屋で売っていた一房100円のバナナを一本ちぎってミキサーの中へ。そこに豆乳とはちみつと氷をひとつ。バナナと豆乳に含まれるトリプトファンという成分は、幸せホルモンと呼ばれる「セロトニン」を脳内に分泌させるらしい。

学校に行こうとしている朝に(実際は行かないのだけれど)よく母が作ってくれた。目に光が宿っていない娘を心配して、インターネットで調べて作ってくれたのかもしれないが、今となっては確認することができない。

高校1年生の夏、学校に行かなくなった。別に仲間はずれにされたりいじめられていたわけでもなければ、不良でもなかった。ただものすごくひたすらに人と関わりたくなかったのと、常に体が重くて布団から出られない日が多かった。

中学までは、体が強いほうではなかったけれど、クラス委員として文化祭や修学旅行の計画をしたり、テニス部に入ってひたすら筋トレと走り込みをし(させられ)たり、比較的意欲をもって学校に通っていた。

高校入学後、突然なにが起きたのかは、今もしっかり伝えることができない。正直言うとあまり覚えてもいないし気にしてもいない。ほとんど歯を見せて笑った記憶がないし、もう少しマシな思い出がほしかったとは思うけれど、誰もみな汚点というか、人生に諦めていた時期は存在すると思うし、それが高校時代という一般に輝かしく語られることの多いタイミングだったというだけだ。

それから10年以上が経ち、高校はギリギリ3年で卒業したし、浪人こそしたものの楽しい大学生活を過ごし、たまにレールを外れながらもふつうの大人に近づくことができた。ふつうという感覚も怪しいものだけれど、当時自分のまわりにいた人という条件付きで、少なくとも半数以上は大学に通っていたし、正社員で働いていた。半ば勢いと意地で大学受験を志していなければ、今頃どうしていただろう。高校時代と同じようにカラオケ店でバイトしていただろうか。

……そんなことはどうでもいいんだった。今日話したいのは高校およびその延長のニート時代にしていたゲームの話だ。わたしは度々「龍が如くが好き」と言っているが、この時期に特に熱心に取り組んでいたのが龍が如く3である。

ほとんど家から出ない生活を送っていた当時のおでかけは専ら、精巧に作られた沖縄か新宿だった。しかもその2拠点はほんの数秒で行き来することができた。街を歩くと色んな人=NPCがいる。ぶつかると倒れたりため息をもらしたりするし、繁華街を傍若無人に走っていると目をつけられて追いかけられたりもする。現実の社会には参加せず、社会のようなゲームに興ずるのは、人と関わりたくないと言いながら、本当は人と関わり普通の生活を送りたかったからなのかもしれないと思う。

ゲームの中の人たちはいつも何かを求めているし、何かに悩んでいる。それがすごく羨ましかったのを覚えている。自分の人生について悩めるのはとても幸せなことだ。たとえ納得のいかない現実だとしても、現実世界にきちんと存在を置く覚悟があり、未来を想像し行動する意欲があるだけで生きる意味がある。そんな人生にずっと憧れていて、やっと少し、近づけている気がしている。わたしもサブストーリーになれるのか。

今の夢は龍が如くシリーズに出演することである。できればストーリーをあててほしいけれど、電話しているOLの「今どこ?」の一言でもいい。

と、いった感じの脈絡のない話なのだが、大学生ぶりの夏休みをいただいたので、少し昔を思い出して書いてみた。


ーー余談だけど、大学の頃読んでいた本に「人間なんてみんなダメで似たりよったり」といったような言葉があり、そのとおりだと思った。

自分がまっとうに学校に行けないことなんて想像もしてなかったし、そういう人に対して「なんで来れないんだろうね〜」とか思ったりしていたけど、完全に驕っていた。

「するわけない」をしてしまうことなんてザラにあるし、自分を過信しすぎてないか?他人に行き過ぎた質実剛健や清廉潔白を求めていないか?という疑いは大切だ。

なにはともあれ、日本刀でなぎ倒されてもハジキで撃たれても数秒後には凛々しい顔で神室町を闊歩する桐生一馬を見習い、失敗しても何食わぬ顔で立ち上がる逞しさをもって生きていきたい。

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