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うららのお話。

Twitterで、予定より20日早く産まれてしまった黒毛和種の仔牛が、あらゆる手を尽くし、2日目にして自力で立ったという話を見た

胸にグッとくるものがあり、思いだしていた
産まれて3日も起立できず、獣医さんにさじを投げられたうららのこと

もうずいぶん前のことだが、北海道で畜産農家の嫁として、黒毛和種の繁殖・育成に携わっていたことがある
長男の嫁として嫁いだのだが、夫の実家が畜産農家で義父がメインで世話をしていた
しかし当時の夫は電気工事士の勤め人で、休日はたまにトラクターに乗り家の仕事を手伝っていたが、畜産農家を継ぐ気はなかった
私も外に働きに出ていたし、大きな牛が怖くて牛舎にも近づけなかった
遠巻きに牛舎を眺める日が10年以上続いた

そんなある日、義父が病に倒れた
だんだん手足の力がなくなり歩行困難になり、いずれは自力呼吸もできなくなる病気と判明
何となく手足に力が入らない自覚症状は何年も前からあったらしい
残念ながら、大きな牛を相手にする仕事はできなくなってしまったため、家族で悩み、話し合った末、夫が畜産農家を継ぐことになった
私はそのまま外に働きに行っていた

平成18年のまだ肌寒い4月のある日、仕事が終わる少し前に夫から電話が入った
「ごめん、牛が難産なので、迎えに行けない」

職場の同僚に送ってもらい、急いで帰宅すると仔牛は無事に産まれていた
しかし仔牛のサイズが大きく、初産だった親牛は難産のショックで失神してしまったらしい
親牛はすぐに目を開けることができたが、怖がって仔牛に近づこうとしない
羊水で濡れたままの仔牛を夫と義母がタオルでこすったらしいが、ちっとも起立しない
顔は上がっているのだが立たせても足に力が入っておらずへなへなと倒れてしまうという
恐る恐る牛舎に入り、仔牛を遠巻きに見てみた
「かわいそう・・・」
神経質になっている親牛が仔牛を小突くので、既に別の柵に入れてあった
仔牛だけの柵にそうっと入っていって、頭を撫でてみた
濡れた深い青色の瞳の仔牛がこちらを見上げていた
「かわいい・・・」
指を差し出すとか弱くだが、ちゅっちゅと吸った
慌ててミルクの作り方を習い、牛用の哺乳瓶に入れて飲ませてみた
立ち上がらないが顔は上げるので、顎を支えながら少しずつ飲ませた
立てないがミルクを飲む力はある
「この子は生きようとしている」

保温のためたくさんの古毛布で包んでみたらじっとしていたが、一人ぼっちで寝かせるのがかわいそうで、迷ったが、柵の中で添い寝することを決意した
昨日まで牛舎にも入ったことがなかったのにまさか仔牛に添い寝するとは思わなかったが、一人ぼっちでこのまま夜中に冷え切ってしまったら死んでしまうと思った
隣の柵の大きな牛たちが落ち着かなくしていたが、そのうち静まった
時折、牛の「ふーん、ぶーん、ぶん」という鼻息だけ聞こえる
一晩中冷たく冷えた仔牛の足をさすり、体をさすり、4時間おきにミルクを与え、ミルクの泡だらけになった顔を拭き、うんちまみれになった体を拭き、
そうして夜は牛舎で添い寝して3日目

ミルクを牛舎に持って行ったらミルク瓶を見た仔牛がよろよろと立った
よろけながらこちらに向かってきて、頭をぐいぐいと私の腰に押し付けた
号泣しながらミルクをやったのは後にも先にもこのときだけである

仔牛は3日かけてようやく立てたので「くららと名付けよう」と夫が言ったが、私は「春にうまれたからうららにしよう」と言い、「お前が助けたんだからそうしよう」と夫が譲ってくれて、めでたく「うらら」という名前になった
育児放棄され、人間の手で育てられたが、おおらかな優しいお母さん牛になり、自分が産んだ仔牛の面倒もよく見ていた
うららが生んだ仔牛は何頭も飛騨牛として旅立った

実はそのあとはわからない
私が家を出てしまったから

家を出る前の日に牛舎に行きお別れを言ってきた
黙って涙を流している私の手をいつまでもぺろぺろと舐めてくれた

大きな体で、少しだけ足が弱かったけど放牧にも出かけたし、食いしん坊で良く食べて病気一つせず
家畜としての一生を全うできただろうか

繁殖牛として生まれ育ってもその能力がなくなると、最後は廃用として肉になる、そんな運命だったけれど、間違った考えかもしれないけれど本当にかわいがっていた
いつかは肉になる、お別れの日が来るということを、日々覚悟を決めながら一緒にいた気がする

多分今はお空の上

牛の飼養の大変さも喜びも、牛の良さもたくさん教えてくれた
もう一度牛を飼うことができるなら、またあの子に会いたいと思う