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高千穂の小舟 第659話・11.12

「先生、間もなく高千穂(たかちほ)ですね」「うん、かつては高千穂線というローカル線があったが、廃線となり、今はバスだけになってしまったようだがな」
 歴史研究家の八雲はハンドルを握りながらそうつぶやいた。今日は助手で事実上の恋人の出口とともに宮崎県の高千穂に向かっている最中。延岡までは公共交通を使い、そこからはレンタカーをチャーターした。
「今からだと到着予定が午後を過ぎますから、明日からがメインになりそうですね」出口が時刻を確認する。

「うん、それでいいじゃろう」窓を眺めながらつぶやく八雲。海に面した延岡から山の中を阿蘇方面に向かった車は、緑に覆われた中を、快適に走行している。
「ということで、今から高千穂峡に向かい、それから車を旅館において夜神楽を見に高千穂神社ですね」
「うん、で、明日の朝、再度高千穂神社に参拝してから、車で天孫降臨(てんそんこうりん)の有力な比定地である槵觸(くしふる)神社、それから天真名井(あまのまない)、荒立神社(あらたてじんじゃ)と回って、最終的に天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)に行かなくてはならない」

「先生、本当に日本神話の世界ですね。ニニギの尊が高天原から降りてきた天孫降臨の舞台でもあり、岩戸では天照大神が隠れたという」
「出口君、さすがだ。しっかり調べたな」満足げな八雲の口元が緩む。「まさにその通りであるが、岩戸に関しては同じ名前の神社がほかにも伊勢神宮近くの二見浦をはじめ、いくつかあるからどれが本当かは不明ではあるがな」

「ここに来る前にしっかりと古事記を熟読して良かったですわ!」
「日本書紀は?」「もちろんそちらも」すかさず返答する出口。「そうか、でも地図を見れば見るほど回りたい神社だらけだな」八雲はナビを見ながら満足そう。こうして車は高千穂の町に入った。
「高千穂峡までこの道一直線だな。高千穂は町そのものが小さいからあっという間だ」八雲は少し速度を落とし、ゆったりとした街の雰囲気を味わいながら高千穂峡の駐車場に車を滑らせた。

「それにしても半年ぶりの宮崎ですけど、前回訪問し高千穂峰。同じ県にある同じ地名なのに全然違いますわね」車を降りた出口は大きく両手を伸ばして深呼吸をした。
「どちらも天孫降臨の地となっている。だが大きい声では言いづらいが、厳密には勝者の側の歴史・神話と言えるからな」「つまり天孫とは侵略者であると」出口の一言に八雲は黙って小さくうなづいた。
「まあ、とりあえず高千穂峡のボートに乗ってから、いろいろ話そうかのう」高千穂峡には貸しボートがあった。それを漕ぐことで高千穂峡を形成する五ヶ瀬川で急に細くなり、切り立った崖が水面下から見えるのだ。

 ふたりはボートを借りて、ゆっくりと高千穂峡の中心に向けて漕ぎ出した。「このまま真名井の滝まで行けるそうですね」「うん、この真名井(まない)であるが、旧約聖書に出てくるマナの壺との接点があるという話があるな。まあ旧約聖書がらみは、慎重に調べる必要があるが」
 八雲はボートを漕ぎながら自ら得た知識を語る。そして視線は高千穂峡の景観にくぎ付けだ。

「先生、この高千穂峡はかつての阿蘇の火山活動でできた柱状節理(ちゅうじょうせつり)とのことのようですね」「うん、そうこれだけ人工的にも見える垂直にできた崖を見ると、この場所が神々が宿る場所と思われても不思議がないのう」 いつも以上に景観のすばらしさを見つめる八雲。出口はひたすら撮影を行っていた。

「先生見えてきました、いよいよ真名井の滝です」「おお、いいねえ。水が行き場を失って下に落ちてきているというわけか」水面下から見る滝。そこそこの水深がある川にめがけて途切れることなく白い水しぶきが落下した。それが音とともに聞こえ、そして細かい水滴がふたりのボートまで降り注ぐ。「出口君! これは少し離れた方がよさそうだ」
 こうしてふたりはボートを動かす。滝から少し離れたところより、しばらくの間滝を見つめた。

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「先生、高千穂峡は本当に良い眺めでしたね」「うん、ついつい神話の伝承から推定される場所にとその由来に目が行きがちだが、この自然の力というか、神秘的な場所を五感で体感することで、この場所が特別な何かがあるとわかるというものだ。よし、今回は君のプランが良かったようだぞ。最初に大自然のすごさを体験してから周辺の各神社を回れば、また見えてくるものが違うはずだ」
 絶景を見た直後のためか、八雲の語りもいつも以上に興奮気味である。「槵觸(くしふる)神社も、元々本殿がなく、山を御神体とした自然崇拝の古い神道の形式を残しているらしいからな。うん、明日が楽しみだ」

「その前に先生」「お、そうだな。旅館にチェックインしてひと風呂浴びた後、夜の神楽を見るとするか。では駐車場に戻ろう」と、今回も歴史調査の旅を楽しむふたりであった。


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シリーズ 日々掌編短編小説 659/1000

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