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北国からの羊肉で出会いそして ~都道府県シリーズその1 北海道~

「大地君、まさか帯広でジンギスカン食べるなんて。てっきり札幌かと」
「近くに、うちの会社が所有している牧場があるからこの地域にはよく来るんだ。で、卸している羊肉を扱っているこの店は、昔ながらのジンギスカン屋。せっかく亜美ちゃんが来てくれるんだから、僕がイチオシのジンギスカンを食べさせてあげたかったんだ」

 ギンガムチェックのブラウスに黒いロングスカート姿の横川亜美は、茶色いシャツの上にベージュのソフトジャケット姿の西岡大地と遠距離恋愛をしていた。亜美は名古屋で両親とともにカフェを営んでいる。今回初めて大地の住んでいる北海道に来た。
 そして空港に迎えに来てくれた、大地の運転によるドライブデート。新千歳空港から高速を走らせて来たのが帯広だったのだ。

 駐車場に車を止めて店の中に入る。このとき亜美は16年前にあたる、2004年春のこと。そう大地と初めて出会ったときのことが脳裏の片隅からよみがえった。

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「ジンギスカン?お客さんそれはモンゴルの英雄ですか」「それはチンギスハーンのことですね。ではなく料理のことです。羊の焼肉ですよ」
 ここは名古屋のカフェ「ベアーズ」。当時10歳の小学生だった亜美は、学校から帰ってくると両親が経営しているカフェを手伝っていた。

 この日は日曜日で学校が休み。午前中から店にいたが、午後にあるファミリーが来店してくる。そのお客さんはご両親と亜美よりもひとつ年上の大地、3つ下の妹と4人で来ていた。亜美の父・和彦はアウトドアが好きで、カフェを定期的に休んでは、毎年のように主に信州にそびえる3000メートル級の山を登山する。そして母・由美とはそんな登山仲間で知り合ったという経緯を持つ。
 町中にありながら、木材を使って山小屋を模した建物。店内もアウトドア用品をさりげなく調度品として置いていて、都会にいながら山小屋でくつろいでいるというコンセプトで作られたカフェ。父と母の想いが詰まった店であったのだ。

 そんなときに客として偶然に来店した西岡ファミリーと意気投合した。彼らは北海道から観光で名古屋に来たという。西岡浩一は、和彦と同じ年であり、お互い登山が趣味。一気にその話題で盛り上がったのだ。ちょうどほかの客がいなかったこともあり、母の由美も少し離れたところで話を聞き入っていた。

 そこに、大地と妹の葵がいたが、そのとき亜美は両方の親から急かされるようにお互いあいさつを交わしただけ。それ以上は特に何もない。ところが両家を結び付けるきっかけが羊肉であった。
「仲間とワイワイやれるようなメニューを考えていて」と思わず本音を漏らした和彦に、すかさず「ジンギスカン」と言ったのが浩一である。西岡家は代々札幌で肉屋・西岡ミートを営んでいたが、浩一の父が事業を拡大し、今では肉以外の業種。例えば北海道内で牧場を買い取り、畜産業にも手を出している。

 事業を拡大したとはいえ、本業の肉屋では主にジンギスカン鍋で使う新鮮な羊肉を扱っていた。
「北海道では明治時代から綿羊の飼育が行われ、大正時代からジンギスカンが食べられるようになったと聞いております。北海道ではなじみですが、本州の人はあまり食べないと聞きました。だから私たちは羊肉を多くの人にと思って、『これぞ』と思った人にお声をかけさせていただいているんです」と熱く語る浩一。

「今は上質で格安のニュージーランド産の肉を主体に扱っていて、ぜひ本州の方ともお付き合いがあれば」
 突然の営業トークの連発「ちょっと」と、隣にいた妻の智子が止めに入るが、それを聞いた和彦が非常に乗り気のため、とんとん拍子に話が進んだ。


 そして、この半年後くらいから巻き起こったジンギスカンブーム。BSE問題が発端となったブームで、周辺にもいくつかの専門店が出来る。一時は羊肉を買いあさる業者が多くなり、入手が厳しくなっていた。それでも西岡ミートは、ブーム前から羊肉を取り扱っていたベアーズには肉を絶やすことがない。そのためカフェにはそれまでの倍以上の客が殺到。最初は喜んでいたが、やがて両親とも疲弊するほどの客が訪れてしまい、「登山ができない」と、愚痴を出していたこともある。

 また、大雪で肉が航空便で送れないときがあった。いつ運ばれるかわからず、肉の劣化が心配される状況。なのに「なんでもいいから肉をよこせ!」と理不尽なことを言われ、それを愚痴る浩一の話を親身に聞く和彦がいた。
 さらに「やっぱり牛肉のほうがうまい!」と、羊肉をなぜ食べに来たのかわからないような客を相手にせねばならないときもある。そのストレスが蓄積した和彦の愚痴を、今度は浩一が聞く。だから両家は自然と家族ぐるみでの付き合いが深まっていった。

 そしてジンギスカンブームは2年ほどで感染症の拡大がストップするかのように急速に終息。専門店は軒並み閉店か他のものを名物にする業態転換に追い込まれた。しかしベアードは引き続きジンギスカンメニューを続ける。そしてたまに来る羊肉ファンを喜ばせた。


 亜美と大地も成長を重ねつつ、機会があるたびに何度も会うことになる。そして別々であるが、どちらも都内の大学に進学。だから学生時代は都内で頻繁に会い、デートを重ねた。そんなところで気が付けば、まるであらかじめ用意された、赤い糸に絡めとられるかのように交際を始めていく。

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 席に着いたふたりはジンギスカンを二人前注文。コンロの上に帽子のようなジンギスカン鍋が置かれる。その横には新鮮な子羊のラム肉が皿に盛られていた。
 店員は火をつけてくれた。最初に油の塊が乗せられ、鍋につやを入れるように油を塗りこむ。この後いよいよ肉と玉ねぎが乗せられる。一連の動作について、大地は手慣れた手つきで羊肉を鍋の上に置いていく。
 このときの鍋は見た目は置いた直後と変わらないのに、あっという間に熱を蓄積させている。だから肉が鍋に接触した瞬間、肉の中に入っている水分が鍋に塗られた油とハレーションを起こす。そして聴覚からしておいしそうに感じる音が鳴る。また肉がやけどするように、赤身がすぐに茶色に変わった。
 さらにあっという間に茶色からさらに黒っぽく焦げていく。「ちょっと火が強いな」大地はそうつぶやいてコンロの火の勢いを弱めた。

「さ、亜美ちゃん焼きあがった」「いただきまーす。いつも送って下さる羊肉は食べてるけど、一度本場北海道のジンギスカン食べてみたかったの。今回誘ってくれてありがとう」と亜美は笑顔を絶やさずに頭を下げる。その様子を見る大地も口元が緩んだ。

 亜美がうまそうにラム肉に食いついているのを見届けた大地は、同様に羊肉に口をつける。シンプルなタレに絡めて箸でつままれたグリル済みの羊肉は、大地が大きく開けた口に向けて挿入される。中に入った肉はたれの味と肉本来の臭みのない味が、良いあんばいに口の中に広がった。
 そして歯を使って噛み込んでいくと、そのうまさが次々と広がるのだ。大地はこの時ばかりは、車で運転していることを悔やむ。ビールで流し込みたいという思いを胸に秘めつつ。


「こうやって、ずっと亜美ちゃんと一緒に入れたらいいなあ」大地は肉を喉に押し込み、完全に飲み込んでからつぶやく。
「それは... ...でも、難しいわ」「どうして?」
「だって私はひとり娘。山が好きで山小屋のカフェを作った両親の跡を継げるのは私しかいないの。だから大地君と一緒になってしまうとあの店が誰も次ぐ人がいない。両親が高齢者になったら店を閉めることになるわ。
 私はあの両親のもとで生まれた以上それだけは避けたい。あのふたりが安心して老後を過ごせるように、私が継がないといけないから」と寂しそうな小声を出す。

「でも、お互い愛し合っているのになぜ?」
「だけど、大地君これだけは譲れないの。籍を入れたとしても離ればれは仕方ない。でも本当にそれでいいのかしら」
 亜美はそう言って目をつぶった。そのまま苦悩に満ちた表情をしているのがわかる。対面で座っていた大地は立ち上がって亜美の横に行く。その後肩越しに後ろから手を伸ばす。そして耳元でささやいた。
「大丈夫。実は僕が亜美ちゃんの元に行くことになる。だからカフェを一緒にやろう」
 大地が意外なことを言い出してたので、亜美は目は慌てるように大きく見開く。「え?でも、北海道の精肉会社はどうするの」
  今度は亜美の正面を向く大地。「親父もおふくろも、俺が亜美ちゃんのことを愛していることは知っている。亜美ちゃんのご両親と仲がいいから。だから気を使ってくれて、『その時には葵に婿養子をとらせるから気にするな。名古屋に行きたければ言ってもいいんだぞ』と言ってくれたんだ。だから一緒になろう」と、静かながらも父親譲りに熱く語る大地。

「え、ほ、本当に!会社は葵ちゃんが!」
「ああ、本当は今晩予約していたホテルのスィートルームで話すつもりだったのに、ちょっとフライングしちゃったかな」と言って大地は苦笑いを浮かべながら右手を頭の後ろに置いた。
「だ、大地君!ありがとう。絶対両親も温かく迎えてくれるはずよ」といって、亜美は勢いよく大地に抱き着いた。
 一連の動きを近くにいた客が驚いた表情をしながら見ていた。店のスタッフも同様。しかしふたりにとっては、そんな視線など全く気にならない。

 だがこのとき大地は亜美に嘘をついている。本当は浩一・智子の両親は大地に継がせるつもりだった。それに対して名古屋のカフェを亜美と共にやりたいと直談判したのは大地。そしてその熱意が伝わり、会社は妹の葵に継いでもらうことを強引に約束させたのだから。





追記:新しく「都道府県シリーズ」というのをはじめてみることにしました。これは毎日の短編小説のうち、週1度くらいのペースで47都道府県を一つずつ巡回していこうというもの。
 第一弾は北海道ですが、実は先日旅をしたのは北海道。この作品もそこからなのですが、今年の春以降は567の関係で東南アジアに行けなくなり、国内旅行を見直したときにふと思った企画です。
 来週は青森。そんな感じで沖縄までのエピソードをその県らしさを入れつつ綴ればと思います。

第2弾が発売されました。


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シリーズ 日々掌編短編小説 278
 (都道府県シリーズ その1 北海道)

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