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瀬戸内の思いを叶えて 第571話・8.16

「これだけ島が多いと、無理かなあ。でもやっぱり伝えるのが残された俺の使命」そのように呟いたのは中尾芳樹。ちょうど岡山の児島というところにいた。目の前に見えるのは、まっすぐに海の先の島々に続く瀬戸大橋。本州と四国を始めて陸続きにした巨大人工物はただ眺めているだけでも美しい。ちょうどタイミングよく、四国側から鉄道が激しい音を立てて向ってきた。

 芳樹がここに来た理由は、婚約者だった女性の故郷であるからだ。5年前に知り合った、麻衣にプロポーズしたのは、ちょうど半年前。
 麻衣は男勝りの性格だったこともあり、男性の多い工場で働いていた。だが3か月前に突然の不幸、事件が起こってしまう。ある作業中に大型の機械の中に誤って麻衣が巻き込まれてしまい、そのまま帰らぬ人になってしまった。
 工場内の事故なので、労災認定が受けられるが、実はまだ結婚前で婚姻届けを出す半月前の話。ただでさえ突然の不幸で落ち込みながらも、この申請手続きについて芳樹はいろいろと調べていた。調べることで、寂しさを間際らせたのだ。運よくすでにふたりは同棲していたため「事実上、婚姻関係と同様の事情あった者」つまり内縁の夫と言う立場が成立する見込み。遺族補償年金を受け取れる可能性があることが分かった。そのとき、芳樹はふと麻衣の両親の顔が見たくなったのだ。

「俺のことなど、麻衣のご両親は知らない。だから信じてもらえないかもしれないが、やっぱり行かなくては」
 芳樹はそう呟くと瀬戸内海からいったん離れて、バス乗り場に向かう。
 今回のひとり旅は、気を間際らせるのにもちょうどよかった。瀬戸内の海は波が穏やかで、ほっこりする。麻衣は両親とは不仲で、高校を出てからすぐ、家出同然に故郷を離れた。以降は音信不通。芳樹との交際が始まって同棲をはじめてからも、麻衣は両親の連絡先を一切教えてくれない。この前も彼女の遺品を整理してたが、その痕跡すらなかった。

 それに芳樹がプロポーズの後、麻衣の両親に挨拶したいといったが、麻衣は首を横に振る。
「正式に結婚して、子供ができて、その子供が歩けるようになったら考えようかな」としか言わない。
 それでも麻衣は、ときたま故郷のことを口にすることがある。「私は瀬戸大橋が見える瀬戸内の島の出身よ。でもね岡山県じゃなくて香川県なの」と言っていたこと。

 だから芳樹は、麻衣のことをしっかり実家に報告したいと思っていた。事故で亡くなったことと、自らが実質的な夫であることを。
 そして芳樹のカバンの中には麻衣の遺骨の一部が入った瓶を入れていた。「瀬戸大橋とか言ってたな。とりあえず瀬戸大橋にある有人の島から順番に当たってみるか」芳樹は麻衣の苗字・牛島という人がいるかどうかだけを頼りに、ひとつずつ調べてみることにした。そのようなこともあり、この旅は有休も利用した長丁場の調査。芳樹の覚悟のほどがうかがえる。

 バスに乗り最初に向かったのは櫃石(ひついし)島。本州に最も近い瀬戸大橋の真下にある島であった。本州に近いが既に香川県。麻衣の放ったキーワードに一致する。本州から下津井瀬戸大橋を渡るとすぐに到着した。島のバス停に降りて集落を回る。

「やっぱりいないな。この島は違う」芳樹は集落の家々の表札をチェック。しかし櫃石島には、麻衣の実家はないとわかった。と言うことで、次の岩黒島に向かうことにしたが、次のバスが来るまで少しばかり時間があった。やむなく島の集落から島の南側、島名の由来ともいわれる櫃岩(ひついわ)を見に行く。そこには櫃を立てたような巨岩があったが、芳樹は別のものが気になる。
「へえ、陸続きであの小島に行ける」
 芳樹がみつけたのは歩渡島(ぶとじま)。名前の通り歩いて渡れる小さな島である。芳樹はそっちにも行ってみた。小さな島まで歩いて来て、後ろを振り返るとと少し離れた位置から瀬戸大橋が見渡せる。

「うん?」芳樹はどこかで聞いたことのある女性の声「麻衣にそっくりだ」最初、芳樹は幻聴だと思った。でも何度もはっきりと聞こえるため、声のする方を見るすると、そこに女性の後姿があったがまるで麻衣そっくり。

「え、ま、麻衣!」幻聴に加えて幻覚まで見えたが、それ以上に麻衣の存在の方が芳樹にとっては大事。ついに大声を出してしまう。
 それを聞いた女性は慌てて振り返る。すると麻衣そっくりの顔がそこにあった。しかし女性はまった見知らぬ芳樹が、至近距離で大声を出したので顔色が変わり引きつっている。
「どうしたの結衣」その女性の友達が慌てて駈け寄ってきた。

「あ、ああ、すみません。人違いでした。僕の妻だった人にそっくりだったので」と芳樹は慌ててふたりの前で何度も頭を下げる。

「あ、あのう」結衣と呼ばれた女性が芳樹に声をかけた。
「さっき、麻衣とおっしゃいましたね」「あ、はい」「その人の苗字は」「えっと牛島ですが」「え!」結衣は驚きの前に目を見開いた。「あの、すみません麻衣は今どこに? 牛島麻衣は私の双子の妹なんです」

「ふ、双子の妹! あ、確かそんなこと言ってた気が」まさかの展開に驚く芳樹。間違いがないかこの後お互い確認し合ったが、間違いなかった。目の前の女性は麻衣の双子の姉の牛島結衣である。

 芳樹は麻衣が事故に遭ったことを話すと、結衣は悲しそうな表情になり「麻衣ちゃん、高校出たら私にさえ何も言わずに、そのままいなくなっちゃった。そしてようやく会えたと思ったら、こんなことに......」芳樹からもらった麻衣の遺骨の一部を見ると、結衣はその場でしゃがみ込み、声を出して泣く。目から大粒の涙がこぼれだす。
 結衣と一緒に来ていた友達が心配そうに後ろから抱きかかえた。

「あのう、あなたは麻衣と結婚を」しばらくして落ち着いた結衣が質問をする。「僕とするつもりでした。でも婚姻届けを出す前にこんなことに。でもずっと同棲していましたし、僕、中尾芳樹は、彼女の夫と言う自負があります」
「そうしたら、家に寄って行かれますか? 島は違いますが、ここからそれほど遠くないので」
「ありがとうございます。これをご実家、そして麻衣さんのご両親に、ぜひ一度ご挨拶したいと思って、ここまで来ましたので」芳樹は結衣に頭を下げた。
 こうして芳樹と結衣はいったん本州に戻る。児島の港までは櫃石島在住の結衣の友達が運転してくれた。

「あのう中尾さん、ここから船に乗ります。私の実家があるのは同じ塩飽諸島(しわくしょとう)の本島です。すぐ南側に私と同じ苗字の牛島があるのですが、そことの関係は私も知らないです」
 芳樹は、結衣の話を興味深くうなづく、そしてやってきた小さな汽船に乗り込み、瀬戸内を航行する。目の前には並行して瀬戸大橋が横たわっていた。

 こうして本島についた芳樹は、結衣に案内されて麻衣の両親と対面。申し訳ないとばかりに頭を何度も下げ、麻衣の遺骨の入った瓶を渡した。両親は悲しそうな顔をしつつも、全く音信がなかった麻衣の生きた足跡を芳樹から聞けたことが、よほどうれしかったらしい。最後は笑顔になり、この日は麻衣の実家に宿泊させてもらった。

 翌日、目的を果たした芳樹は塩飽諸島本島を結衣に案内してもらう。島内の観光名所、塩飽勤番所跡や南側にある木烏神社、それから西側のといわ観音、さらに東側の笠島重要建造物保存地区など、順番に結衣に案内してもらった。そしてガイドの説明までしてくれる。最初は緊張しながら結衣の案内を聞いていたが、徐々に結衣が麻衣と重なってしまう。5年前に交際を始めたころの麻衣の姿が結衣の姿と重なってしまった。
「さて、ここです。麻衣ちゃんが、中尾さんに言っていた場所は。中学の頃によくふたりで見に行ってたところなんです」結衣が最後に連れて来てくれたのは、島の東側。ちょうど海を隔てた先に瀬戸大橋が見えた。

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「これが、麻衣の言っていた」芳樹は瀬戸大橋をゆっくりと眺めた。その隣では芳樹同様に、麻衣のことを思い出して懐かしんでいる結衣の笑顔。また麻衣と錯覚するのを必死に抑える。

「結衣さん、どうもありがとうございました。瀬戸内の島々を全部回る覚悟できたので、こんなにスムーズとは。おかげで素敵な海での時間が過ごせました」フェリー乗り場で、改めて俊樹は結衣に礼を言う。

「いえいえ、こちらこそ中尾さんのおかげで、麻衣ちゃんのことが両親にも伝わりました。残念なことだけど、記憶はしっかりと受け止めています」結衣も頭を下げる。

 ちょうど船の乗船開始の案内。「では」「あの、すみません」結衣が声をかける。「はい」芳樹は振り返った。「今度麻衣ちゃんの住んでいたところに行ってみたいのです。もし問題なければ中尾さんのご連絡先を」
「あ、ああ、わかりました。では」こうしてふたりは連絡先を交換し合った。それを終えて改めて船に乗り込んだ芳樹。出航する船に向かって結衣は手を振ってくれた。
 それを見ながら「麻衣が一時的に、俺のところに戻ってきてくれたような気がする。でも彼女は結衣さん......」と、独り言をつぶやく。そして結衣から聞いた連絡先に、さっそくお礼のメッセージを入れた。


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シリーズ 日々掌編短編小説 571/1000

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