くれもとなおき

復職後の書店員。                          哲学・社会学・宗教…

くれもとなおき

復職後の書店員。                          哲学・社会学・宗教学・教育・音楽・漫画・バイク・サッカー。

最近の記事

通奏低音

ひとり紙面に意識を委ねると 日中の雑音が減っていく そのうちに残る か細くも長くひくい音 きっと途切れることのない 生を支持する希望の唄 汎ゆる意味に見向きもせずに 汎ゆる意味に見向きもされない 夜の孤島にすら届き たとえ死んでも そこに流れる

    • 現在の信仰とコンテンツ

      久々にNoteをひらく。 最近は書くことから離れていた。 それは、結婚したことで生活が変わったこともあるし、 むしろ読むことのほうが増えたからでもある。 その変化は良くも悪くも捉えることができて、 うんざりするほどの孤独を抱える暇は失せたが、 一人の暮らしと時間を恋しく思うこともあった。 書かなくなったことは、 書くことがなかったわけではない。 ただ一時期のように己を確認する必要性を、 それほど逼迫して感じなかっただけのことだった。 それでも考えることはあって、 日

      • 無・生命・宇宙

        宝石の国の続きを読んでいる。 ずっと仏教だと言われてはいたが、 しっかり仏教なうえに科学的でもあった。 それはそもそも仏教が量子力学的であることも含める。 シメジシミュレーションは、科学を背景としたテクスト(文)によって、文学的でロジカルなアプローチで生命のあり方を考えた。 一方で、宝石の国は、宗教を背景としたコンテクスト(物語)によって、芸術的でエモーショナルなアプローチをしている。 シメジで残った違和感は、生命シュミレーションの想定について。 混沌から無へと

        • 諸法無我

          3月がやっと終わろうとしている。 というのも、このひと月はずっと苦しかった。 それが、バランスを崩した精神の周期的な運動によるのか、 環境的な要因によるのか、その両方かはわからない。 いつの間にか、また本をよく読むようになった。 はじめこそ、新鮮な知識と可能性の広がりに悦んだが、 もしそうだと仮定したときのやるせなさに絶望した。 どうしてこんな重荷をわざわざ背負い込むのか。 自分に自虐趣味があるとは思いたくない。 福田恆存は、人生が劇的であることを語っていた。 それ

          2月28日の日記

          2月も末となり、仕事も年度末のもう一山ほどになった。 メインとして走っていたことは、中旬にある程度終えた。 そんな、とりあえず走っていた事がすんでみると、 なんだかどうにも、また無意味によって目が霞む。 それは、そもそも仕事に対するやり甲斐というか、 これが何に役立ち、今後どう生きるのかわからない。 というのもあるが、それは塞翁が馬。と思うことにする。 なのでそれよりは、あるゴールの瞬間に次が続くことに、 門をくぐった先にもさらに門があることに辟易する。 睡眠という1

          葬送のフリーレンと「原罪」

          葬送のフリーレンは、もはや紹介するまでもない。 それほどにヒットし、多くの人が触れるコンテンツである。 私は魔法試験的なところで読むのを一度止めたが、 その設定や導入において、時世をくむセンスに関心した。 私は本作(冒頭)での読解において、 ボードリヤールを補助線として考えた。 特にに、「象徴交換と死」を意識しながら読むと、 エルフ・人間(老人・若者)・魔族の対比は興味深い。 これらの人種とその基本的な概念や設定は、 現在の人の内にある、属性や価値感のキャラ化である。

          葬送のフリーレンと「原罪」

          意味にしがみつかない

          最近、日に日に抑鬱的な状態に落ちている感覚がある。 それははじめ、気にならないほどの距離で横に座っていて、 ふと横目に見ると、気味の悪いほどやけに近くに座っている。 私はなるべく関わりたくないし、 それは私のかげみたいなものだから、 ただ離れてほしいと願うことしかできない。 昨晩から朝にかけて、それはほとんど真横に座っていた。 もし誰かがみれば、きっと気の置けない友人と思うだろう。 僕はまったく御免だと思うけど、これは一生ものの腐れ縁だ。 近くなれば近くなるほど、休職

          意味にしがみつかない

          人生は刺激的なのか   VTuberは生きている

          Weekly Ochiai 落合陽一×東浩紀の新しい対談を見た。 産業、消費、コンテンツのAI化に対する、 人類の対極的態度が見れて、大変な傑作だった。 きっと、高性能AIの出現に対して、 人間とは、意識とは何かを自問するタイプと、 そんなことはどうでもよい(よくなる)タイプで分かれ、 その思想の違いは、真面目に今後の戦争の火種となるだろう。 その勝敗の結果として、偽・新人類の区別、 あるいは旧・新人類の区別が生まれる。 ただし、どちらの思想でも共通することは、 生物

          人生は刺激的なのか   VTuberは生きている

          ダンジョン飯と資本主義   欲望 神話 創作

          ダンジョン飯の最終巻を読んだ。 発売日に読んでから、暫くおいて読み直した。 初見は興奮して、物語の顛末を追うだけになってしまうから、先を知ってからようやくあれこれ考えて読めるようになる。 ぼんやりと色々なことが頭に浮かんだが、 最後に残ったイメージは、同じ九井諒子の短編であった。 たぶん初期のほうのやつで、天使のような(あるいは竜か?)翼をもった少女の初飛行を、少年が手助けするというような短編だったと思う。もう随分おぼろげな記憶である。 そこの本棚の後列にあるのを確認

          ダンジョン飯と資本主義   欲望 神話 創作

          ねこのゆめ

          涼しげな風が、体を撫ぜる感覚を遠くに感じる。 風に吹かれた茂みがそよぎ、さわさわと頭上で音を立てる。 それと同調して、暗く朧げな視界に柔らかな光が明滅する。 交互に訪れる刺激に反応して、沈殿した意識が徐々に解ける。 まだぼんやりとしながら、半分無意識に強張った体を伸ばす。 前足を突き出し、お尻を後に突き上げると、尾がピンと張る。 自然と欠伸が出る。野蛮に口を大きく開く、自由な欠伸。 誰に見られていたとしても、別に構いやしない。 数秒後には、何食わぬ顔で正面を見

          復職の診断 僕のゼロ地点

          8月22日、復職の診断が出た。 担当医は(今でこそ)いい意味でユルい人柄なので、 休職期限までに復職の診断が出るのは既定路線だった。 診断は、近況の報告や考えていることをただ聞いてくれる。 こちらから話さなければ、薬を出して様子見と言うだけ。 (かといって、話しても対応が変わるわけではない) 精神的衰弱の状態において、他者は基本的に何もできない。 それは本人が本人の問題を、本人で自覚し解決するものだ。 河合隼雄の書籍を読んでから、僕はこれをよく理解した。 それから診察

          復職の診断 僕のゼロ地点

          少女終末旅行 終末の旅人の作法

          少女終末旅行を読んだ。 昔は途中まで、それとアニメをみていたが、 普通に終末モノのユル女子旅程度に片付けていた。 しかし、漫画(特に作者のあとがき)を全て読むと、 今ではまた新しい視点で色々と解釈ができる作品であった。 最近は長々と駄文を連ては下書き送りなので、短く纏める。 少女終末旅行の基本的なストーリーは、終末の世界の旅だ。 タイトル通り、二人の少女が、戦争で滅びた世界を旅する。 今回はその象徴するものについて、解釈し、考える。 これは、人(作者)の分裂した人格の旅

          少女終末旅行 終末の旅人の作法

          創作と祈り バッドエンドはあり得ない

          フランツ・カフカは書くことについて、 「人は、どうあっても    書かねばならぬものだけを、        書かねばなりません。」 と言ったという。 この言葉の真意はそれぞに想像するところだが、 この頃の私は、これを逆説的に感得している。 というのも、適応障害による鬱という、はじめての経験、 想像以上の精神的苦痛が回復に向かいつつある中で、 私は初期の絶望感や無力感の感触を失い始めた。 むしろ、それは元気になったと喜ぶ事である反面、 あれ程に落ち込んだ気分や時間の記

          創作と祈り バッドエンドはあり得ない

          僕の親と子 勉強すること

          今週は何かと忙しく過ごした。 というか、忙しく過ごしてしまった。 三連休は実家に帰り、母方の祖父母に会ったり、 漫画家の山田玲司先生の個展に行ったりした。 この三連休も色々あったが、とにかく疲れた。 大して珍しくもない、俗人的で個人的で矮小な悩みだが、 そうと分かっていても、動くほど絡まり、重く自らを縛る。 親子や、家族の関係というのは、そういうモノなのだろう。 感情的に酷く疲れた上に、犬も食わない下らない話だ。 それでも僕自身が、僕自身の親達と相対したという事実と、

          僕の親と子 勉強すること

          7月18日 ノスタルジアを見る

          最近noteに下書きばかり増える。 ガンダム水星の魔女を見終わって考えること、 友ヶ島に行った経験と思い出から湧く創作意欲、 暫く疎遠だった祖父母に会いに行ってわかったこと…。 色々な出来事と、感情と思考がぐるぐると廻る。 それを形にしたいけれど、うまく表現できない。 体感としては朧げにあるが、言語化が難しい。 微妙な心持ちのまま日々を過ごしている。 自らの思考と感情に、納得できる形を与える過程は辛い。 即興の踊りや音楽や詩の用に、言葉を使えたらどれ程良いか。 心のまま

          7月18日 ノスタルジアを見る

          ガンダム 水星の魔女 5〜8話

          昨日5話まで見たと思っていたけれど、4話までだった。 今日は5話〜8話でひと区切り。4話ずつしか保たない気力。以外感想と考察を、キャラの関係性とテーマごとに書く。 ・エランとスレッタ、「自分」を持つ者・持たぬ者 5、6話はエランという影武者的青年に焦点が当たる。 氷の君と呼ばれる彼は、無表情で無関心で無感情な男だ。 彼は役目を果たすため、「自分」の顔すらも失った人間だ。 その彼がスレッタに興味を示すのは、仲間だと思ったから。 つまり、ガンダムに乗るためだけに造られた孤独な仲

          ガンダム 水星の魔女 5〜8話