ねこのゆめ

涼しげな風が、体を撫ぜる感覚を遠くに感じる。

風に吹かれた茂みがそよぎ、さわさわと頭上で音を立てる。

それと同調して、暗く朧げな視界に柔らかな光が明滅する。

交互に訪れる刺激に反応して、沈殿した意識が徐々に解ける。

まだぼんやりとしながら、半分無意識に強張った体を伸ばす。

前足を突き出し、お尻を後に突き上げると、尾がピンと張る。

自然と欠伸が出る。野蛮に口を大きく開く、自由な欠伸。

誰に見られていたとしても、別に構いやしない。

数秒後には、何食わぬ顔で正面を見据える。

堂々とした顔で、欠伸など無かったように振る舞う。

いくら自由な身であるとしても、顔つきや態度は重要だ。

イエは勿論、マチに棲むにも必要な商売道具だから。

でも、無闇矢鱈に愛想を振りまくわけではない。

必要な時に、気分が向けば、それを使う。

これはマチの生き方特有の自由である。

もちろん、必要に迫られるときもある。

自由は、制限の中で始めて真価を持つ。


イエも、マチも、ノラも、それぞれに生き方がある。

それは、選ぶものも居れば、ただそう生まれたものもいる。

そこに貴賎は無いが、自由意志の発露の度合いは生まれる。


自由とは、無限ではない。

自らと世界の、有限を、限界を、限度を知ること。

その内側に存在する選択を、自らの意志で選択すること。

それは意識である必要はなく、寧ろ感覚が最良な時もある。

今の生活に不自由を感じることなく、ただ生きるため生きる。

起きて、食い、歩き、関わり、遊び、眠り、生を謳歌する。


ただ一つだけ悩みがあるとすれば、寝る時にみる夢のこと。

一度寝て、そして夢の中で起きると、私は人になっている。

その夢はとても明晰で、昔から一定の連続性を保っている。

人間になった時は、こちらの記憶はうまく引き出せない。

なんとなく覚えていても、人としてはあまり役立たない。

毎日その夢で、いつもの通り、生を謳歌しようと試みる。

しかし、人間の身体では、なかなか上手くいかないものだ。

人間というものは、できることは多くとも、生きづらい。

毎夜毎夜、ヘトヘトになって、夢の中での眠りにつく。

そうして、遠のく意識の底から、爽やかな風が吹く。









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