人は二面の狭間を彷徨いながら生きていく
昨日の『チェンソーマン』おもしろかった。
アサとヨルが脳内で言い争ってるのおもしろい。
あれって一応現実世界では一人しかいなくて、入れ替わりしてるって設定だよね。
「ポエムを読むな!」が特におすすめ。
と、そんなシーンを見て浮かんだこと。
自分の中の二面性について。
自分は一人のようでいくつかの人格(ペルソナ)を持っている。
ポジティブで元気な時もあれば、ネガティブで憂鬱な時もある。
同じ人間なのに違う人格があるのは不思議なこと。
だけど生きてく上で必要なことなんだと思う。
「生きてくならポジティブの方がいい」と思うかもしれないけど、それは我々が臆病者の子孫だから。
攻めるより、守ってる方が生き延びやすい。
攻めれば反撃が来るのは100%だけど、こちらから攻めることをしなければ反撃なんて無い。
攻められたとしても追い返せれば生き残る。
故に、臆病者の方が生き延びやすい。
そして生き延びたから僕らにまで命が繋がれてきたのだ。
話が逸れた。
二面性の話だったね。
人一人の単位で二面性があるのだから、人が集まった集団であっても二面性はある。
仲間の時はすごく仲良くしてくれるのに、外れた瞬間袋叩きにされるみたいな。
集団心理もあるから一人あぶれ者ができると一斉に襲ってくる。
集団で叩いた結果、その人が自〇したとなると手のひらを返したように「ご冥福」を祈る。
もちろん叩いた人と祈ってる人が別人であることはわかっている。
だけどネットという顔が見えない状態だと「ネット民」という一人格の個体が動いているように見える。
だから手のひら返しに見えるのだ。
一貫して欲しい。
誹謗中傷をするなと言ってもどうせするのだから、せめて意見を貫いて欲しい。
その人を嫌うのなら徹底的に嫌い、存在すら認知しないほど楽しい人生を勝手に生きて欲しい。
だけどこの二面性があることで生き延びたのも事実なのだ。
臆病者でも時に勇気を振り絞り、新天地を目指す旅に出る。
その結果、実り豊かな土地に出会い、繁栄していった。
「臆病」の反対にある「勇気」。
自分にもあり、人にもあり、ネット民にも、男にも女にも、日本人にもある。
どうにもならない二面性。
しかし諦めず、その二つの狭間を彷徨い続けながら歩くのが「生」。
マンガという娯楽の話から、真面目に人生を説くこれも二面性。
以上!くろだでした。
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