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成人式の後の一杯と鏡開き

「これで、僕ら大人だ!」「大人って言われても、まだ実感わかないわ」
 新調したてのスーツ姿の横山太一は、同じく日本髪を結い、鶯色をした振り袖姿の西岡玲奈と一緒に成人式からの帰り。
 同じ高校のクラスで出会ったふたりは、大学は別々であったが、卒業を前に太一が玲奈に告白する。そして付き合うようになって間もなく2年。
 成人式の帰りも仲良く、手を繋いで帰る新成人カップル。「ねえ太一君、この後どうするの?」
「おお、そうそうせっかく成人になったし、今から家帰って鏡開きかな」
「え! 鏡開きって」「大きな樽をみんなで開けて飲むんだ。さてどんな味かな」「ま、まさか日本酒飲むの?」

 太一の両親は玲奈のことを知っていた。玲奈の両親は仕事の関係で1年前に地方に転勤。それから玲奈がひとり暮らしをしている。それでは不安だからと、小さな日本酒の酒蔵が実家の太一が玲奈を両親に紹介。以降は、玲奈を娘のように何かと世話を焼いてくれるほどの間柄だ。
 何しろこの日の成人式の振り袖の手配や着付けなどを、太一の実家で行い、太一の母親が手伝ったほど。

「ちょっとまって、その前にここに行きたい!」慌てて玲奈がスマホの画面を太一に見せた。「え、ビアレストラン! ビールを飲みたいの?」
「うん、ほらあの角を曲がったところにだから」太一は角ほうに視線を置く。

「太一君知っているでしょう。私ドイツにいたこと」「ああ、中学の頃に3年間だっけ」「そう、あの国はビールの国で毎年10月頃にはオクトーバーフェストというビールのお祭りを楽しそうに盛り上がっているのを見てた。
 私、そのときから成人になったら真っ先にビールを飲もうって決めてたの。ねえ、一杯だけいいでしょ」

「うん、本当はこのあと鏡開きをする予定なんだけど」「え、あ、そうか」
「でもビールは玲奈ちゃんの楽しみだったんだろ。一杯飲んでいくのもいいねえ。なんか僕もビール飲んでみたくなった。行こう!」
 玲奈いった通り、角を曲がるとビアレストランがある。入口には合成樹脂でできた、ビールやソーセージなどの料理のサンプルがケースの中に収められていた。玲奈は嬉しそうにそのサンプルを舐めるように見つめている。

 レストランの中に入ると、ドイツの民族音楽のようなBGMが流れていた。「いいわあ、ドイツを思い出す!」「そうか、これがドイツのイメージか。いつか行きたいなあ僕もドイツに」
 太一の横で嬉しそうに店内を見渡す玲奈。思春期を過ごしたドイツっぽい雰囲気に満ちているためか、にこやかに口元も自然に緩む。太一はそんな玲奈がかわいくて仕方がない。
 やがてドイツの民族衣装っぽい恰好をした女性スタッフが注文を聞きに来る。

 その店はメニューにエビスビールを置いていた。「エビスビール! これ飲んでみたかったのやったあ」玲奈のテンションはどんどん上がっている。まだ飲んでいないのに、すでに酔っているかのよう。
「そう、僕はアサヒでもキリンでも良かったんだけど」と言いかけるのを太一は抑えた。
「生ビールを2つ」「ありがとうございます」
 鏡開きの後から何か食べるだろうと思っていたので、ここでおつまみになりそうな料理は一切注文しなかった。

 2・3分後にビールが運ばれてくる。ジョッキに注がれた黄金の液体。その上のうち、2割程度は白い泡。きめ細かい泡は見ているだけで心地よい。
「では、大人になったお祝いで」「カンパーイ!」
 お互いビールを取ってジョッキをぶつけ合う。高いガラスの音が響いた。そのままビールを口元に持ってくる。口を開けて中に入っていくビールの液体。口当たりはとにかく苦い。苦いが炭酸の細かい刺激が心地よいのだ。

 この苦みがやがて口の中を爽やかにしてくれる。さらに口の中から鼻に通じるフレーバーもたまらない香り。そのまま口から次々とのどに入り込む。炭酸の刺激の隠し味のように、今まで味わったことのないエタノール由来の独特の風味と味。それが喉から食道を通じて胃に向かって、冷たい液が入っていくのがわかる。入り切るとさっそく反応が出たのか体が温かくなり、目の前が少しぼやけた気分になった。

「うーん、これがビールの味か。苦いけどうまい!」太一はすでにジョッキの半分を飲んでいる。
「この味なのね」玲奈は4分の1程度。「私の父さんがいつもエビスビール買って飲んでた。でもこんな味なのね。苦いけど炭酸がいいわ」玲奈も夢がかなったとばかり白い歯を出して嬉しそう。

「そうそう、私の家のすぐ横に神社があるでしょう」「ああ、あるね」「あそこはえびす神を祀っているって父さんいつも言ってたわ。でも正式の名前は、スクナヒコナっていうんだって」
「スクナヒコナ! あれ?」早くも少し顔が赤くなっている太一が首をかしげる。

「どうしたの?」
「あれ、うちの酒蔵 日本酒蔵なのにそれ祀っているよ。僕が知っているのは酒造りの神とかって聞いているけど、エビスビールは初耳だなあ」

「ビールじゃなくてえびす神ね」「ああ、そうなんだ。まあいいや。でもビールってこんなおいしいんだね。だからみんな夏になるとデパートの屋上とかで仕事帰りに飲むのか」
 太一はそう言い終えると、ジョッキのビールに再び口をつける。今度は途中から頭を後ろ向けにジョッキの底を水平位に最後は少し斜め上にあげていく。
「え、ちょっと。一気飲みして大丈夫」「大丈夫だって! 僕はもう成人だ。さ、お代わりしよう!」

ーーー

 ふたりはビールが相当気に入ったのか、1杯のつもりだったのに、つまみなしで、数杯ずつ飲んでしまう。飲んだ量は太一のほうが圧倒的に多かったので、まだ日が明るいのに、ソファーにもたれて途中で眠ってしまった。「あ、太一君。もう寝ちゃってるし。何も食べなかったのが良くなかったのかしら。とりあえず帰るしか」
 玲奈は半年前に作った学生用のクレジットカードで支払う。「まさかこうなるとは! バイトの給料入ったら絶対に返してもらうからね」

 玲奈は店の人にタクシーを手配してもらった。眠そうな太一は自分では歩けず、玲奈が肩を使ってどうにかタクシーに乗せる。太一は何か言っているが、寝言を言っているのかよくわからない。とりあえず太一の実家までタクシーまで運ぶことにした。10分ほどで到着。

「え、あら、どうしたの? こんな遅くに、太一ちょっと起きて」「ごめんなさい。成人式の帰りに私たちビールを飲んでしまって」
 太一の実家に到着して事情を説明する玲奈。
 太一の母と一緒に、力がほとんど入らない太一を家の中まで運ぶ。太一は嬉しそうに何か独り言をつぶやいているようだが、何を言っているのかわからない。
 とりあえず部屋まで運びベッドの上に寝かせると、そのままいびきをかいて眠ってしまった。

「玲奈ちゃん、ごめんなさいね。あら、せっかくの振り袖が」「あ、あ大丈夫です」玲奈は振り袖を見ると確かに、全体的に着付けが崩れている。「あ、ほんとバカな子だね。成人になったからっていきなり飲んだくれて。だけど根はいい子だから、許してあげて」
「え、それは、し、知っています」

「今日は1月11日、蔵開きと鏡開きをするからって昨日あれだけ言っておいたから、まっすぐに戻ってくると思ったのに、本当に何やってんのかしら。成人になったからって、いきなり玲奈ちゃんを飲みに誘うか!」
 ほぼ呆れたように声を出す太一の母の一言に、玲奈は一瞬顔色が変わる。ここでビアレストランに誘ったのは自分だとは口が裂けても言える状況ではない。
「成人式からまっすぐに戻ってから一緒に鏡開きしようと思ったのに、もう夕方。悪いけど先にやっちゃったのよ」
「あ、いえ、すみません」「玲奈ちゃんが謝ることないわ。悪いのは太一だから。さ、隣りの部屋で服を着替えなさい」
「あ、はい」玲奈は心臓の鼓動を耳元で聞きながら隣の部屋に入った。

 服を着替える玲奈。「とりあえず今日は黙ってよ」と決めたからか、ようやく気分が楽になる。
 いつもの服に着替えて戻ってくると太一の母が待っていた。「はい、お疲れさん。振り袖は、あとこっちでやっとくから心配しないでね」「あ、ありがとうございます」
「でも太一は部屋でまだ寝ているの。もう少ししたら起きてくるかもしれないわね。あ、鏡開きをした餅で御汁粉作ったの。せっかくだから玲奈ちゃん。食べていきなさい」
「あれ、日本酒を開けるのでは?」
「え、あ! 太一、もう鏡抜きと鏡開き間違えているわ。お酒の樽を開けるのは鏡抜きっていうのが正式なのに。ていうかこんなに酔って迷惑かけてんのに、まだ酒呑むって! ほんとあきれた成人ね」
「あ、はあ」玲奈は思わぬ勘違いをしていたためにm次の言葉に詰まった。

「まあいいわ、玲奈ちゃん汁粉食べて行ってね」
「あ、ありがとうございます」玲奈はゆっくりと頭を下げる。

 太一の母はいったん立ち上がり、数秒後にはお椀に入った汁粉を玲奈の前に持ってきた。お椀の中には小豆の粒と同じ色のあんこの色をした汁。その真ん中には島のように半分浮き出た白い餅が目立っていた。
「いただきまーす」と手を合わせて元気に声を出すと、汁粉の餅を口を入れる。しっかりと粘りのある餅であった。「ビールと違って甘い。けどこれも好き」思わず口元が緩む。

 玲奈はふと前を見ると、部屋の上に神棚があり大きな札が置いてある。「あれが、スクナヒコナかしら」と小声でつぶやくのだった。


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シリーズ 日々掌編短編小説 356

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