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ファンタジーなお出かけ 第823話・4.26

「なんとなくずいぶん遠くに来てしまったなあ。僕ちょっと怖くなってきた。この先どこに向かうんだろう」蝶ネクタイをした犬は、後ろで櫂を使って蓮の花のボートを漕ぐ相棒に不安をぶちまけた。「なにいってんのさ、もう幕はは切って落とされたんだ。俺たちは前に進むしかないんだよ」後ろの相棒は、前で不安がっている蝶ネクタイの弱音を一蹴した。

 それにしてもなぜ蓮の花をボートにして沖合に向かって漕いでいるのだろう。ここはファンタジーな世界、犬が人間のように生活している。きっかけは蝶ネクタイが、町の書店である一冊の本を手に入れたからであった。
「旅行記か、ふむふむ、へえ。こんな世界があるのか」それまでは自分の居る街しか知らない蝶ネクタイは、目を大きく見開いて外の世界を調味深く眺めている。
 それもそのはずだ、この町は三方向を高い山で囲まれていた。いずれの山もハイキング気取りで登れるような山ではない。まあ、途中の中腹までは可能で、そこには展望台があって、町を一望できる場所がある。だがその上はまさしく絶壁で、普通はだれも挑戦しようとは思わない。それでも「チャレンジャー」と称した者たちが、過去に挑戦したが、途中から引き返すか墜落して命を落としたという痛ましい事故が何度もあった。

 だがひとつの南方向だけが例外だ。絶壁からは何本も滝があり、町に水をもたらしてくれるが、その水は川となって町の南方寄りにある大きな池に流れている。そこは蓮の池で、どうやらそこから町の外に抜けられるのだ。
 実際に山により閉鎖された町と外との間の往来はごくわずかにある。手慣れた商人たちが、月に1度外の町からいろんな物資を運んでくるのだ。

 彼らはボートで、蓮の池の中までくる。それから町にある唯一の波止場に停留してそこで物資を町にもってきてくれた。蝶ネクタイが手にした旅行記の本も、そんな商人たちが町にもたらしたもの。

 蝶ネクタイは旅行記の本に登場する世界がうらやましくなった。蝶ネクタイの両親はこの町から一歩も出たことがない。両親だけではない親族も含め町に住んでいるほとんどの人が外の世界を知らないのだ。
「外なんかに出なくても良い。外の世界は怖いと聞いている。この高い絶壁で敵から守られてこその平和なんじゃ。この子は何をたわけたことを言っておるのか」
 これは蝶ネクタイの父親からのひとこと。自分の子供が旅行記を見ていることで不安になったらしい。だがその父親の不安は的中した。

「おい、外の世界を見ようぜ。僕たちも商人のように旅をしよう」蝶ネクタイは幼馴染の相棒に相談を持ち掛けた。
「そ、外の世界...…」相棒は一瞬驚くと周囲にだれもいないか見渡す。
 運よく周りには誰もいなかった。それを確認した相棒は静かに口を開く。「おお、いいな。俺も少し気になっていたんだ。外の世界だな。商人たちがいつも珍しいものを持ってきてくれる。だから外の世界は絶対に楽しいんだぜ」
「僕の親は外の世界など知る必要はないと言っているが、僕はそう思わない」蝶ネクタイは力説した。「わかった、そしたら次の休日に行ってみよう。蓮の花を船にすれば、行けると思う」
 相棒も何度もうなづきながら蝶ネクタイに同意。こうして蓮の池から外の世界に向かって旅をすることにした。

 決行当日、商人たちが使う桟橋には大きな蓮の花と、長い木の棒が置いてある。「これに乗っていくのか」「ああ、昨日試したが大丈夫だ」と胸を張る相棒。言い出しっぺの蝶ネクタイは、相棒のいう事を信じて蓮の花に乗り込んだ。
「商人たちは、これで池を漕いでいたからな。さていくぞ」

 こうして前に蝶ネクタイ、後ろに相棒という体制で蓮の花のボートはスタートした。この日は非常に天気が良く旅のスタートには心地よい。蓮の池は本当に大きくて、遠くの水面が全く見えない。乗り込んでいるボートと同じくらいの大きさの蓮があちらこちらに浮いている。蝶ネクタイは蓮の池の前までは何度も来ているが、この池の沖合には初めて来た。
「本当に大きな池だな。池の中に落ちないようにしないと」蝶ネクタイはすでに恐怖を覚えるようになっている。そもそもボート乗ること自体が初めての経験。ときより左右に揺れる蓮の花のボートに乗っていると、無意識にも地面とは違う水面が周りに広がっているという現実が待ち構えている。落ちたらどうなるのだろう。水深は?それはまったくわからない。

 こうしてどんどん奥まで進んだ。やがて蓮の大きな池が徐々に細くなっていて、両側の杜に覆われた岸部が見えはじめる。さらにこのあたりまでくると池に浮かぶ蓮の花の数がどんどん減っていた。ここまま進めば、やがて蓮の池が大きな川となり、外の世界に向かって流れているだろう。
 ここでまたしても蝶ネクタイはおびえ始めた。「なあ、やっぱ帰ろうよ。よく考えたら、今日僕、何も持ってきていないんだ。せめてお弁当だけでももってくればよかった」
 
 蝶ネクタイは震えながらもう一度相棒を見る。それを見た相棒は「弁当くらい持って来いよ」とあきれ顔。
「もう、わかった。準備不足すぎるし、そもそも君がここでこんなにおびえているようじゃとても外の世界なんていけないな。俺も自信がない。今日はちょっとしたお出かけでいいじゃないか。ここから戻ろう」
 こうして180度進路を変えた蓮の花は町に戻る。この間せいぜい1時間。結果的に休日の良いお出かけになるのだった。



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