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着ぐるみの中で 第725話・1.18

 ここはある公園、パンダの親子?大小異なる大きさの着ぐるみが立って、公園のみんなに愛嬌を振りまいていた。「パンダだ!」と嬉しそうに子供が近づいてくる。その後ろでその子供の親御さんがいて、記念撮影。そして子供は大喜びで去っていき、また別の子供が現れる。このようなことを昼から夕方にかけて行っていた。

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「お疲れさまでした」「お疲れさん」公園から関係者以外が立ち入れない事務所に戻ると、小さい方のパンダの頭が取れる。ここでひとりの女性の顔が出た。同時に大きい方のパンダの頭も取れ、そこには男性の顔、いわゆる「中の人」である。ふたりは同じ事務所に所属している先輩と後輩で、女性の方が先輩であった。
「いやあ、先輩、中の熱いのは慣れません。ひやあ、いつもこのときに吸う空気が最高!」すがすがしい表情の男性、首から下のパンダの格好とのギャップが面白い。
「あんた、まだ初めて三か月よね。わかる」女性の方はタオルを片手に顔を拭く。

「でもさ、ちょっと気になったこと言っていい」タオルで拭き終えた女性は何やら小言を言おうとしている。「はい、何か問題が」
「いや、大したことないんだけど、あんたリアクションが少ないわね」「え?」男性の表情は硬くなった。「す、少ないですか」
「うん、特にさ、子供が来たとき、何度か見たけど、ボーと立ってるだけじゃん」「いえ、一応手を振ったり、握手は......」
 女性は首を横に振り「ダメダメ、あれでは子供たちには、わからない。もっと大きなリアクションしないと。そりゃパンダというだけで子供たちは喜ぶけど、もっと記念撮影のときにさ、歓迎の意を示すというかすごく喜んでいるようにしないと。まあこれから勉強しなさい」
「はい」男性はしばらくうなだれたが暫くすると意を決したかのように口を開く。
「あの先輩」「何?」「この後食事しません、ちょっとぼく悩みが」

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 着ぐるみを脱ぎ、完全に人間に戻ったふたりは、事務所を後に歩く。ふたりが行ったのは、事務所の近くにあるおでん屋である。「ここ私の行きつけなの。あんた悩みがあるのよね。だったら、ここでおいしいおでんを食べながら聞いてあげるわ」
 おでん屋は半屋台風になっていて、入口にはドアはなく、少し空間をもたせ、そこにもテラスのように簡易的なテーブルと椅子がある。そして透明のビニールシートで覆っていた。
「さて、おでんはこれでよしと」酒とおでんの注文を終えたふたり。生ビールで乾杯した。「うん、プファア。いいねえ、仕事が終わった一杯」「そ、そうですね」酒の飲みっぷりも女性の方が先輩のようで、男性は少し口をつけた程度。

 すぐにおでんが目の前に現れた。「あ、この大根、染みている。いいわ。やっぱここが最高ね」と言ってビールをさらに飲む。「次、日本酒頼むけどあんた飲める」「え、まあ、飲めます。このちくわ美味しいですね」男性もちくわを食べたあと少しビールを飲む速度が上がる。こうして美味しいおでんと酒を楽しむふたりは、30分ほど世間話をしていたが、ここでようやく男性が本題に入った。
「実は先輩、先ほどのことなんですが、僕この仕事辞めようかと」
「え? さっきのことと気にしているの?」少し酔いが回って顔の表情が緩んでいた女性が真顔になる。「ち、違います。そうではなく、この『中の人』というのに......」

「着ぐるみの中の人というのが嫌なの」「はっきり言ってそうです。僕はパンダを着ていて、いつも子供たちが記念撮影をします。でもそれはパンダに対してであって僕ではない」「あ、まあそうね」
「この前も、あるイベントの表彰式に、僕行ったんです。そこで表彰受けている人と、主催者のお偉いさんに挟まれて、センターで撮影したんです」「へえ、なかなかいい仕事してるんじゃん」
「いや、そのときですよ」男性は錫の容器に入った日本酒の燗酒を飲む。熱燗の熱いアルコールの液体が喉を通っていく。
「よく考えたら、あれってそのキャラクターだからセンターに居られた。それを脱いでしまった、中の人ではあり得ないこと。それってなんだかなって」

「あ、ハハッハアア!」女性は大笑い。そして同様に熱燗を一気に飲む。「わかる!この仕事して最初はみんなそれで悩むのよ」「先輩もですか?」「そうよ。中の人が外の着ぐるみを操作している。でもみんなは中の人には興味がなくて、外にだけ興味を持つって事でしょ」
「そうなんです。だから僕は何者? いったい僕って何だろうかって」男性は少しうなだれた。だが2秒ほどで再び顔を上げると「先輩はどうやって、この悩み克服したんですか!」
 と迫るように問い詰める。突然のことで、体がビクつき、少し目元が動いた女性は、再び酒を飲むと、今度は赤らめた顔で大きく笑う。
「アハッハハハ、じゃあ先輩からいいこと教えてあげるわ。それって、俳優とか声優と同じと思えばいいのよ」「え?」
「俳優にせよ、声優にせよ、客や視聴者は結局演じている役とかアニメのキャラを見ているのであって、その人は見てないのよ」「でも、俳優も声優もスターは、もうそれだけで」

「まあね。確かにトップはそう。でも大多数の俳優と声優はそうじゃないわ。私たちはまずスターには、なれないかもしれない。でも子供たちを喜ばせるのは私たちしかいないの。いくらかわいい顔をしても中の人がいなければ、着ぐるみは何もできないのよ」
「たしかに、僕たちがいないとあのパンダもただの塊か」男性は酒に口をつけた。「でもさ、その偉いさんって誰?」「いや、県の主催イベントだったから知事さん」
「す、すごいじゃん」女性は驚きの表情。「それ、よほどでないと知事と記念撮影なんてできないわ。私そっち系の仕事ないのよ。あんたうらやましいわ」女性は少しうらやましそうな視線を男性に向けると、再び酒を口にする。男性はずいぶんと気分が晴れてきたようだ。
「た、確かにそうですね。なんとなく気が晴れました。もう一杯飲んでいいですか?」「いいわ、今日はどんどん飲みましょう!」こうして男性は吹っ切れたのか笑顔で酒を注文。

 こうして着ぐるみの中の人々は、今日も仕事のストレスを発散するのだった。


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