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自己紹介



見つけてくださってありがとうございます。

まずは、自己紹介をさせてください。

海月(くらげ)といいます。

年齢は28歳、性別は女性です。

夫は同級生で、20歳の時に結婚しました。
そして22歳で長男、と24歳で長女を出産しました。

現在、5歳の男の子と3歳の女の子を育てています。

上の子はすでに自分をしっかり持っている子です。
人からは少し理解されにくい子ですが、賢くて優しい子です。
不器用なところもありますが、ハマったこと、好きな事には寝食を忘れて打ち込むタイプです。
甘えん坊で、お兄ちゃんらしさはまだありませんが誰とでもすぐに仲良くなれる程友達には積極的です。
幼稚園の当時の担任の先生の勧めで検査をし、4歳のときに自閉症スペクトラム症と診断されました。

下の子は感情型、自由奔放、天真爛漫でユーモアのある子です。
面倒見が良くて器も広く、妹ですがなぜかお姉ちゃんの風格があります。
外では恥ずかしがって自分を出さず、家では自分を爆発させる完全な内弁慶タイプです。
おっとりしていて、いるとなぜかみんなを安心させて笑顔にしてくれる不思議な癒やしパワーを持っています。

ここから、これまでの人生の話をさせてください。

私は子供の頃に両親が離婚したらしく、血の繋がった父親の事は何も知りません。
酔っ払った祖父に当時は航空自衛隊だったと聞いたことがあるのみです。
つい先日市役所の手続きでたまたま見かけて初めて実父のフルネームを知りました。
興味が急に湧いてネットで検索してみたりはしましたが、結局それ以上の行動は起こせませんでした。

小学生の頃に母親が再婚し、(現在の)父に出会い中学生の時に妹が産まれました。
妹との待遇の差や父と母との性格の不一致、父と母の仲が悪いことへの不満や父の暴力など、数え切れない悩みがありました。
父と母が再婚してからずっと家族との折り合いは最悪でした。
何よりも辛いのは母と私が全く合わないことでした。
性格も見た目も似ていない、話せば喧嘩になるほどに全く違いました。
少し関係が良くなった今でもその違和感は拭えていません。

小学校、中学校ではいじめにもあいましたが誰にも相談できずに乗り越えました。
両親はおそらく知りもしないと思います。
貧乏でしたし、転校生だったのでいじめられやすかったようです。
中3になりはじめて数少ない友達と同じクラスになり、友達もだんだん増えて楽しい学校生活を送れるようになりました。

家庭環境、学校生活の悩みなどは尽きませんでしたが、私の救いは祖父母の存在でした。
居場所のない私は毎週末祖父母の家に通いました。
祖父母はいつも優しく受け入れてくれて、両親とのことなどは何も話さない私に何も聞きませんでした。
貧乏で何も買ってもらえなかった私に精一杯、最低限のことをしてくれたのも祖父母でした。
祖父母がいなければ私は非行に走ったり心を病んでいたのではないかと思います。

高校は地元では少しだけ偏差値の高い高校を出ていますが、かなり貧乏でもちろん進学など許されず卒業後は就職をしました。

『心理学について学びたい』そんなぼんやりとした夢がありました。
今でも当時のことは後悔しています。
もっと勉強したかった、もっと違う将来があったかとしれない、もっとやりたいことをやりたいと言えていたら良かった。

そんな数々の後悔から子供たちの将来について今からすごく考えます。
絶対に不自由させたくない、絶対にお金のことで夢を諦めさせたくない、そんな思いから毎日たくさん仕事をしています。
子供たちのために頑張れる親になれたことを本当に幸せに思います。

夫のおかげで実家の家族との関係は随分良くなりました。
色々なわだかまりは未だにありますが、少なくとも今は自分の家族ができたので孤独ではなくなりました。 

そんな夫とは同級生ですが、高卒で入社した会社の同期でもありました。 

夫は一言でいうと自由な人です。
すごく優しい人ですが、すごく変わっています。
人付き合いは苦手で、自分に嘘を付くことができない良く言えば素直な人です。
人との距離を上手く取れず、出会ってから常に人間関係で悩んでいます。
25歳のある時期から心療内科に通い、検査の後に自閉症スペクトラム症と診断されました。

夫とは社内結婚だったため結婚後は私が寿退社をし、転職をしました。
(夫も結局その後転職をしました。)

私が下の子を出産してすぐの24歳の時、夫が病を患いました。
繰り返す入院、2度の手術、リハビリに耐え、約1年と少しの間仕事を休んで療養しました。

夫はその後、療養期間を終えて元の職場に戻りましたが様々なストレスで半年も経たずに休みがちになりました。
夫のストレスの原因となった上司は、他の社員の告発から地方に左遷されるなど社内で大きな問題になりました。
しかし夫の気は晴れることはなく、更に居辛くなり、部署異動を願い出ました。

その後、数箇所の部署を転々としましたがどこに行っても上手くいかず続くストレスで体調も再び悪化しその後は休職しました。
結局退職し、転職をしましたが馴染めず、長い間何社も転々としました。   

これが我が家が困窮することになり、私が本業の仕事だけでなく副業も始めたきっかけになりました。
『夫の稼ぎはあてにしてはいけない』心に刻んでとにかく働きました。
本職の合間に業務委託の仕事、空いた時間にアフィリエイト、転売などやれることはなんでもやりました。
自分が責任を持たないとこの家は崩れてしまう、その事がすごく怖かったです。
今でもその恐怖は消えていません。

ただ、いくら働いても高卒で事務職の女一人が稼ぐお金だけでは家族は養えず借金は膨らむばかりでした。
返すためにまた借りて、また返せなくなって‥とにかく悪循環でした。
常にダブルワークをして稼いでいましたが時には失敗したり、たまに成功したり‥副業選びは私にはハードルが高いものでした。
それでも何もしないよりはとフルタイムで働きながら、空いた時間は副業に費やしました。

欠勤続きの夫の稼ぎはほとんどなく、家計はかなり苦しいもので夫としては何の収入もない月も多くありました。

今思うとこの頃の夫は
「男なんだから働かないと」
「お金がないから稼がないと」
「家族を養わないと」
「苦労をさせている」
などという重圧に押しつぶされながらも、どうしても会社に行けない体と心と戦っていたのでしょう。
ただ、その気持ちは嬉しいのですが世知辛いもので勤めてくれていても欠勤しかない場合や転職で空いてしまう空白期間が1番辛かったです。 

なんとか仕事をしたいと頑張る夫の心と、相反して通勤に拒否反応を示す夫の体との戦いでした。

転職を繰り返すようになって半年が過ぎた頃、どんどん心をすり減らす夫を見ていられなくて私は心療内科に連れていきました。

この時に検査を行い、はじめて夫が自閉症スペクトラム症だと知りました。
そしてうつ症状が出ていること、社会不安障害を患っていることを知りました。

夫に関しても息子に関してもですが、診断されたときはそれまでの疑問の点と点が繋がった不思議な感覚でした。
発達障害は最近よく聞くワードですよね。
まさか自分の夫が、息子が、と思いましたが薄々わかっていたような気もしました。
本当に夫にそっくりな長男は、夫と同じ性質を持っていたんだと納得しかありませんでした。

夫は在職中に、同期で1番に出世して仕事もできました。
今思うと、マニュアル化されていて一人で黙々と打ち込めて結果が目に見える仕事は夫に向いていたのだとわかります。 
辞めてすぐにそのことに気が付きましたが元いた場所に戻ることなど到底できずに、今も夫は後悔しています。
自分にとって唯一働けた場所だったのではないかと。
そして私がいたこと、たまたまですが夫の友人も同じ職場にいたことで夫の精神的安定が保たれていたのだと思います。
夫が闘病中にその友人は転職してしまい、復職した夫はかなり孤独に苦しんだそうです。
夫は誰か気を許せる人がいないとそのコミュニティに居るのが辛くなるらしく、面倒をみてくれてコミュニティとの橋渡しになってくれる人が必要だったのだと思います。
まだ学生の延長のような気持ちでいたのかもしれません。

また自主性を求められるのも苦手で、どこに行っても「やる気」という言葉に潰されていました。
目に見えないものをどう形にするのかを理解できないのか、理不尽に感じるようで向き合えば向き合うほどに辛くなるようでした。

夫自身も子供の頃から自分のことを発達障害なのではないか、と感じていたようでした。 
小中と不登校で高校は休みが多いながらも卒業しています。
なぜ学校に行けなかったのか、いじめなど特別な理由はなかったそうです。
診断された時に「子供の頃からの生きづらさの理由が明かされたような気がする」と言っていました。

妻である私はというと、
別の人間な時点で理解できない部分があっても当然だと思っていたので、あまり夫の事を「普通」とか「普通と違う」というくくりでは考えていませんでした。
自閉症の人の特徴を言われてみれば確かに夫はそうかもな、くらいの感覚でした。

ここから約1年半後、障がい者手帳の申請、障害年金の申請や児童扶養手当の申請、私のカク福の申請など動き始めました。

誰にも言えず、相談もしませんでした。 
自分で調べて全てを行うのはすごく大変でしたが性格上、人に弱みは見せられませんでした。
孤独よりも夫のことを知っている人に夫の障害を告げる事ができませんでした。
プライドが高いのかもしれませんが、他人にどうこう言われたくなかったのです。

しかし行政の手続きというのは全て一つ一つ確実にこなすしかない作業です。
役所は基本的には申請できる補助についてなど教えてはくれません。  
困り事があり、何度も市役所に問い合わせをしましたがたまにいい人がいるな、くらいのものでした。
基本的に何でも分かりにくくて、聞く人によって言うことはバラバラで一貫性がなく、必要以上のことは教えてくれません。
結局頼れるのは自分だけだと思いました。
当然に受け取れる権利でも、市役所の職員さんには毎回のように「審査が厳しいから無理だと思う」などと言われましたし、病院でも「この程度では障害年金の受給なんてできるはずがない」と言われました。
その度に諦めたほうがいいのかなと思いました。
お金にがめつい、そんな風に自分のことを感じるのは辛いです。
でも心の中で強く『夫は病気で働けない、支援が必要だ』と信じていたので助けを求め続けることができました。 

毎回諦めずに言いました。
「申請出すのは自由ですよね」と。
結局私は自閉症スペクトラム症だけで夫の障害厚生年金2級を取得しました。
強い意志を持たなければ、負けそうになることもありました。
そういう時には、SNSで自分と同じような立場の人を探しました。 
すごく力になりましたし、参考にもたくさんさせてもらいました。

今の現状は目の前の人の言葉だけに振り回されず、一つ一つ確実にこなしていくことで得られた成果だと思っています。
『あのときのあの人の言葉を信じなくて良かった』
そんなのがたくさんあります。
病院の先生も、心理士さんも、社会福祉協議会の人も、市役所職員さんもみんな見当外れでした。
結局自分を信じてやるしかないのです。
諦めていたら夫は今も生活のために苦しみながら働いていたかもしれません。
そしたら今のこの生活はなかったでしょう。

もちろん『普通』に働いて欲しい気持ちはずっとありましたし、障害年金を受給するまでは当然お金にも困り続けました。
同じ母親でも専業主婦のお母さんを幾度となく羨んできました。
「自分が働かなくても安心して暮らせるなんて、なんて幸せなんだろう」
そう羨むことは今もあります。
もちろん、主婦としての苦労も計り知れないものだと思うのですが人は無いものねだりです。
隣の芝生は青く見えるのです。

借金に関しては、結局返せなくなり任意整理もしました。 
障害年金を受け取れるようになった今もその返済を続けています。
しかし、何をおいても毎月固定で入ってくる収入があるのは本当に本当に安心できるものです。
障害年金は精神安定剤のようなものです。

障害がある人にとっては心の安定だけでなく、金銭面も含めた生活の安定が何よりも必要にも関わらずそれに対する障害が実際にはあまりにも大きくて驚きました。
障害年金の申請や任意整理など、私が全て行いましたが夫には果たしてできたかと言われると難しかったかもしれません。
奥さんやご両親など助けてくれる人がいない人にも役に立てるように障害年金についても任意整理についても今後くわしく記事にさせていただきます。

収入面については、以前の月収の倍以上の金額を固定で稼げるようになりました。
まだ会社員を卒業などはできていませんが、以前の私よりはかなり成長しています。
副業は現在進行系で、常に新しいものを取り入れています。
私自身ずっとずっと貧乏だったので、絶対に子供達にはそんな思いをさせたくはありません。

副業に今日を持っている方は副業の記事も書くので読んでくださると嬉しいです。

過去に経験した副業は下記の通りです。
少々グレーなものまで経験しています。

チャットレディ、テレアポ、ライブチャット、アフィリエイト、メルカリ物販、各種業務委託(データ整理、テープ起こし、営業事務、メールアタック)

お金もなく、安定とは無縁の日々から約1年が過ぎました。

今は私が一家の大黒柱として働き、夫は障害年金を受給しながら様々な面で私を支えてくれています。
家事や育児、仕事の手伝いまでよく働いてくれるので本当に毎日助かっています。
こうなれるまで、随分かかりました。
離婚の危機に立ったこともあります。
今は以前よりずっと夫婦仲も家族の形としてもよくなりました。
離婚しなくてよかったと心から思います。
今の生活が幸せだからです。
在宅勤務なので時間にゆとりもありますし、生活の質もずっと向上しました。
働き詰めでも金銭面も精神面も余裕のなかった頃に比べると、子どもたちにとっても最高の環境だと自信を持って言えます。
諦めなくて良かったと心から思います。
変わろうと思わなければ、現状に甘んじていれば手に入らなかった幸せです。
不幸に慣れることは絶対にあってはなりません。

今、当時を思い返してみると思います。

本当にお金がないと失敗なんてできないんです。
失敗してる時間なんてないし、そのためのお金だってないし、でも試さないと何も変わらない。
苦しい状況の私達の足元を見るが如く存在する「副業アカウント」「副業スクール」「情報商材」。
何度も時間を取られたり、騙されそうになったりしました。
本物ももちろんあります。
勉強になることを教えてくださる人もいました。
これに関しては見極めが難しく著名な人の運営しているものであれば大丈夫、というわけでもありません。

見極める力をつける前に
まず見極める段階に入る準備が必要です。

見極める力は後々いくらでも鍛えられます。

でもその前に時間やお金を無駄に使ってしまうのが情報難民なのです。
事前知識があるかないかが全てだと思いました。

先入観や事前知識だけではなく、言葉にはしにくいですが経験談や体験談、後日談が役に立つ事もあると思いました。
そしてそれなら私でも提供できると思いました。
本物のただの主婦だった私だからです。

情報商材は世の中にいくらでもあります。
物事の始め方や進め方を教えてくれる人はたくさんいます。
noteで知識を提供されている他の方々のように、私には肩書もお金もスクールも本もありません。でも私の実際の経験を話せるのは私だけだと気付きました。


最後に
私がnoteで情報発信をする意義は、ありきたりですが「過去の私と同じように困っている人の力になりたい」という気持ちからです。
私はこれまでの人生で何度も壁にぶかってきました。
その度に私を助けてくれたのは「情報」でした。
その「情報」に出会えなければどうなっていたかと思うと本当に恐ろしいです。
ありがたいことにネット上にはたくさんの情報が溢れていますが、その中でどの情報を信じたらいいのかわからない不安は常につきまといました。
まずは不安を拭ってくれる「必要な情報」に巡り合うことが何よりも大切です。
私がその「情報」の1つになれたらいいなと思っています。

お役に立てる情報がある限り書き続けます。
どうか末永くよろしくお願いいたします。


下記は私が発達障害を知るために実際に読んでみたおすすめの本です。
相手が発達障害であるかはどうかは関係なく、別の人間である以上、人の頭の中なんて分かりません。
ただ、発達障害の人に対しては世の中に取扱説明書が多数出回っていますよね。
もちろん人間なので誰だってカテゴライズしきれるものではありませんが、ヒントがあること自体はラッキーな事だと思いました。
『男心とは』なんて本よりはターゲットがずっと絞られているからです。

実際に読んでみて
「もしかしたら夫はこう考えているのかな?」
「こういう世界の見え方があるんだ」
「〇〇な行動に悪気はないのかも」
などと様々な発見がありました。

悩んでいる誰かの役に立ちますように。


下記は子育てに悩んだ時に教科書代わりにしている本です。
あるあるなのかもしれませんが、息子に対しては特に
『伝わった感覚がない』
事が多いのです。
一生懸命に伝えているのに手応えを感じにくい感覚はなんとももどかしく、気持ち悪いものです。
伝え方や捉え方が悪いわけでもなく、
私や夫、子供たちが悪いわけでもなく、
この本を読んでみて、悪かったのはワードチョイスなのだと気づきました。
それからは辞書のようにこちらを見ていました。
子育ては迷いばかり生まれます。
正解もしくは正解に近づくための近道を教えてもらえるなんて、本当にすごくありがたいんです。
この本には救われました。
1度覚えたと思った常識も毎日過ごしていると、たまに忘れてしまいます。
そういう時に原点に戻って子供と向き合えるように、お守りのような本です。

私はAmazonアソシエイトに参加しています。
こちらからの購入を避けたい方に、タイトルを下記に記します。

岩瀬 利郎 著

発達障害の人が見ている世界

大場 美鈴 著
発達障害&グレーゾーン子育てから生まれた 楽々かあさんの伝わる! 声かけ変換

記事を書く仕事をもっとしたい、もっともっと成長していきたいと思っています。 いただいたサポートは必ず活動費に充てさせていただきます。 これからも有益な記事、面白い記事を書けるように更新頑張りますので 良ければサポートをお願いいたします!