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巨大風船が 第977話・9.28

「なにやっているの?」家の裏山の上にある小さな祠の前で、女の子が風船を片手に何かを探しているようなしぐさをしている。彼女は兄の娘、つまり姪であった。
「あ、うん、空飛べるかなって」「空?」今は時間があった。だから子供の空想話に付き合うことにする。
「お空に飛びたいけど、鳥さんのように羽をもっていない」姪はそう言って空を見た。
「そうだね、鳥さんは空を飛べるね」姪の話は、小さな子供ならごく普通に思うような疑問。そういえば「自分にもこんな頃があったなあ」と、ふと思い出す。

 だが次の姪の言葉で、ちょっとしたトラウマを思い出した。「この風船がもっと大きかったら飛べたのに」と言って、姪は風船を持っている手を開ける。風船はそのまま上空に飛んでいく。姪は飛んでいく風船を見ながら小さくため息をつく。

 このとき過去のトラウマが一気に記憶から呼び覚まされる。これは誰にも言えないトラウマ。いやトラウマというより事実ではないと否定される案件だ。
「誰も信じてもらいないけど、実は昔、小さいときに大きな風船で飛んだことあったよ」と、ついつい姪に口走ると、当時の記憶が鮮明によみがえってきた。

ーーーーー

 ちょうど目の前の、姪と同じくらいの年齢だったと思う。本当に姪と同じようなことを考えていた。「風船でもいいから空を飛びたい」と、近所の公園の木の枝には鳥が止まっていた。鳥は木の枝の中で何をしているのか?葉が多くてよく見えなかったが、何かを終えると大空高く飛んでいく。そんな鳥たちを見てうらやましかった......。

 今日もそんな風に鳥が飛ぶ様子を見ていたが、突然「飛びたいのかな」と見知らぬ声が聞こえた。振り向くと顔の何倍もある大きな風船を持った人が、こっちを見ている。風船はふたつあり、もうひとつは木の枝に結んでいた。知らない人だから怖かったが、今鳥が飛んだところで飛びたいという願望があったから、「飛びたい」と思わず声に出す。
 すると「この風船とあの風船を持ったら飛べるよ」と、その人は大きな風船を手渡そうとする。
 そのとき、わけもわからず風船をその人からひとつ受け取った。「あとはこれをもって、そしたら飛べるよ」やっぱり何の疑問も持たずに、ひとつの風船を右手に。そしてもうひとつの風船を左手に持つ。
 その瞬間、体が急に浮き出したかと思うと、その人がはるか下に見える。

「ほら飛べた。行ってらっしゃい!」とその人が嬉しそうに手を振る。
 その後、上を見た。ふたつの風船がどんどん空を飛ぶ。雲の上まで行くのかなと思ったが、そこまではいかないようだ。こうして空を飛んだ風船は風に揺られて前のほうに進む。不思議な光景に驚いていたが、このときは不思議と恐怖心はない。

 だが、しばらくして少し手を動かしたときに体が傾いたが、その瞬間、急に恐怖が襲ってきた。だけどそれはもう手遅れだということ。もう手を離すことはできない。離せば落ちる。どのくらいの高さはわからないが、家や車が模型のように見えていた。落ちたら確実に命はない。

 怖くなると、もうそのことしか頭に浮かばなくなった。体は震える。かといってどうしようもない。助けを呼びたくてもはるか上空、誰も声をかけられないのだ。恐怖のあまり手のひらに汗がにじみ出る。だがそれは風船のひもを滑らせることにつながった。少しずつ手から風船が離れようとする。もう風船のひもの一番下がすぐそこだ。
「あああああ、ああああああ!」もう怖くて仕方がないが、少しでも恐怖を間際らせようと声を出す。声に出したところでどうなるわけでもないが、もう怖さを和らげるしか方法が見つからない。

「あああああ、がああ、ああああああ!」しばらく声を出したが、ついに右手が風船から離れる。「あ、ぎゃあああああ!」恐怖のあまり今までにない声、そうなるとひとつの風船しかなく、急に高度を下げていく。風船がもうひとつあるから、落下速度はそれほど早くないのが幸いした。
 慌てて右手でもうひとつの風船をつかみ両手でしっかりと握りしめる。だけど高度はどんどん下がっていく、「ああああ!あああああ!」もう怖さ以外何もない。怖すぎたのか、ついに記憶があいまいになってきた。
「あああああ!うわぁあああああ」声に出しながら、目の前が真っ暗に意識が飛んでしまう。

「あれ?」気が付いたら公園にいた。庭師によってきれいに成形されているつつじの木の上に横たわっている。そこに落下したのだろうか?もう風船はどこかに行ってしまったようだ。偶然にも風船をもらった場所に戻っていたが、風船を手渡した人はいない。

「た、助かった!」子ども心に命が助かったことを喜んでいる。だがこの話を誰にしても当然理解できず、「どうせ夢を見てたんだろう?」としか言われない。

 でもあれは夢ではない、夢ではないのだ。だが落下してからの記憶がないから証明のしようがない。ただ、あの日以降は高所恐怖症になってしまい、高いビルや山の上、飛行機を乗ることなどが困難になった。


ーーーーーーーー

 このことはしばらく記憶の奥に封印していたが、姪との会話の中で封印が解かれてしまった。こうして自分の過去の記憶を自分で感じて全身から鳥肌が立ち、恐怖が襲ってくる。
 そのあと恐る恐る姪を見た。姪は不思議そうな表情をしている。恐怖に陥った大人を見て、内心笑っているのだろうか?
「また変なこと言っちゃったか」と思ったが、姪はしばらくすると「空は飛べなくてもいい。走れるから!」と大声を出すと、そのまま山を駆け降りるように走っていった。

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