miyabi元酪農組合の中の人

好きなものは朝寝坊、アメリカンコーヒーで淹れたカフェオレ(無糖)、北海道の夏、こたさん…

miyabi元酪農組合の中の人

好きなものは朝寝坊、アメリカンコーヒーで淹れたカフェオレ(無糖)、北海道の夏、こたさんは永遠。

最近の記事

やれやれ、、、

こちらに書くのは久しぶり なんとログインできませんでした パスワードで弾かれ、IDで弾かれ、確認メールは届かないという三重苦 もうこの場を捨てて新しく立ち上げようかとも思いましたが、ここまで書いてきた文章も、下書きに戻した文章も愛おしい それでどうしたかというと まあ、手当たり次第パスワードを入れていたらヒットしました(滝汗) 屈折半年 よく頑張った セキュリティのためにパスワードとIDは全部変えろといいますが、それをやったがために起きた悲劇でした さあ、次はなにを

    • 福島に行った3頭のぼんの話。番外編

      最後に オレンジページに掲載していただいた投稿文を ここに紹介させていただきます 『被災した牛たちへの思いを、誰かに伝えたくて』 震災の少し前、畜産農家のわが家から、3頭の子牛を福島の牧場に出荷しました。 毎日えさをあげ、頭をなでた子牛はわが子同然。 市場で別れるときは悲しさと寂しさでいっぱいでした。 だから、震災が起きたときは本当に驚きました。 さらに原発問題へと事態は深刻化。 生きた心地がしませんでした。 みなさんが家族や知人の安否を気づかうように、私は子牛の安否を

      • 福島に行った3頭のぼんの話。その9

        ※東日本大震災のお話です ある日 出版社から封書が届いた 定期購読もネット注文もしていない 「なんだろう?」 夫は 「注文して忘れたんじゃないの?」 「そんなことないと思うんだけど…」 いぶかしがりながら開けてみた 中には最新号の雑誌とQUOカード そして 「掲載されました」と書かれた文面 「掲載?……ああ!思い出した!」 投稿してから3ヶ月も経ってすっかり忘れていた 夫に話していなかった雑誌への投稿の件を初めて話し まっさらな発売前の雑誌をめくった 「………あっ

        • 福島に行った3頭のぼんの話。その8

          ※東日本大震災のお話です それから たまには思い出して泣けちゃう日もあったけど 可愛かった 楽しかった日々を懐かしんで 穏やかな気持ちで日々を過ごした 毎日検索していた個体識別番号による移動報告も いつの間にか見なくなり 日々の忙しさに埋もれていった 今思うと 忙しくして疲れて寝てしまえば余計なことを考えないという 自己防衛だったかもしれないが そんな風にして いつもの暮らしに戻っていった 風評被害により 全国の牛肉が売れなくなり底値に落ちたり 出荷時の書類に

          福島に行った3頭のぼんの話。その7

          ※東日本大震災のお話です 祈るしかない 3頭とも福島にいるのは逃れられない現実だ それにしても、国は何をしてるんだろう 人間は勿論大事だが、動物にだって命がある 無駄な命なんかどこにもないのに どうして放ってあるんだろう 人一人いない地域で牛が野性に返っていった 食べて、生きていかなきゃならない 牛だけではなくて、あらゆる置いてけぼりの動物たちみんなそう 地震はともかく 原発事故なんて 何も悪くない動物が、なぜ苦しまなくてはならない? 死ななくてはならない? 「3

          福島に行った3頭のぼんの話。その7

          福島に行った3頭のぼんの話。その6

          ※東日本大震災の話を記載しております 毎日見続けていたテレビのニュースも だんだんと辛いものばかりになってきた 最初のうちはがれきの中から生存者が見つかったりと 絶望の中にも希望が持てるニュースもあったが 行方不明になってから 生存している確率は 人も 動物も、時間(とき)が経つにつれ 望みが薄くなってくる現実を突きつけられるようになってきた… そんなとき 避難させられたままずうっと帰れなくなっている ある酪農家の話を聞いた 彼らは家族同然の家畜を立入禁止区域に

          福島に行った3頭のぼんの話。その6

          福島に行った3頭のぼんの話。その5

          間違いであるはずはないのに 間違いであってほしいと思い ゆきぼんの売買契約書を震える手で探し、引っ張り出した 購入者の欄… 住所にはやっぱり福島県って書いてある… なんてことだろう ゆきぼん きっと怖い思いをしている… そうこうしているうちにも、余震が何度も何度も続き 津波警報でテレビ画面が真っ赤に点滅している 地震情報が次々と映し出される恐ろしいテレビ画面をただただ見つめていた だんだん目の前が霞んでなにも見えなくなり ただただ泣きじゃくった 泣くしかできなかった

          福島に行った3頭のぼんの話。その5

          絶望は続く

          先日 某老舗の牛乳メーカーが、自己破産申請した その牛乳メーカーのTwitterアカウントは、つい先日まで明るい話題で溢れており、SNS担当者にとっては急なことだったとわかる 「今日あなたが働くこの場所が倒産しましたのでお店も閉店です。明日から無職です。」と告げられた心境を思う その牛乳屋さんは、酪農家の任意組合が創業した牛乳メーカーであり、過去には年間18億以上の売上があったらしいが、昨今の牛乳離れ、大手メーカーとの価格競争、そしてコロナ禍やウクライナ情勢による飼料や燃料

          うららのお話。

          Twitterで、予定より20日早く産まれてしまった黒毛和種の仔牛が、あらゆる手を尽くし、2日目にして自力で立ったという話を見た 胸にグッとくるものがあり、思いだしていた 産まれて3日も起立できず、獣医さんにさじを投げられたうららのこと もうずいぶん前のことだが、北海道で畜産農家の嫁として、黒毛和種の繁殖・育成に携わっていたことがある 長男の嫁として嫁いだのだが、夫の実家が畜産農家で義父がメインで世話をしていた しかし当時の夫は電気工事士の勤め人で、休日はたまにトラクター

          なんでこんなに牛乳とバターを真剣に販売したのかちょっと話したい

          日本中の酪農家、畜産農家が存続の危機を迎えている 正確に言うと、野菜や果物や米を作っている農家も全部だ 長引くコロナ禍ですっかり日本中が冷えあがってしまった 私が職員をしている、酪農家と畜産農家で構成されている組合は、営利を目的としない団体だが、それでも最低限の維持費は当たり前に掛かる そういう維持費を賄うために、組合員さんから手数料を徴収する その手数料は、通常総会の時に、生乳出荷金額の何%とか、購入した飼料代の何%とか決められるのだが、大体は前年とほぼ変わらない そう

          なんでこんなに牛乳とバターを真剣に販売したのかちょっと話したい

          福島に行った3頭のぼんの話。その4

          ※このあと、震災関係の記述が含まれてまいりますので、気分の悪くなる恐れのある方は読むのをお控えください ∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝ 2011年3月11日 その日私は近所の職場で、いつもどおり仕事をしていました (昼間は、法務省関係の国の機関で業務委託の仕事をしていました) 午後3時頃 部署に血相を変えて飛び込んできた職員さんが叫びました 「地震!凄いやつ!大変なことになってる…!」 「え…?」「何?どこで?」 その人は

          福島に行った3頭のぼんの話。その4

          福島に行った3頭のぼんの話。その3

          競りの開始は午前10時 開始と同時に次々と牛が競り落とされてゆきます もんぼんとしずぼんも、自動で動くレールに繋がれ、競りの会場へとだんだん近づいてゆきます キョロキョロと、落ち着かない2頭 その後ろを付いていく私たちも、やはり全く落ち着きません あっという間に順番が来て、私たちは競り台へ 牛の名号や血統 生年月日 体重 病歴等が、電光掲示板に映し出され、紹介されます それを見ていただいてから競りはスタート 購買希望者は、手に持っているスイッチを押します 押し続けると、

          福島に行った3頭のぼんの話。その3

          福島に行った3頭のぼんの話。その2

          2年前の2011年元旦 新しい年の幕開け 生き物を扱う我が家には、ゆっくりした休みはなかったけれど、それでも、 つかの間の正月気分を味わいました 牛舎にもしめ飾りを飾り お神酒やおそなえもちも いつものように、牛たちの鼻先にちょんちょんとお神酒をつけながら 「今年もよろしく。良い年にしようね。」と、1頭1頭の頭を撫でて、新年の挨拶を交わしました この年は年明け早々、出荷の準備がありとても忙しい日々でした もんぼんとしずぼんが2月3日に市場に出品予定 そして、3月2日には

          福島に行った3頭のぼんの話。その2

          福島に行った3頭のぼんの話。その1

          はじめに このお話は2013年に書いたものに加筆修正して掲載しました 当時私は北海道在住で、黒毛和種の繁殖農家を継いでばかりの長男の嫁、という立場でした 色々あって今は熊本にいますし、当時の夫とは離縁しておりますが、 今でも忘れられない出来事があります そしてこの時の思いや経験が、北海道から遠く熊本に来た現在でも 牛関係の今の仕事に就く後押しをしてくれました ∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝ 東日本大震災から2年経ちました もう…と

          福島に行った3頭のぼんの話。その1