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絵描きに呼び止められる 第802話・4.5

「おい君、どこに行くんだ。僕と少しお話をしようじゃないか?」私は一瞬頭が混乱した。
「え?絵が話しかけているの」私はこの日美術館に来ていた。平日の午後夕方近くとあって閲覧者はほとんどいない。大きな展示室には、まるで黒子のような黒い服装をした監視員がいるだけで、鑑賞者は私を含めて、あと2・3人がいるだけに過ぎない。

 でもそれは私にとってはうれしいこと。だってゆっくりと絵画を見つめられるから。
 たまたま見た大きな一枚の絵。それは絵描きを描いたもののようで、絵の中に中央の人物が描いている絵のような者が右側に見える。また人物そのものも筆のようなものを持っているのが見えた。
「本当にそこにいる絵描きさんみたいね」私はゆっくりと鑑賞できたので、隣の絵を見ようと足を動かしたその時!突然絵が、私に話しかけているように聞こえたのだ。

 最初私は気のせいだと思ったので、その声を無視しそのまま歩き続けようとする。「待て!君は絵が好きだろう。僕と話をしないか?」と、今度はやや大きい声で私を呼んだ。私は気持ち悪くなり、その場を逃げるように離れようとしたが、ここでよくわからなくなった。なぜか美術館ではなくそこは個人の家の部屋。そして目の前に絵の中にいた絵描きがいるのだ。

「わ、私、まさか絵の中に入ったの....…」確かにその部屋は描かれていた部屋そっくり。絵描きの右側に絵が置かれ、左側には花瓶がある。私は恐れのあまり全身から震えが止まらない。それを見た目の前の絵描きは、今度は優しい声に変わる。
「そんなに怖がらなくてもいいよ。実は驚くかもしれないが、僕はこの世界から君たちの世界を見ていたんだ。
「わ、私の世界...…」ここで絵描きは立ち上がると、優しく微笑んだ。
「そう、僕は絵の中の人間。どうやら僕を描いてくれた絵描きが相当優秀なようだったな。普通なら少し裕福な人物がミエで自宅の玄関の壁に掲げるか、多少なりとも絵心のある紳士淑女の部屋に飾られていたのだろう。
 だが僕は、それよりも高いレベル。いろんな美術館を転々とできる絵の世界にいることができたんだ」

 私はこの絵描きが何を言っているのかよくわからない。というよりこの非常事態で冷静になれるはずもなかった。だがどうしてよいのか全くわからない。私は挙動不審のまま顔の震えが止まらないのだ。
「もっとリラックスしよう。深呼吸して!」
 私は言われるままに深呼吸をした。絵描きの言うように緊張がほぐれる。「僕はいろんな美術館を転々とし、そして僕を見る人を多く見た。僕の周りを通り過ぎる人や、一瞬だけ立ち止まる人。さて、僕には見えないが横に絵の説明が書いているのかな?そこばかり見ている人がいたな。とにかくいろんな人がいて楽しかった。でも君ほど僕をじっくりとみている人はなかなかいなかったんだ」

 私は、絵描きの語りを聞きながらも、この状況をどうすればよいか迷った。今はこの絵描きと一対一の場にいる。彼のいる絵の中の世界にわたしは来たことがない。行ってみればアウェーのようなもの。ホームグラウンドで、仁王立ちをしているかのように立ち上がった目の前の画家と比べて圧倒的に状況が不利。私が今できることは、この絵描きの機嫌を損ねないようすることしかできないのだ。

「まだ僕のことを疑っているんだね」ここで絵描きが少し悲しそうにうつむき加減になり表情が悲しそう。私はようやく画家に話しかけた。「あ、ごめんなさい。でも、私、頭が混乱して」
 言い訳じみた私の声。でもそれを聞いたことがうれしかったのか、絵描きの表情が少し緩んだ。「ようやく話をしてくれたね。その気持ちはわかるよ。ただ僕は、ずっと君たちを見ているだけの孤独な絵描きだから許してくれ。でもこうやって君と少しでも会話できたからそれで本望だ。

「あ、いえ、ごめんなさい。慣れて無くて」どんどん哀れに感じる絵描き。絵描きは椅子に座ると、今度は私に何か提案をしてくる。
「君とこうやって話しできたからもう、もう君は元の世界に戻っていいんだ。けど、出来たらもうひとつだけ僕の願いをかなえてくれないか?

「あなたの願い?」私はいつの間にか、ありえない状況なのに肝が据わっている。絵描きに冷静に問い返した。目の前の絵描が仮に絵だとしても、私はもともと絵が好きだから、自然と環境に慣れてきたのだろうか?
「君をモデルにスケッチをさせてくれないか」絵描はそういった。どうせじたばたしても仕方がない。美術館に展示される絵の主人公。この絵描きがどんなスケッチをしてくれるのか?私はむしろその方が気になる。

「い、いいわ。でもその代わりスケッチが終わったら」「わかっているよ。僕は紳士な絵描きだ。スケッチが終わったら、約束通り君をもとの世界に戻してあげるよ」
 そういうと絵描は、鉛筆のようなものを取り出し真新しい紙で私を描き始めた。やはり相当力のある絵描なのか、スケッチの速度が違う。私も素人ながら絵を描くことがある。だから目の前の画家のスケッチがいかに早いのか手の動きで何となくわかるのだ。

 どのくらいたったのかわからないが、絵描きは手を止めた。「できた」
「どんなふうに描いたのですか?」「うん、ほら」絵描きは、私をスケッチした絵を見せてくれた。スケッチなのにすごく細かく描写をしている。私はこの絵描きの絵の実力に感動した。

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「お客様!」私は突然聞こえた声のする方を見る。そこにいるのは美術館の監視員だ。いつのまにか私は美術館に戻っている。
「もう閉館時間です。恐れ入りますが」

「あ、はい」私は、静かに頭を下げる。時計を見ると確かに美術館の閉館時間。私は一瞬あの絵を見ようと立ち止まった。監視員の視線が気になりながら、もういちど見たのは絵描きが描かれた絵。
 確かに先ほどと少し違う気がした。それは絵描の椅子の左横、花瓶の下に白い紙でスケッチをしたようなものが見えたから。

「あのスケッチの中身は私に違いない」私はそう信じて、美術館を後にした。


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