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消雲堂自分史 阿武隈川

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駄目な人間の私が、どうやって生きてきたのかを再確認するマガジンです。自分のためのものですが、興味のある方はどうぞご覧下さい。
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2024年2月の記事一覧

カルチャースクール新講座(案)

カルチャースクール新講座(案)

カルチャースクールでの僕は酷く人気がない。生徒さんは驚くほどに少ない。知名度はもちろん、AI時代のいまどき文章講座なんていうのはウケないらしい(笑)。ならばAI講座をやればいい・・・といっても生徒さんは皆高齢者だから、AIなんて関係ないかもしれない。

高齢者さんたちは、まずAIなんて関係ない、難しいだろうと思うが、「相談相手になってくれる、必要な文章を作ってくれる、絵だって描いてくれる」という、

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懐かしい建物

懐かしい建物

今、住んでいる地方の町のことです。以前は旧中心地にヨーカドーが建っていて、田舎の百貨店の役目を果たしていました。その周辺にはケンタッキーやマクドナルドなどもあって、まあまあ賑やかな町でした。ところが市役所が移転した地域が現在の中心地となり、その周辺から開発されてイオンができたと思ったら、以前ヨーカドーがあった旧中心地は廃れてしまったのです。

んで、現中心地が栄えるかと思ったらそうではないのです。

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彼女たちの人生

彼女たちの人生

先ほどまでWOWOWで伊藤蘭さんのコンサートを観ていた。80年代の懐かしい匂いを感じながらKindleでGPTによるAI画像を生成した。AI画像生成は「メモ代わり」になるから便利だ。Kindleも同期しているからこちらがモバイルでのスケッチブックになる。

22歳の頃、僕は東京の二子玉川にあったレコード屋でアルバイトしていた。写真が趣味だったので、そこの店長に「アイドルの写真を撮ってこい」と言われ

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明日のカルチャー課題

明日のカルチャー課題

明日は自分が生まれ育った家の図を描いてみることと、その家での記憶を箇条書きで書き出してもらうということをします。

僕は福島県のいわき市で生まれましたが、そのいわき市での記憶は全くありません。それから4歳くらいから6歳くらいまでを同じ福島県の県庁所在地福島市で暮らしました。

当時住んでいたのは2階建てのアパートで、僕たちは1階の端っこに住んでいました。アパートの裏には「弁天山」という山があって、

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