福島に行った3頭のぼんの話。番外編

最後に
オレンジページに掲載していただいた投稿文を
ここに紹介させていただきます



『被災した牛たちへの思いを、誰かに伝えたくて』


震災の少し前、畜産農家のわが家から、3頭の子牛を福島の牧場に出荷しました。
毎日えさをあげ、頭をなでた子牛はわが子同然。
市場で別れるときは悲しさと寂しさでいっぱいでした。
だから、震災が起きたときは本当に驚きました。
さらに原発問題へと事態は深刻化。
生きた心地がしませんでした。

みなさんが家族や知人の安否を気づかうように、私は子牛の安否を気づかいました。
津波や放射能からうまく逃げ出せたのだろうか。
テレビで野生化したり衰弱死した牛の映像が流れるたび、涙が止まりませんでした。
耳に付けている黄色の耳標番号を頼りに、わが子を何度も探しました。
福島まで行こうかとも思いましたが、立入禁止区域が多いことから諦め、ひたすら無事を祈っていました。

今年の5月、そのなかの1頭が東京で競り落とされ、と蓄されたことを知りました。
風評被害でよい値はつかなかったかもしれませんが、とにかく今年の5月までは生きていて、無事に家畜としての一生をまっとうできたことにほっとしました。
福島の農家さんの大変さは想像を絶するものがありますし、無事に育てて下さって本当に頭が下がります。
まだまだ大変ですが、同じ畜産農家として頑張っていきましょうと伝えたいです。

みなさん大切な方を亡くされたり、問題は山積みなのに、牛のことなんてと思われるのではとためらっていましたが、命を扱う仕事に携わる者として、こんな思いもあるのだと知ってもらいたくて書きました。

~オレンジページ平成24年12月2日号より~


重い内容の記事を書かせていただきましたが
最後まで読んでいただきましてありがとうございました

稚拙な文章ですが誰か1人でもいい
心のすみっこにでもいいので届けばと願っています



2023.3.11
あれから12年目のこの日にやっとここに完了です
続きを楽しみにしていてくださった皆様大変お待たせしました
ありがとうございました

あの時のあの経験が今の私を形成していると思っています
畜産業界も酪農業界も現在は、違った意味で問題が山積みですが
きっと乗り越えられると信じて
今日も明日もその先も頑張ります