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そうだ寄付しよう、クリスマスに無私の愛について考えた

今日はクリスマスイブで
私にとっては給料日だ

今の年齢になるころには私もすっかりサンタが板についている予定だったが、、、

私には、枕元にプレゼントを忍ばせてあげる子どもいないし
お年玉をあげる相手もいない

だから本当は使うはずだった、図らずも浮いているそのお金で、どこかの誰かのサンタになることにした。

クリスマスソングを探していた先日、たまたま見つけたPentatonixの”12 days of Christmas”のオフィシャルミュージックビデオのあまりのクールさにどハマりした私。彼らの公式インスタグラムを覗いていた時に、メンバーの一人が以下のように語るインタビュー動画を発見したので、まずはこれを共有させて欲しい。

クリスマスは奉仕をする日

「子どもの頃はよくシェルターに出向き、孤児たちに手作りのクッキーを持って行ったりしていたんだ。僕の両親はいつも『(クリスマス)ホリデーは奉仕(service)をする日なんだよ。私たちには家も家族もあって恵まれている、でも世の中にはそれを持たない人が沢山いるんだよ』と言っていたんだ。だから僕はその経験から、自分が得たものをギブすることを学んだんだ」(1:10あたりから)

実は、全く同じことを4年前のクリスマスに私は25年来のメキシコ人の友達から聞いていた。

2017年のクリスマス、留学時代の友人ファミリーに会いにメキシコを訪れた時、裕福な彼らもまたクリスマスに車にいっぱいプレゼントを積んで、車を何時間も走らせて商店もなくインフラも整ってなさそうな小さな田舎の村に向かった。「毎年の恒例行事なんだけど、一緒に行くかい?」と言われ、私もついて行った。

その村に到着するころにはすでに教会にたくさんの人が集まっていて、彼らは、その村の人々に食糧や日用品など、山ほどのプレゼントを配った。

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もう何年もこうして会っているのだろう。
彼らの距離の近さからその関係性が垣間見える。

それは、Holiday is about service. をまさに体験した日だった。

誰かの貧しさは決して他人事じゃない

とある観光地を訪れた時、バンバンお金を使う観光客とは対照的に、いかにも貧しい身なりで地べたに座りお土産を売る人たちがいた。よくわからないがホームレス、という雰囲気だった。

末っ子(4)はその人からお土産を買ってあげたいのだとパパにねだった。しかし私がびっくりしたのはそこではなかった。

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末っ子はお買い物をした後、その売り子のおばあさんにハグをして私たちのところに戻ってきた。私にとってこれは衝撃的な出来事だった。日本で見たことのない光景だった。そしてまた自分の中にもその発想はなかったことに気づかされた。

若干4歳にして、相手が浮浪者だろうが分け隔てなく、ただ呼吸をするように愛を注ぐ。

私の友人である彼女の父もまた、大みそかの夜に空に飛ばす風船を、赤信号で止まった交差点で道路の中央分離帯にたくさんの風船の束を抱えて立ち、止まる車止まる車に声をかけてはそれを売る人から購入した。Amazonで購入したほうが随分と安く買えるそうなのだが、困っている人に直接お金が届くから彼らから買うのだと私に話してくれた。

彼の娘たちは常に、そういう父の姿を見て育っているのだ。

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三人の娘たちは、自分たちはたまたま恵まれた環境にいるが、貧しさとは決して他人事じゃないのだということ、恵まれない人たちのために自分たちにできることを考えることの重要性を両親から聞いて育ち、そしてその教えをしっかりと実践していた。

私の家は君の家

私の知り合ったメキシコ人はみなとにかく寛大で、ものすごくギブをする人達だった。メキシコにはこんなフレーズがある。

Mi casa tu casa.(=my home is your home)

滞在中なんども聞いたこの言葉。友人からだけでなく、そのきょうだい、いとこ、親、おじさんおばさん。とにかく会う人会う人が本当にあったかかった。「ここは君の家だよ、だからいつでもおいで」みんながそう言ってくれた。初めて行った国だったが大好きになった。

冒頭に書いた小さな村で一人写真を撮りながらプラプラしていた時には、このいかにもメキシコ人!ドンタコス!みたいなおじさんが話しかけてきた。友人は遠くにいるしまるで言葉が通じなくて困ったのだけど、どうやら馬に乗せてやろうと声をかけてくれていたらしく、私を馬に乗せてくれて、そして、友人たちのプレゼントの儀式が終わるまでしばらく散歩させてくれた。

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人ってなんてあったかいんだろう。人と人は助け合って、愛を分かち合って生きている。ギブがめちゃくちゃ循環している。

日本のクリスマスはどうだ

日本のクリスマスは、カップルのためのもののように扱われることが多い。クリスマスケーキだ、プレゼントだ、ディナーだ、デートだと、商業的な部分だけがインポートされたけれど、本来のクリスマスの意味を知る人は少ない。

クリスマスはそもそも、馬小屋で生まれ、人類のために生き、人類のために死んだ主に対して、我々は一体何をささげられるのかを考える日であり、「無私の愛」を示す日なのである。

クリスマスや正月にすら満足な食事をとれない子どもが日本にはいる

今や日本の子どもの6人に1人が貧困といわれている。これは、1クラスに何人もそういう子どもがいるということだ。決して、私たちが住む世界と違う世界の話ではない。

私はコロナでもまるでダメージを受けず、全然恵まれているほうだと言える。だから自分が持っているものをギブする、そんなクリスマスを過ごしてみたくなった。

そこで今日、
厳しい環境におかれているひとり親家庭の親子を支援する団体
コロナ禍で満足な食事をとれないひとり親家庭を支援するフードバンク
180万人以上が被災し死者も400人を超えたフィリピン台風の被災者支援
米国で壊滅的な被害をもたらした多数の竜巻の被災者を支援する団体
にそれぞれいつもよりもちょっと多い額を寄付した。

どの団体に寄付しようか考えながら、私はこのPentatonixの動画で語られた話やメキシコでの実体験を振り返り、いかに自分が恵まれているかということと、ギブすることについて深く考える機会となった。

ギブすることで真っ先にあったかくなったのは私のハートだったかもしれない。

もしもこの投稿で、クリスマスなのにあたたかいごはんも食べられず、または災害で家もなくした人々がいることに気づき、なにか一ミリでもアクションしてみようかなと思ったら、どこかの誰かのサンタになってみる、というのもアリかもしれません。

ho ho ho

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