ガンダム 水星の魔女 5〜8話
昨日5話まで見たと思っていたけれど、4話までだった。
今日は5話〜8話でひと区切り。4話ずつしか保たない気力。以外感想と考察を、キャラの関係性とテーマごとに書く。
・エランとスレッタ、「自分」を持つ者・持たぬ者
5、6話はエランという影武者的青年に焦点が当たる。
氷の君と呼ばれる彼は、無表情で無関心で無感情な男だ。
彼は役目を果たすため、「自分」の顔すらも失った人間だ。
その彼がスレッタに興味を示すのは、仲間だと思ったから。
つまり、ガンダムに乗るためだけに造られた孤独な仲間だと。
しかしそれは違った。戦いの最中の彼の叫びは悲痛に響く。
彼には確かな「自分」が、それを認める「他者」がいない。立場も顔も他人のもので、交換可能なモノとしての生活が、
彼が「氷の君」たる所以である。そこに彼はいないも同然だ。
このメンタリティは、現実的なアイデンティティの問題で、
彼は当に社畜そのものであり、生きながらにして死んでいる。
おそらく視聴者は可哀想だと思いつつサラリと流すだろうが、
この物語の中ではエランこそ視聴者に最も近いキャラだろう。
最後に、彼は誕生日を祝ってくれる人の存在を思い出し、
「自分」とそれを認めさせてくれる「他者」の存在を知る。
そして、羨み・妬んだスレッタに、これからもそのような
「他者」と「自分」の関係を作っていけるのだと教えられる。
全くあっぱれなストーリーだが、彼の辿る運命は哀しい。
彼は彼の存在意義の為に、「自分」を持つことは許されない。
仕事のために、自分の意思を殺す必要は往々にしてある。
今のところ最も現代的なテーマが救われずに終わった。
しかし、メッセージとしてはスレッタのセリフが救いである。
「自分」を認めさせてくれる「他者」は絶対にいるし、
いないのなら作ればいいということだ。いい子すぎる。
・ミオリネと父親、解けない/受け継がれる呪い
ミオリネは自らを道具として扱う父親を忌み嫌っていた。
そして、母と関係のある地球への逃亡をよく口にしていた。
しかし、父への反抗心は、いつしか同じ土俵へ彼女を導く。
逃亡という目標が、企業による力での対抗へと変化した。
これは一見感動的成長だが、自らの自由を縛るものであり、
嫌っていたはずの父性原理への積極的な参入を意味する。
忌み嫌っていた呪いの中に、自ら飛び込んでしまったのだ。
これは彼女の中では同じ父への反抗心として違いないが、
むしろ父の価値観の中で有益性を示す承認の道である。
この望まぬモノに近づく作用は人の性なのだろうか…。
ただ、それを焚き付けるよう動いたのはスレッタの母であり、
ミオリネは父と同じガンダムという呪いを背負う事になる。
これは今後の伏線であり、ミオリネの父はこの呪いと戦い、
彼女を近づけさせないように保護していたとも想像できる。
無駄がなく、本当に良くできた構成だと感心させられる。
・スレッタと母、深すぎる愛/願いの代行者
スレッタとその母親についてはずっと不穏であるが、
スレッタがいい子過ぎて今のところ問題になっていない。
そういう意味で、スレッタは確かな愛情を受けてはいるが、
その対象はスレッタか、ガンダムか、その両者かわからない。
どちらにせよスレッタの母への盲信的態度は被支配的であり、
母の行動原理は迫害されたガンド技術の大成に傾いている。
スレッタは母の愛情を受けて育ったとてもいい子であるが、
世間知らずで、盲信的で、従順な母の願いの代行者でもある。
…何にせよ流行りの「ガンダムよ〜」が聞けたので満足した。
・グエルとシャディク、父殺し/停滞を打ち破る王子
8話以降はイケメンのシャディクが動きを見せるようだ。
彼は有能で狡猾な王子であり、完璧な人間のように思える。
ガンダムの有効利用と停滞の打破という大きな野望を持ち、
それを親に悟らせず援助を受ける立ち回りをやってのける。
彼が敗者となったグエルを気にかけるのは、親の支配下でも、
(高慢であるが)自我を持ち行動する人間だからであろう。
事実、グエルは彼の信じる道を押し進み、責任を負った。
グエルとシャディクはこの物語の生徒側でも既に大人だ。
彼らは停滞した親たちの帝国を打ち崩すキーマンである。
グエルは失われた家父長的男性像の死と再生を体現する。
家を任された弟は気の毒だが、今後の活躍に期待したい。
大きなテーマの感想としてはこのようなところだが、
企業的なストーリーとしてグローバルなものを期待したが、
今のところ従来のナショナルな物語展開で進んでいる。
設定こそ企業・自由競争という感じだが、結局は家の問題だ。
これでは地球と宇宙、国と国、家と家という対立の一形態だ。
まあこれは勝手に期待していることで、既に十分面白いです。
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