レッテルについて考えること

現在私は仕事をせずに休憩中です。コロナの状況もあり、私のような方はきっとたくさんいると思います。私はもうニートの年齢枠から外れているので、ニートではないですが、「ニート」レッテルは個人的に嫌いです。

そもそも、NEETとはNot in Education, Emplayment, or Trainingという言葉の頭文字をとったものらしいです。

つくづく感じるのが、こうした自分の置かれている状況などを示すレッテルの壁です。レッテルを貼ることによって、どこかに”属す”、どこかに”納まる”ので、整理整頓基準から考えれば、「あなたは〜で、私は〜。」という具合にラベルを貼って、今あなたはどこにいるのか、どう言った状況なのかを示すので、目安としては良い気もしますね。でも、私は方にハマるということが苦手なので窮屈な気がしちゃいます。名前に当てはまる自分像が、社会のプレッシャーに負けてる気がしちゃうからです。

私の思うところでいうと、目安となるようなレッテルは、人生において必要なのだろうかという疑問です。

レッテルはもちろん、他人からの貼られるレッテル、自分で自分に貼るレッテル。自分に対するレッテルはきっと自分の描いている今の自分になっているのではないでしょうか。

名前をつける、レッテルを貼ることにより、目には見えない壁、もしくは偏見ができる気がします。感覚としては、見えない色眼鏡をかけてしまっているような感じでしょうか。

自分へに対しては、せめてポジティブなレッテルを貼りたいものです。

あなたはニート。

あなたは専業主婦。

あなたは客室乗務員。

あなたは鬱。

いろいろなレッテルがありますよね。イメージ的にポジティブなものもあれば、なぜか、ネガティブに感じる名前など。

私は上記のレッテルでそれぞれ経験しましたが、自信がないのが根底にあると全てネガティブになってしまう気がします。昔の私の場合は残念ながら、自分の中にしっかりした芯がなかったので、こうゆうレッテルを貼られることによるイメージに振り回されてしまいました。

ニートならこう感じました:

周りからニートだよねと言われたり、自分でそう思っては焦る。何かしないと変な目で見られる、自分がダメになる。早く何かしないといけないのに何して良いかわからない。変なところに就職したくない。就職できたところで、その職場に本当に勤めたいのか。中途半端に就職したら後悔するのではないか。など色々考えました。その間もちろん、周りと比べて落ち込むこともありました。

そんな自分にはこう言い聞かせました。

「冷静になって、マイペースに決めれば大丈夫。人と比べちゃダメ。自分は自分。焦っちゃダメ。大丈夫。」

でも、ニートという位置付けは必要だったのでしょうか。それが私にポジティブな意味を与えていなかったのなら、必要じゃないものだと思います。

専業主婦の時はこう感じました:

専業主婦。仕事してなくて良いじゃん。専業主婦はお家のことだけできていいよね。旦那さんの稼ぎがいいから、お家で主婦できていいな。人によって様々だと思いますが、色々周りから言われました。そのときは、家庭に入って、子供を作るんだ。家庭をつくるんだっと考えていたので、気にしないようにしていました。でも、徐々に専業主婦というレッテルが自分の自信をえぐっているようで、辛くなる時があったのを思えています。今思えば、周りを気にせず、自分のペースで生きればいいだけだと思えますが、ついつい上記のようなことを言われると周りと比べてしまう芯がお豆腐のような自分がいました。

客室乗務員だった頃は、「CA」というレッテルがあるわけですが、それにより自分がそのレッテルで本来の自分とは違う自分像が出来上がっていた気がしました。他人が想像している自分と違う気がして違和感があったのを覚えています。ただ、どんな仕事をしていても、しっかり自分を持つということが大事なんだなと感じました。転職をしたり、環境が変化したからと言って、自分の思考パターンが変わるのではなく、自分自身が変えていく、進化していくのであればなりたい自分になっていくということなんだと思います。環境により、強制的にマインドが変化してしまうことは多々あるとは思いますが、自分が何者なのかを追求し、形成していく努力が必要なんだと思います。

「鬱ですね。」そう医者から言われたときは、「そうですよね、そうなんですよ、じゃーどうすればいいんでしょうか。病名がわかったところで奇跡的に薬で治るんですか?」と心の中で、思いました。でも、鬱なんだって名前がつくと、色々それに対して考える機会が与えられた気がします。もちろん病名に飲み込まれそうになる恐怖はありました。病名が自尊心を傷つけ、落ち込みました。病名がより自分を暗くし、周りに眩しいくらいのスポットライトを照らして、これでもかというくらい周りと比べてしまう自分がいました。でも、鬱が落ち着いたときに、出来る限り自分とはなんなんだろう。人生ってなんなんだろう。なんのために生まれてきたんだろうと色々模索し、自分を許すこと、他人と比べないこと、レッテルに振り回されないことなど、人生に必要な知恵を少しは身に付けられたような気がします。

レッテルは人に良い意味でも悪い意味でも影響を与えます。でも、最終的に自分はこうだって思うのは自分自身だけです。他人は言いたいことを心なしに言ったりしますが、他人は自分の人生を生きるわけではないただの通りすがりですよね。そんな奴らのいうことなんかに耳を傾けるより、自分自身の心の声に耳を傾けて、自分の心が一番幸せになること、心が落ち着いて平安な気持ちになることを見つければ良いと思います。

そう思ったら、レッテルなんていらないはずだと思います。レッテルは社会的にみてファイリングするためのファイルの名前に過ぎないと私は考えています。もしそうだとしたら、レッテルが全てではないことを忘れてはいけないなと思う今日この頃でした。

私の心の回想を読んでいただき、ありがとうございます。


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