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嘆きの世を生きるために。第四の道。

現実が辛くて苦しい。

そんなときはどうすればよいのだろうか。


おおまかに言って三つの対応に分かれると思う。

1・楽になるよう戦う

2・苦しみの源から逃げる

3・現実を甘受できるようにする


いずれにせよ耐え難き現実を乗り越えるには

多大な苦労をする必要がありそうだ。


大根おろし器にかけられた大根の如く

心身をすり減らすこともあるだろう。



ここに第四の道がある。

第一から三のどの道をとってもいいから

4・ただ眺めて気づく

ということだ。


戦ってもいい。

逃げてもいい。

耐え忍んでもいい。



泥土のような現実と

それに向き合い四苦八苦して

哀しみ嘆く我を、ただ眺める。



観察者に徹する。

すると気づくことがあるかもしれない。


発心とは

私の預かり知らない心の奥から

私の意思とは関係なく

湧いてくるものだということ。



私と思っていたものが

観察者たる私が

ただ私だと信じ込んでいた存在だということ。



世界とはただそこにあり

そこに起こる事象とは

人が勝手に分別したもの。


そこに宿る意味も

人が付けたもので

世界の本質ではないということ。



いや、その分別を行う

我という存在すら

ただあるがままの世界であるということ。




心の観照。

現実とされるものを

ただ眺める。



そんな行いに

集中する。



そして

観察しようとする意思すらも

私のものではなく

世界意思ともいうべきものだということ。



眺めることで

あるがままの世界に気づく。




戦うも

逃げるも

我慢するも

そして、観察するも

全て宇宙から起きた意思であり

それに身を委ねる。



眺めることで

その境地に至る。


そのことすらも

全ての意思である。



そんなことに気づくことこそが

現実と向き合う

第四の道。

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