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夢を聞かれても、今できそうなことしか浮かんでこない問題

日本の17〜19歳の若者への調査。

「自分の国の将来は良くなる」9.6%。
「将来の夢がある」60.1%
「自分で国や社会を変えられると思う」18.3%

いずも世界的に見て圧倒的に低い結果です。

この結果と想像を交えて
典型的な日本の若者のメンタリティを描写してみると

上の世代や権力者が日本をダメにしてて、このままもっと悪くなる。それはもう自分たちの手には負えない。とにかく良い子でいて、なんとか生きていければ有難いと思おう。

みたいな感じだと思います。

このメンタリティを一言で言うなら、「私ならこれくらいはやれる」と思えるラインが世界でも最低レベルの低さに維持されていると言えるかと思います。


【やれる気がするライン】

もし、なんでもできるとしたら、何をしたい?

と聞かれたらみなさんなんと答えるでしょう。

僕は仕事柄(?)、いや単純に興味として、こういう問いかけを人にします。

そうするとほとんどの人は、上手くいけば今のままできそうなこと、起こりそうなことを答えることが多いです。

しかも、それを答える時の顔は別に楽しそうではないことが多い。過去にあった楽しかった出来事を聞いた方がいい表情をします。

これ自体は世界共通なようで、ブルーフィッシュという夢を叶える会社を経営するシムズという男は自身の著書でこう述べています。

人は「一番大きな夢は何ですか」と尋ねられると、大抵薄めたバージョンを答えるのだ。10人中10人が自分を安売りする。

スティーブ・シムズ著『なぜ私は不可能な依頼をパーフェクトに実現できるのか?』

本当に「なんでも」できるなら、たとえば、銀河系全体を治める王になって全生命体に「史上最高の知性と徳の持ち主だ」と賞賛されるみたいなことを言ったっていいはずです。

なぜそうならないのか。夢を薄めて答えてしまうのか。

【今までの自分の延長でできそうなこと】

たぶん、過去の自分と照らしてできそうなことを未来に描こうとする性質のためです。

これについて、エフィカシー(自己効力感)という概念があります。

元々は心理学の用語で、「自分が設定したゴールを達成するための自己能力の自己評価」のことです。

エフィカシーが低いと高いゴールを描くことができません。

今まで全く触れてこなかったとか、明日から人生を丸ごと変えないと達成できないようなゴールを描くことができないのです。

人は自分のエフィカシーの高さに応じた結果しか出すことができないのだそうです。

いやいや、なわけあるか。80点くらい取れればいいな、と思っていたテストで100点を取ることだってあるでしょう。と思われた方、鋭い。

もちろん、受けたテスト、出場したレースで予想外に良い結果が出ることはあります(その成果を維持できるかは別として)。

しかし、そもそも受けなかったテストや出ていないレースで良い成績を残すことは不可能です。

今はフリーターでも、「5年後には年収1億円くらい持っているはずだ」と思える人は、そのための準備をしますが、それはたぶんバイトを複数掛け持ちするとか、大手企業に勤めるとか、そんな選択肢とは全く別物になるはずです。

そのため、達成の可能性はゼロではなくなる。

目に入る情報も「どこかの会社で正社員として雇ってもらうくらいはできるはずだ」と思う場合とはまったく違ってくるでしょう。

描いてもいないゴールを達成する方法は目につかないし、考える時間も持てないわけなので、たとえ実現する力があってもそこへ向かうルートに乗れないのです。

【エフィカシーの低い日本の若者の問題】

ここまでの話で、冒頭の若者に対するアンケートの結果がまずいことだと僕が思う理由が伝わるかと思います。

日本の若者は「私ならこれくらいはやれる」と思えるラインが世界でも最低レベルの低さに維持されているのではないかと述べました。

同世代と幅広く話す僕の実感としても合っている気がします。

「親が許してくれなくてさ」
「こんなことしてても意味ないからさ」

とつぶやきながら、夢みたいな未来を描くのをやめ、やりたいことを抑圧している子を何人も見てきました。

「今の子は大人しい」「欲が少ない」
なんてよく聞きますが、

おそらくこのメンタリティが前提にあるため、「将来につながる」と親や先生が言うことに従い、ただ好きなことを追求しようとすると不安で落ち着かなくなるのかもしれません。

※「それじゃ食ってけないぞ」は「従わないと死ぬことになるぞ」と脅すのと同じくらい悪質なメッセージだと思います。それでクリエイティブでいられたら奇跡です。

しかし、このままだと日本から世界の(と言わずとも、地域や日本の範囲でも)ゲームチェンジを起こすような人材が生まれることはなくなるんではないでしょうか。

今とは違う別な世界を想像することができない人に、そういう世界を作るアクションが起こせるはずがないからです。

【「面白ベース」な姿勢が閉塞を打破する】

こういう閉塞的な状況を打破するには、若者が遊び心を取り戻すことが大事だと思っています。

遊ぶように夢中になっているうちに、現状や他者に伝えられたのとは違う世界の見方を獲得し、あっさりとできる他人から見ればすごいことが確立され、まったく過去の延長ではない高いゴールを持てる。

そういうものだと思うのです。詳しくはこちら↓

次元の違う(受けたテストで予想より良い成果が出るようなものではない)成長や変革は、「面白そうだから」という遊び心によって、セオリーやいつものやり方をはみ出した者の下で生まれるものです。

たとえば、経済的な利害や地位の向上のためだとしたらあまりに危険で効率が悪くとも、石器時代の人間は広く太平洋を囲む地域全体を旺盛に行き来していました。

また最初に陸に上がった魚は、それがたらふく食べるためのような理由だとすれば、正気の沙汰とは思えません。

まったく違う全身の体感に興奮し、超面白くて何度も陸へ飛び上がったやつがいたという説明の方がまだ納得できます。

【面白ベースな若者をどれだけ増やせるか?】

こういう考えなので、僕は面白ベースな若者をどれだけ増やせるかを社会課題として重要視しています。

将来役立つか、他者にどう見られるかはいったん脇に置き、面白いと思ってやれること(下の八木さんの言う価値観・得意・好きの重なること)を思い切りやる。やりたいだけやってみる。

そうやって面白ベースに動いた結果、意外な自分の力に気づく。

あっという間に、あっさりとすごいことができる。
私ならできると思えるレベルが大幅に更新される。

その様子を見て感心し、力を貸してほしいと求める他者が現れる。同じ価値観の別な得意・好きを持つ人とコラボレーションが起きる。

その積み重ねで、他人から見れば手放したくないほどの地位や経済的価値を手に入れるかもしれません。

ですが、あくまで最も大きな報酬は面白ベースに動いた結果として得られるものではなく、面白いが理由でやることを持ち、それをし続けていられることそのものです。

だから、手に入れた全てを手放すこともいとわない。

僕は、最も自由な人とは、たとえ手に入れた全てを手放してでもやりたいと思えることを持った人だと思います。

【面白ベースで実験中】

面白ベースに動き、高いゴールを持つ者が1人自分の近くにいたら、周りにも影響します。

エフィカシーを上げる最も手っ取り早い方法は、エフィカシーの高い人と共にいることなのです。視座の高さは伝播します。

面白ベースな姿勢でいることで、用意されていた生き方のバリエーションをあっさりと飛び越え、まったく違った可能性を見せてくれる。

そんな若者を輩出するための施設を作りたい。

そう思ってオープンしたのが面白ベースです。

身銭を切って、最小限のサイズですが全力で実験中です。

ここで得た知見をもとに、僕自身さらに人間の可能性を探究し、情報を書籍化・note化したり、配信によって伝えたりしていくつもりです。

近しい志の方とは、どんどん意見を交換したいし、応援もしたいです。

最後に。

現在面白ベースはクラウドファンディングに挑戦中なので、共感いただける方は応援よろしくお願いします。


サポートいただいたお金は、僕自身を作家に育てるため(書籍の購入・新しいことを体験する事など)に使わせていただきます。より良い作品を生み出すことでお返しして参ります。