HSPでよかった事なんて、ない。だけどそれでも生きていく
ぼくはHSP、それもHSS型HSPを自称してます。
HSPについて知った事、自分がHSPだと気づけた事で、生きづらさの原因や自身について理解を深めていけたのは大きな収穫です。
自分の特性を理解していくと、漠然と抱いていた不安感や生きづらさへの解像度が高まり、それに基づいて生き方を考えたり、メンタル不調について早めに対処しやすくなったりと、生活する上での大きな助けになる。
それについては、自分のHSP気質を知れてよかったと思ってる。
だけど、「自分、HSPでよかった!!」と思った事はないです。
びた一度たりとも。
感謝などした事もない。
創作活動や芸術鑑賞においては、HSP特有の感受性の高さや繊細さが作品作りに役立ったり、高解像度で感動できたりはあるけど、それくらいじゃないかな。
少なくとも、普通に現代社会で実生活を過ごす中では、HSP気質が役に立つ事や、それによって得する事はほとんどないと思ってる。
というかデメリットばかりだと思う。
はっきり言ってHSPなんて99%ハンデだし、コンプレックスだ
繊細さ過敏さのせいで、体力面でも精神面でも疲れやすい。
利用されたりタゲられたりと人間関係で損をしやすい。
大きく言えばこのふたつなんだけど、どちらにせよ得はしないよね。
「細かいところに気づける!」「洞察力に優れてる!」っつったって、そのせいでどうでもいい事にまで意識と神経が向いて、考えすぎ感じすぎて疲弊するし、
「人に共感できる!」「やさしい!良心がある!ピュア!」というのも、言い換えれば自他の境界線があいまいで悪影響を受けやすい、良心につけ込まれて利用されやすいって事だし、
世間は無神経で鈍感な人間の方が圧倒的多数なんだから、非力で繊細な側が損する事が圧倒的に多い。
女性HSPには気持ち悪い事言うけど、繊細だったりメンタルが不安定だったり、そういう『か弱い女性』を性欲の対象、はけ口にして楽しむ輩というのも多い。
「想像力豊かで敏感って事は、つまり感じやすくて濡れやすくてエロい♡」
「隠れドMが多い♡」
「メンヘラ女子は簡単に股開いてくれるから、セフレワンナイトに最適♪」…など、
『HSP 女性 恋愛 性』などで検索すると、上記のような記事がたくさん出てきてオエ―でした。
男性HSPについても、「やさしいのでワガママも何でも受け入れてくれる♡彼女好みに染められる理想の彼氏♡」的に書かれていたので、
HSP気質の人間を、いわゆる都合のいいオンナオトコ候補としてしか見てない輩も多いって事。
もちろんHSPだからとか関係なしに、純粋に対等なパートナーとして見てくれる人がほとんどだけど、
一定数はこういう不埒な輩がのさばってるのが事実だから、女性はとくに異性関係では気をつけた方がいい。
「わたしはHSPなんです」というのも、むやみやたら伝えない方がいい。
『か弱いオンナ』として見られて、はけ口にされる事もあるから。
ちょっと話逸れたけど。
HSPはいろいろな場面で「弱者」「搾取対象」とされがち。
だからHSPは生きづらいんだし、HSPは苦労してるんだしで。
HSPである事がアドバンテージで、それでたっぷり恩恵を得られる世の中なら、こんなにリアルでもnoteでも愚痴や悩みが溢れかえってる訳ないよ。
「HSPはギフト✨」「HSPに生まれてよかった✨」と口ずさんでるHSPは洗脳されてるみたいで薄気味悪いし、
「HSPの気質を活かして!✨それはあなたの特別な才能✨」「HSPさんはみんなお仲間✨やさしい世界✨」みたいなのを見ると、
「ぬあにが才能だ、こんなもんちっともいらねえしお仲間じゃねえし一緒にすんな気持ちわりい!何をどう活かすんだ、HSPカウンセラー✨とやらにでもなればいいのか⁉確かにセミナーだのコーチングだのやってネズミ講で儲けるくらいはできそうだろうがな‼‼」
ってなる。
仕事もできず、できても疲弊し、うつになりやすい。身体を壊しやすい。
悪意のある人間から、いいように扱われやすい。
些細な事には一切動じず、マウントにもすぐ論破できて、疲れ知らずで精力的で、バリバリ仕事もプライベートもこなすバリキャリ、イケイケ起業家になりたかった。
いじめノリのドッキリ番組見ても心がチクチク、ザワザワせず、画面と一緒に大笑いできるような、そんなピュアな鈍感人間に生まれたかった。
HSPという概念を知って心が救われた以上に、こんなの知らなきゃよかった、という憎しみの方が大きい。
HSPなんて厄介な気質でなかったら、もっとバリバリ元気にストレスフリーに生きられたんじゃないか。
繊細さ虚弱さゆえに、心身共に疲弊して病院通いする事もなかっただろうに。
胡散臭くて拝金臭いHSPカウンセラーだかコーチストだかから勧誘されて、胸糞悪くならずに済んだのに。
HSP同士の慣れ合いを見て、うわあと思わずに済んだのに。
HSPなんて広まんなきゃよかったんだ。
自分も、HSPなんて知らないままでよかったんだ。
HSPは現代社会を生きるうえで、99%ハンデかつコンプレックスだ。
ぼくはこの絶望に、いまだ囚われている。
HSPでよかった事も救われた事もないが、それでも生きていくしかない
上記で散々わめき散らかしたように、ぼくにとってHSPは人生の足かせであり呪いで、99%はハンデとコンプレックスだと考えている。
そして残り1%は、人が気づかない喜び楽しみ美しさを、人よりもちょっと高解像度で味わえるよう神が置いてった、なさけばかりのギフトであると。
だからぼくは、その1%のギフトを、思う存分使ってやろうじゃないかと思ってる。
日々の何気ない楽しみ喜び、絵や音楽映画などの芸術、大自然の豊かさ美しさを、他人よりも多く楽しんでやる。
旅行先の地元のおばちゃんから貰った少しのやさしいおすそわけを、誰よりも飛び上がって泣いて喜んでやる。
高解像度でインプットされた怒りも絶望も虚無もやるせなさも、自分への無力さも世界への憎悪も、
創作に昇華して完全燃焼させてやる。
いちHSPとしてぼくは、そうやって生きていく。
与えられた1%のギフトをこれでもかと利用して、絶望を希望で相殺しながら生きていく。
HSPはそうやって、それでも生きていくしかない。
勝手にプレゼントされたものなら、最後まで使い倒して、生きづらさすらも楽しんでおちょくりながら生ききってやろうじゃないか。
なにも救われないんだから。
HSPセミナーなんかになけなしの金払うなら、その金で富士山でも海外でも行ってやろう。
セミナーでキラキラ着飾った胡散臭いコーチと信者を横目に、一人寂しくトボトボ帰路につくよりは、富士山山頂で絶景を見たさなか滑落して、雲海のなか「きれいだなあー」って感動して死んでった方が楽しい。
HSPは、そういうマインドで生きていけ。
救われない前提で、救われない人生と世界を面白がって生きていこう。
人生は救われない。何の価値もない。
だからこそ、勝手に生きればいいじゃないか。
HSPは、こういうニヒリズムとアンチニヒリズムを合わせた思考で生きるのが一番精神にいいんじゃないかな。
ぼくもまだ試行段階だけど、それがたぶん生きづらい人間にとっては前向きな思想だと思う。
HSPあんま関係ない感じになったけど、生きやすくするための心構えというか、そういう生き方についての哲学、思考や思想とかは、年齢と共に確立させていくのがいいと思う。
どんなハンデ背負おうが、どんなに生きづらかろうが、結局はお前はどう生きるか、だから。
生きづらいし死にたいのは変わんないけど俺めっちゃハッピーだよってHSPがいたら、教えてほしい。
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