福島に行った3頭のぼんの話。その8

※東日本大震災のお話です





それから

たまには思い出して泣けちゃう日もあったけど
可愛かった
楽しかった日々を懐かしんで
穏やかな気持ちで日々を過ごした

毎日検索していた個体識別番号による移動報告も
いつの間にか見なくなり
日々の忙しさに埋もれていった

今思うと

忙しくして疲れて寝てしまえば余計なことを考えないという
自己防衛だったかもしれないが

そんな風にして
いつもの暮らしに戻っていった


風評被害により
全国の牛肉が売れなくなり底値に落ちたり
出荷時の書類に
「自家栽培・屋内保管された牧草であるという証明書」を添付するなど
影響は少なからずあったが

被災地の方々のご苦労を思えばなんてことはないと
普通の暮らしの幸せを噛み締めながら日々を過ごした

そんなある日
いつも愛読している雑誌の震災関係の記事に
目が止まった

様々な想いが溢れているそのページには
毎回心を掴まれていたが

ふと
「投稿してみようかな」と思い立った

苦しかった気持ち
諦めの気持ち
立ち止まって前に進めなかった日々

やっと立ち直りかけて前を向くことができた今を
今の想いを
形に残しておきたいと
そう思ったのだ

時を同じくして
しばらく遠ざかっていた個体識別番号による検索
避難による移動はとうに諦めていたが
無事に育っていればそろそろ
最後の移動時期

それは
肉牛として仕上がり市場に出場
競り落とされ
と蓄され
肉になる時期ということ

清々しい夏の
ある日…見つけた!

もんぼん
平成24年5月28日
東京の市場で
競り落とされ
と蓄されていた

それは

家畜としての一生をまっとうできた証
福島で頑張って生きていた証

主様が
頑張って
頑張って
育ててくださった証

ただただ
「ありがとうございます!」
何度も心の中でお礼を言った

雑誌に投稿する…

書きたい気持ち
伝えたい気持ち

何をどう書いたらいいか
もんぼんの件で迷いが消えた

今の想いを素直に

そのまんま
ありのまま
書いてみようと思った

パソコンの前に座り深呼吸……
書き始めるとあっという間
途中で辛かった日々を思い出して
あとからあとから溢れ出る涙をこらえきれず
何度も拭いながら一気に書き上げた

なんだか
いままでの自分の気持ちを全て
振り返ることで
決着をつけた気がした

自分の中では消化していたつもりの
いろんな想い
まだまだ泣き足りなかった
気持ちが整理できてなかったんだなと思った

書いて、全て吐き出したことで
たくさんたくさん泣いたことで

目ははれぼったくなり頭はズキズキ
酷いコンディションだったけれど

不思議と
心がスッキリ軽くなった気がした

今度こそ前に進めると
そう思えた


思いのまま書き上げて、迷いなく投函した

これでうじうじしていた自分には
本当にお別れできるに違いない!

そしてその夜
夫に全てを伝えることにした

もんぼんとしずぼんも福島に行ったこと
かなり驚いていたが
もんぼんがと蓄されたことを伝えると

「そうか…よかった
あとの2頭も無事だといいな」

そのあとは多くを語らず黙っていた

私が最初に事実を知ったときと同じくらい
いやもしかしたらそれ以上
ショックだったに違いない

でも当時は

夫の体調も思わしくなく
ゆきぼんのことだけで私以上に心を痛めていたから
言えなかった

私より
牛を慈しみ育てている夫には
真実を伝える勇気はどうしてもなかったのだ

そんな私の気持ちを汲んで
「今伝えてくれてありがとう」と言ってはくれたが
心の中はどうだったろう

なんとなく沈みがちで
3頭の話しには今まで以上に触れなくなった
早く真実を知りたかったかな
本当はそうだよね

ゆきぼんが福島で被災していると
出荷しなければ良かったと
ゆきぼんのいなくなった牛舎で
背中を向けて泣いていた
当時の夫の後ろ姿を思い出した

すぐに伝えなくってごめん……

私は言ってしまってスッキリしたけど
夫はきっと辛かったと思う

それからは
仔牛が誕生したり
畑が収穫時期を迎えたり
日中の仕事もあるしバイトもあるし

くたくたになって帰り
晩ご飯をやっと作って食べ終わったら
片づけものをして野菜の選果をして
死んだように爆睡

身体が疲れてしまって
考え事に頭が回らない

まさに繁忙期

新聞や雑誌やテレビ放送の
震災関係の記事や番組は必ず目を通すようにしていたが

少しずつ普通の日常に戻ってきていた